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第272話

怪我したのは自分のせいだけど、一緒に作りたかったなぁ…… 手を洗ってピーラーを掴み、スルスルとニンジンの皮を手際よくむいていく及川さん。それをただ見つめることしか出来ないのが悔しい。 「こーやって軽~く持って、滑らすだけで良いのに。すんごい簡単なのに、なんであんな失敗しちゃうかな?」 「すんません……」 「謝るなって言ってんだろ……もう口癖になってない?」 及川さんはそうぼやきながら手早くニンジンやじゃがいもなどを包丁で切っていく。 スゲー早いのに大きさが皆キレイに揃ってて、彼は本当に器用に何でもこなす。 俺の中でキラキラ輝く、大きな存在。 「ほら、野菜切り終わったら、ここで飛雄の大好きな豚肉さんの登場だよぉ~」 ニヤニヤと俺の目の前で、豚肉の入ったトレーを見せびらかすかのようにゆらゆらと揺らされる。 言い方も動きも可愛い及川さんに、笑みが溢れてしまうのは仕方のないこと。 そんな俺を見て彼は更に口角を上げて嬉しそうに微笑む。 「この豚肉さんを~お鍋の中に~投っ入!」 「フハッ、なんすか? そのしゃべり方」 「ふふふ~、豚肉さんを炒めたら~野菜さん達も入れて炒めるんだよぉ~」 なんだかこれだけでも良い匂いがしてきて、自然とムズムズと口が動いてしまう。 及川さんの長い指がそんな唇へとのばされ、きゅっとつまんでくる。 「ふへっ?」 「ハハッ、そんな可愛い口しても、まだまだ食べれないよ」 「わはってまふほ!」 「何言ってるか分かんな~い」 なんて意地悪しながらも、彼はとてもとても楽しそうで、それを見ていたら俺も嬉しくて、楽しくて、切なくなる。 しっかりと材料を炒めたら、次は鍋に水を入れてしばらく煮込むらしい。 「後はあくを取って、カレールー入れて、とろみが出るまで煮込めば完成だよ。すんごい簡単でしょ?」 「これのどこが簡単なんすか? 及川さんはやっぱスゲーすね……」 「いやいや、別にすごくはないでしょ……飛雄も慣れれば簡単になるよ……」 少し頬を赤くさせながら、鍋の中をお玉でくるくるくるくるとかき混ぜる及川さんがものすごく可愛い…… 「でもさ……あの頃の俺は、まさかこうやって飛雄と一緒にカレーを作れるなんて、露程も考えたことなかっただろーな。 戻れるなら、教えに行ってやりたい……すんごいびっくりして、そんで顔には出さないだろーけど、すんごい喜ぶんだろーな」 彼はへへっと声に出して笑った。 「あの頃? いつの及川さんですか?」 「お前と付き合う前の俺。 ずっと、中学の頃から好きだったって言っただろ。 あの時は本当に地獄だった。だから、昔の自分を救ってやりたいなと思って……」 俺も……あんたが俺のこと好きだって気づくその前からずっと、好きだった…… それなら、俺だってあの頃の俺に教えてやりたい。 ずっと辛かった……及川さんが好きで好きで、でも気持ちを伝えられない、あの苦しみ…… 俺は今、こんなにも及川さんに愛されてるんだよって、教えてやりてぇ…… きっと……いや絶対、泣いて喜ぶに決まってる 「初めて俺の手作りカレーを食べてくれたあの日、覚えてる?」 「あぁ、あの、及川さんに初めて襲われた、あの日っすね」 「ちょっとぉ……せっかく俺の手料理を初めて食べた日なのに……」 「あれは全部あんたが悪いと思うんすけど?」 「ぐっ、そーだね、あれは完全に俺が悪かった……」 「まぁ、今は両思いになれたし、あれも良い思い出になったと思ってますよ」 「…………飛雄も大人になったじゃん…… 俺のせいで嫌な日になっちゃったけどさ…… 飛雄に気持ちを伝えようって決心して、 あの前日、飛雄の好きな食べ物を作って、食べてもらって、良い雰囲気になってから告白したら上手く伝えられるんじゃないかなって思って。 カレーを作ることに決めたんだ…… あの日、作りながらすんごい緊張してて、胸苦しくて 飛雄食べてくれるかな? 喜んでくれるかな? 心の中で何回もそう言いながら作った……」 彼の声がなんだか少し震えているように聞こえた。 でも、唇には笑みが浮かんでいて。 「今俺はまた、飛雄のためにカレーを作ってる。 緊張はしてないけど、今すんごい胸が苦しいんだ……」 口角を上げながら、彼はそう言った。 笑っているように見えて、彼は苦しんでいる。 煮込み終わったのか、今度は鍋にカレールーを入れていく。 大好きなこの香り。この匂いを嗅ぐだけでお腹がすいてきて、よだれが滲み出てきて、思わず笑顔になる。 のに、今は胸がチクリと痛んで、苦しくなって、匂いがよく分からなくなった。 「……お前のこと考えるだけで、今もドキドキして、胸が苦しい」 「え?…………あ……俺といると、胸が苦しいって……」 「うん。付き合って結構たつのにね、未だにドキドキして、いっつも胸が苦しくなるんだよ。 あの時にあった緊張とか不安とかはもうない。 ドキドキして、幸せな気持ちで、お前のためにカレー作ってる。 俺、あっちに行っても、カレーいっぱい作りたいな。 また飛雄のこと考えながら、カレー作る。 そうしたら、すんごい幸せな気持ちになれるから。 だから、寂しくないね」 「及川さん……」 優しい笑顔。彼はずっと俺にこのキレイな笑顔を向けてくれてる。 なのに俺は笑顔に出来ず、涙が溢れそうになった。 嬉しくて、泣けてくるんだ…… 「俺、沢山練習して、絶対カレー作れるようになります! 練習する時、いっぱい及川さんのこと想いながら作ります。 及川さんに食べてほしい。及川さんのために作りたい! そうしたら、一緒に幸せな気持ちになれるから…… 俺のカレー、食べてくれますよね?」 「そんなの当たり前じゃん!」 「あ、アザッス!!」 お互いに想い合って、カレーを作る。 相手が自分のことを想ってくれてるって分かるから、寂しくない…… そう、言いたいんだよな及川さん そう思ったら、溢れ出そうだった涙がついに零れ落ちていった。 涙が濡らした頬に、彼がそっと触れる。 「俺のために作りたいんでしょ? 食べてほしいんでしょ? だったらほらっ、ちゃんと作り方覚えてよ。 楽しみに待ってるからさ」 「は、はいっ!」 「温玉乗せたいんだったよね? 作ってあげるから、よく見ててよ」 「……はい……アザッス……」 「ふふ……泣いてたらよく見えないじゃん」 次から次へと溢れ出る涙を優しく拭いながら、それと同じぐらい優しく微笑む彼がとても眩しくて、涙が止まらなかった。

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