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第324話
ずっと会いたかった
早くその姿を、この瞳に映したくて
触れて、
体温を、匂いを感じたかった……
この瞬間を待ち焦がれていた
今直ぐに駆け出して、及川さんを思いっきり強く抱き締めて
腕の中に閉じ込めて
もう絶対に離さない
離れたりしない……
そう……心に強く決めていたのに
なのに、俺は
彼の姿を目の当たりにした瞬間、動けなくなっていた
あんなに今すぐに触れたかったのに
及川さんが、俺の知ってる前の姿とは少し違っていたから。
ビックリして、動くことを忘れてしまっていた。
頭の整理が追い付かない
いつだったかテレビで見たことがある。
それには確かおばあさんが座っていて、
上手く歩けなくなってしまったからそれに座って移動しているんだと知った……
母さんが、それは車椅子という物なんだと教えてくれた。
あれは多分、その車椅子なんだろう……
及川さんが、車椅子に座っている
どうして……?
「……お、及川さん?
足……どうかしたんスか……?」
声が震えていることに気付いた。
それを聞くのに、酷く緊張している自分がいた。
久しぶりですねとか、
どうしてメールの返事をしてくれなかったのかと文句を言うとか、会いたかったって素直な気持ちを伝えるとか、
言うことは他にもいっぱいあるはずなのに、
こんなことしか言えない。
ただ、ちょっと怪我をして、歩くと痛いから、それが治るまで車椅子を使っているだけだよな?
また歩けるようになるよな……?
……立てなかったら……バレー、出来ないし……
大丈夫、だよな?
「えっ!? とびおちゃん、もしかして知らないの……?」
隣から気まずそうに揺れた声を掛けられて、俺は眉間にシワを寄せた。
知らないって、何を?
及川さんに一体何があったと言うんだ?
俺は、何も知らない……
離れていたから、連絡が取れなかったから
なんて、そんなの言い訳だ
俺は、及川さんの恋人なのに、何も知らないなんて
その事が無性に悲しくて、悔しくて
情けなくなった
「及川……言ってなかったのか……?」
「言ってなかったって、何言ってんのみのっち?
他人に俺の足のことなんて、言う必要ないでしょ?」
「た、他人……?」
及川さんの言葉が、俺の頭の中で冷たく響いた。
他人って……恋人である俺って、他人なのか……?
みのっちと呼ばれた男の人と及川さんと一緒にいた女の人が、驚いたように目を見開いた。
「え……おっ、及川くん……何言ってるの?」
「そーだよ及川っ! とびおちゃんに他人とか、なんでそんなこと言うんだよ!?
ちゃんととびおちゃんに話さないと、ダメじゃないか!!」
「どうして?」
「どっ、どうしてって……とびおちゃんに話した方が……あれ? 話さない方が、良い、のか?」
「何言ってるの!?
話した方が良いに決まってるでしょ!??」
「……話す話さないの前に、
その人、誰?」
「……え?」
「及川? だっ、誰って……とびおちゃんだよ?」
その人って……俺のことだよな?
及川さんは何を言っているんだ?
暗くて、重い空気が流れる。
「あの……及川さん? 誰って……俺、影山飛雄です……」
「影山飛雄? 誰、君?
そんな人、知らないけど?」
「……え? 及川、さん……?
どうして…………」
知らないって……どうして?
及川さんは、俺のことを忘れてしまったのか?
ずっと、離れていたから、会えなかったから、忘れてしまったと言うのか?
「及川お前、何言ってんだよ!!
言って良い冗談と悪い冗談の区別もつけられないのかっ!?」
「冗談も何も、本当にこの人のこと知らないから……」
俺のこと忘れた? 知らないとか
そんなの信じられなくて、信じたくなくて
嘘だ!
だって、
どんなに離れていたとしても
心と心は
繋がってる
そう言ってくれたのに
「嘘ですよね及川さん……」
「嘘じゃない。君とは初対面のはずだよ」
もしかして意地悪してる? からかって言ってる?
そう思ったけど彼の表情は、
笑うでもなく、困り顔でもなく
どの色もない
真顔だった……
嘘をついている顔には見えない
それが物凄くショックだった。
「初対面なわけねーだろ!?
及川さん、俺です! 影山飛雄ですっ!!」
俺は及川さんの両肩を鷲掴みにし、顔を思いっきり近付けて詰め寄る。
彼はその痛みに顔を歪ませながら、視線を逸らした。
「……うっ! イッタ……だからっ、知らないって!」
「知らないとか嘘言うなよ!!」
「嘘じゃない! 知らないものは知らないんだよ!!」
及川さんは眉間にシワを寄せて、こちらを睨み付け声を張り上げてきた。
それに怯みながらも、それでも楯突いた。
「なんで、そうやって嘘つくんだよ?
及川さんが俺を忘れたなんて、そんなの絶対に信じない!」
好きだって、大好きだって言ってくれてたのに
あんなに愛してくれていたのに……
忘れたとか、そんなの絶対に有り得ないだろ?
「信じられても困るんだよ!
忘れたんじゃなくて、知らない人なんだよ君は!
きっと君が言ってる及川さんと俺は名前が一緒なだけで、全くの別人なんだよ!
きっと、いや絶対にそうだ!!」
「そんなわけない! 俺が及川さんと別の人を見分けられないわけねーだろ!!
どんなに似てても、瓜二つでも、絶対に恋人と別人を間違えるわけない!
あんたは俺の恋人の及川徹なんだよ!」
そうハッキリと断言する。
俺が及川さんを間違えるわけないだろ?
だって……こんなにも……
「愛してるんです……
だから、突き放すなよ。
お願いします、及川、さん……」
ついに涙が溢れ落ちてしまった。
だって、こんなの辛すぎる。
あんなに好きだと、愛してると言ってくれてたのに、今さら知らないとか
他人とか言わないで
睨んで、突き放さないで……
全て嘘だったと言うんですか?
今までの、あの幸せだった瞬間
俺にとっては、本当に
大切な宝物なんです
だから、受け入れて
抱き締めてほしい……
「そんなの困るよ」
いくら願っても、彼の心には届かない
「ゴメン……君が求めてる及川さんじゃなくて……」
冷たい言葉が脳内に響いた
「……及川、さん……」
「その及川さんは君の恋人なんだね?」
「そうです……だから、あんたに会いに、東京まで来たんですよ俺は……
連絡も取れなくて、メールの返事も返してくれない……
そうやって嘘ついて、なんでそんな酷いこと言うんすか?
俺、何か、あんたを怒らせるようなことしましたか?
それだったら謝るから、だからっ!!」
「君の恋人は、酷い奴だね。
東京に来たって言ったけど、遠くから来たの?」
「そうです……あんたに会いに来たんです」
「それなのに、メールの返事も返してくれないなんて、本当に酷い奴だね。
きっと今頃、君のことなんか忘れて、新しい彼女でも作って遊んでんだよそいつ。
ホント、呆れた奴だよね」
そう言って鼻で笑った彼の胸ぐらを、渾身の力を込めて掴み上げた。
車椅子の座面から、彼の身体が浮いてしまうほど高く。
彼が苦しそうに咳き込んでいるけど、止められなかった。
「とっ、とびおちゃんっ!!」
ずっと黙って、焦った面持ちで俺達の会話の成り行きを見守っていた二人が、慌てて俺の腕を掴んで止めに入ってきた。
「とびおちゃんっ! 流石にそれはダメだよ!!」
「落ち着いて、とびおちゃんっ!」
「いくら本人でもなぁ、及川さんを悪く言う奴は許さねー!!」
「なっ、何度、でも言うよ……っ
そい、つは……君のことを、弄んで…いたんだよっ!
今頃、新しい女と一緒に、君の、こと、嘲笑ってるんだよっ!
そんな、酷い…奴のことなんか、忘れて、帰りな……
ねっ……影山、飛雄くん……」
苦しそうに切れ切れに言葉を必死に紡ぐ彼に、涙が止まらなくなった。
「なんで、そんなこと言うんだよ及川さんっ!!
やめろよっ! なんでそうやって悪い奴になろうとするんだよ!
なんで強引に突き放そうとするんだよっ!?
あんたが何考えてんのか、分かんねーよ及川さんっ!!」
「俺は、君の、恋人じゃない……
もう、及川さんの、ことなんか忘れて…帰りなよ……」
「お、いか、わさんっ……」
声が震えて、涙で前が見えなくなっていく
そっと彼から手を離した
激しく咳き込んでいる、苦しそうな彼が
やっぱり涙で滲んでよく見えなかった
ずっと、会いたかったのに
この瞳に愛しい姿を映していたかったのに
こんなにも、涙が溢れ、見えないなんて
ああ……なんて、勿体無いことしてんだろう
「じゃーね、影山飛雄……
帰って、さっさと及川さんのことは忘れて
幸せになりな……」
冷たい声でそう言って、彼は車椅子を漕ぎ、どんどん遠ざかっていった。
あの時、あんたが自分で俺を幸せにするって言ってたくせに
日向にもそう言ってたくせに
なんで忘れろとか言うんだよ!
幸せにしてくれるんじゃなかったのかよ!?
「及川さんがいないと幸せになんかなれねーのに……
及川さん……本当に俺のこと、忘れちまったのかよ……」
「違うっ!!」
涙が止まらなくて、踞りながら地面を殴ったその時、
女の人が大声で叫んだ
「違うのとびおちゃんっ! ごめ、ごめんなさいっっ!
全部、私のせいなの!!」
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