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【日常】エッツェル留学記1(4)

 案内されたのは表通りに面したアパート。四棟が真ん中の中庭を囲むように四角く建っている。それが四階まであった。  僕が案内されたのは四階分を登り切った更に上、屋上に当たる部分。その扉を開くと、そこは建物の屋上とは思えなかった。 「うわぁ……」  溜息が出る。そこは見渡すかぎりに空中庭園だった。噴水があり、背の低い生け垣と花壇が綺麗に整備されている。  その先にあるのは真っ白い屋敷だった。 「ここが、一年を過ごす下宿だよ」 「凄い…。ここ、シキ様の別宅か何か?」  もしくは王太子宮かと思った。  けれどグランレイは首を横に振って笑った。 「違うよ。ここは元王宮の高官だった人の屋敷。確か、800歳を超えているかな」 「800!!」  そんなのもうヨボヨボのお爺ちゃんじゃん!  竜人族は流石にそこまでは生きない。平均1000年を生きる魔人族だからこそある話だ。  僕はどんなお爺ちゃんが出てくるのかドキドキしていた。けれど出てきた人は、僕の想像など及ばない人だった。 「ほぉ、それが竜人の坊やかい。随分と可愛らしいものだ」  玄関で出迎えてくれた人は、見た目30代で十分に通じる美しい容姿の人だった。  長い白髪に、白い肌。秀でた額に、小ぶりな金色の牛の角が生えている。少しきつめの金の瞳が僕を見て、ニヤリと笑った。 「なんでも、初恋を拗らせて説教留学らしいの。若い事はいいことだ」  楽しそうに弄るこの人を前に、僕は完敗を感じて小さくなるしかなかった。  管理人ランスロット(通称ランス様)の家を出て、今は人族の区画へと来ている。  魔人族の街は魔神達が住む区画と、人族が住む区画が明確に分けられて、双方の間にはゲートがある。これも、城に天人族の国へいくゲートがある関係らしい。 「こんなにきっちりと分ける必要あるの?」 「あるらしい。天人族の国には珍しい薬草や長寿の実、何よりも生命の木の母体がある。それらを悪用したり、無断で持ち出す者が過去にいたそうだ。だからこそ入国する者の管理を徹底しているんだ」  なんとなく聞いて、随分お堅い世界だと溜息をつく。確かに悪用はいけないけれど、その為に閉鎖的になっているのはつまらない。魔人族も天人族もあまり他の種族と関わりを持たない種族だから、勿体ないような気がしている。  そうこうしている間に人族の区画についた。物が多くてごちゃっとしてて、僕としては宝探しみたいで楽しい。目を輝かせていると、隣でグランが俺を笑った。 「笑うなよ」 「いや、子供みたいだと思って」 「子供って言うな!」 「いいじゃないか、可愛いんだし」  「可愛い」という言葉に思わず心臓が跳ねる。言われ慣れているはずの言葉なのに、グランが言うと少し恥ずかしくなるのだ。  誤魔化すみたいに少し先を進みながら、店先をひやかす。ついでにお菓子のお店で大量購入した。飴やクッキー、マフィンなんかをあれこれ買うその背後で、やっぱりグランが笑っている。 「笑うなっての!」 「だって…」 「くっそ!」  今にも腹を抱えて笑いそうなこいつを黙らせたい。僕は購入したばかりのマフィンをグランの口に押し込んだ。一瞬驚いた見たいに紫の瞳が見開かれる。けれど素直に咀嚼して、キョトンと小さく呟いた。 「美味しい」  そう言うと、店へと少し戻ってしまう。出てきたばかりなのに突然で僕の方が驚く。何事かと思えば、グランもまたクッキーやマフィンを買っていた。  僕はそれを見て笑っている。案外面白い奴だ。行動が突飛で予想出来なくて、しかもお菓子って。 「僕のこと子供って言えないじゃん」 「悪い、美味しくてつい」 「お菓子、好き?」 「あぁ、好きだ。魔人族は基本食べなくても生きていけるんだが、俺は母上の血が混じっているからか食べるのが好きなんだ」 「食べなくても生きていける! どんな仕組みだよ!」  知らなかった。魔人族と接する事が稀だし、あんまり興味もなかったから勉強しなかった。  グランは苦笑している。多分、普通に常識なんだろう。 「魔力が高いから、それを巡らせておけば生命維持が出来る。食べる事や酒は娯楽のようなもので、必要ではないんだ」 「そう…なんだ。なんかつまんないな、それも」  母上が料理上手で、いつも美味しい食事を囲んでいた。大人になったら全員揃う事は少なくなったけれど、子供の頃は皆が揃って食卓を囲んで、ご飯を食べる時間が幸せだった。  グランは僕を見て、弱く笑う。そして不意打ちに、僕の鼻を摘まんだ。 「ふぎゃ!」 「ほら、次に行こう。そういう事情だから、ここで食事をしたり食べ物買ったりしないとろくな食事が出てこないよ」 「まじかよ!」 「あぁ、マジだよ」  笑ったグランは先に行く。俺は面食らって、そして必死に今後の食糧事情を考える事になった。

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