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【日常】エッツェル留学記3(2)
僕は背後のグランを盗み見る。焦るような、苦しいような顔をしている。
どうしてそんな顔をするのか分からなくて、僕は戸惑って手を伸ばした。
「どうしたの?」
「どうしたのって…。エッツェル、君はヴィーの誘惑に囚われていたんだよ」
「誘惑?」
確かにそんなスキルはあるけれど、会ったことはない。キョトンとしていると、深い溜息をつかれた。
「ヴィーは淫魔の先祖返りで、強い誘惑の力があるんだ。君、あのままならあいつにお持ち帰りされてたよ」
「淫魔…。それって、魔人族の古い血筋で、もう数が少ないんだろ?」
「よく知ってるな。そうだ、淫魔は古い血筋の一族で、多く血を残しているが引き注がれるかは微妙なんだ。ヴィーの家系は古く淫魔との交わりがあって、かなりの代を置いてその血が覚醒した。だから、あいつは強いんだよ」
あの不思議な感覚を思い出す。思考が鈍ったようで考えがまとまらず、抵抗する気がそもそも浮かばない。早くなった鼓動は、切ない気持ちになった。
「エッツェルは魔力が高いから、ガード出来ると思うんだけど」
「寂しいのぉ?」不意に言われた言葉が戻ってくる。
寂しい。僕はその言葉が嫌いだ。だって、僕の為にあるように思う。
皆優しいんだ。母上も父上も僕を大事にしてくれる。シーグル兄上は小さな時に沢山甘えさせてくれた。ロアール兄上は一杯遊んでくれた。エヴァ姉上は新作のお菓子を作ると必ずくれた。フランシェ姉上は僕が泣いていると必ず慰めてくれる。
僕は愛されていると思う。けれどその愛は、家族からであって僕だけに向けてくれるものじゃない。
だからガロン様が僕を見つけてくれた時、この人だと思ったんだ。僕を見てくれる人を見つけて、運命だって思い込んだ。いつかガロン様のお役に立ちたい。そうしたら好きになって貰えるかな? 愛してるって、言ってくれるかな?
「エッツェル!」
「!」
深く思考が沈んでいた。強く名前を呼ばれて、気付いた僕をグランが怖い顔で見ていた。頬に手が伸びる。そこが、濡れていた。
「あっ…ははっ。変なの、僕。あの、あまり気にしないで。ほら、留学なんて初めてだからちょっと寂しくなったんだよ! 子供みたいだから秘密にしてね」
馬鹿みたいだ、泣いても何も変わらない。僕は結局ガロン様の特別にはなれない。それどころか、もう会うことすらも出来ないかもしれない。
ズキッと胸が痛い。真剣で、それしか見えていなかったから、どうしたらいいか分からない。でもそれじゃいけないから、ここにいるのに。忘れる為にいるのに。
不意に、唇に熱いモノが触れた。腰を掴まれて、顎を固定されて、驚く間にグランの唇が触れていた。
鼓動が早くなっていく。色気のある匂いが濃くなって、妙に体が熱くなる。少し荒っぽいキスは、僕からまともな思考を奪っていく。
「ふっ…」
身じろいで、鼻にかかった息を吐き出した。触れただけのキスに、気持ちが震える。縋り付くみたいに欲しくなった。
でも、僕は泣いたままグランの頬を殴っていた。
「何するんだ!」
僕はこいつの気持ちが分からない。今のはどういう意味でしたの? 慰めならいらない。同情ならもっといらない!
睨み付けると、とても悲しげな顔をされた。その目に、またズキッと胸が痛かった。
「悲しそうな顔をしていたから」
「…同情なんていらない」
「そういうわけじゃ…」
「何も知らないくせに、優しくなんてしないでよ!」
言って、僕は走り出していた。アパートの外、どっちに何があるのかもまだ把握していない。けれど、逃げるように飛び出した。
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