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【日常】エッツェル留学記4(1)
事件から2日。僕は部屋から出られなくなった。
鍵がかかってるわけでも、怒られたからでもない。僕は何をしたらいいのか、考えていた。
このままでいい訳はない。このままじゃ、どこにも進めない。
考えて、迷って、3日目の昼に行動を起こした。部屋を抜け出して、僕は4階の一室を訪ねた。
その人は少し眠そうな顔で僕を見た。紫にピンクを混ぜたみたいな垂れ目が僕を見て、ニヤリと笑った。
「君、案外勇気があるねぇ」
「…お願いがあってきました」
「そぉ? とりあえず、入ったらぁ?」
誘惑の瞳。僕はまだこの目が怖い。僕は弱いから、飲まれてしまう。でもいいんだ。今日は、そのつもりで来たんだから。
意外と綺麗な部屋だった。部屋はちゃんと掃除されているし、居心地がいい。クリーム色の毛足の長いラグに、同じクリーム色のソファーセットがある。開放的だ。
「何か飲む?」
「いえ」
緊張に声が固い。そんな僕に近づいてきたヴィーが、楽しそうに笑った。
「お願いは、なぁに?」
「…僕を、抱いてください」
驚かないのは、分かっているから。僕がここを訪ねた時点で、ヴィーはきっと感じていたからだ。
「どうしたの?」
「え?」
「理由、聞いてもいい?」
「……好きだった人がいます」
僕はポロポロ溢すみたいに、話をした。
「100年以上の片思いです。でも僕が知り合った時には、もうその人には奥さんと子供がいて…でも気持ちを抑えられなくて。複数の伴侶を持つ事は許されているし、僕は役に立てる。そう思って、迫りました…。でも、駄目でした」
「だろうねぇ」
呆れたような物言いに、不安で視線を上げた。
ヴィーの視線は、案外冷たい。誘惑を感じるのに、冷えている。
悲しい。怖い。嫌だ、その目は。
「それで、俺に抱いてもらって忘れたい? 悲しい事を肉欲で埋めるのぉ?」
「…大事に操なんて立ててるから、忘れられないし前に進めないと思って。貞操なんて捨ててしまえば、何かが吹っ切れると」
「ふぅん…」
深く心を覗くように見られている。でもどうして、前みたいに身をまかせてしまいたい衝動はない。
不意に、ヴィーが笑った。そして、キッチンへと戻って飲み物を注いで僕の前に置いた。
「捨てる場所だって重要なのに、君は子供だねぇ」
「捨てる、場所?」
「俺じゃないでしょ?」
悪戯な瞳が僕を見る。僕は出された飲み物を飲みながら、考えていた。
直ぐに浮かんできたのは、グランの顔だ。でも、それは直ぐに消える。拒まれたじゃないか。しかもその後、グランと会っていない。彼は、訪ねてもくれない。
「拗ねるのも、いじけるのも、自棄になるのもいいけれどさぁ。あいつ案外怖いんだから、俺では君を預かれないよ」
「グランは怖くないよ。いつも優しい」
「それは君だから。あいつは……怖いんだよ」
そんな事ない。でも、僕はグランのことをそんなに知らない。
グラスの飲み物はあっという間に空になった。僕の気持ちは、沢山話を聞いてもらって少し落ち着いた。
「君は可愛いのに、どうしてそんな辛い恋ばかりするのかなぁ?」
呆れたみたいにヴィーが言う。僕も、そう思った。
「…羨ましいから」
「ん?」
「愛されてるのが、羨ましいから」
思った事を口にした。溢れるように、思いが滑り出てくる。止まらないほど、沢山。
「母上は父上が大好きで、父上は母上が大好き。シーグル兄上にも、ロアール兄上にも大好きな人がいる。エヴァ姉上も、フランシェ姉上も夢中になれる物がある。僕は皆が好き。大好き。でも、僕は皆の一番になれない。愛されているけれど、僕だけを一番にしてくれる人はいない」
たった一人でいい、そういう人が欲しい。面倒って言わないで。重たいって言わないで。お願い、置いていかないで。役に立つから、側にいて……。
涙が溢れて止まらない。止め方を忘れたみたいだった。
「僕ね、役立たずなんだよ。国でもこれって仕事をしてない。僕には何も任せられないんだ」
「160歳でしょ? 普通、まだ仕事なんてしなくていいでしょ」
「でもシーグル兄上はしてた! エヴァ姉上だって、やりたい事を見つけていた。僕は、何もできない」
「卑屈だねぇ」
言われても仕方がない。実際、卑屈だと思う。
「だから、重いって言われる」
「確かにねぇ」
「もう嫌だ、こんなの。僕なんて誰も大事にしてくれないなら、どうなってもいいじゃん」
「自棄起こしたぁ?」
「ヴィー、抱いてよ」
「嫌だねぇ。俺はグランを敵に回さない。第一あいつの母親は、僕の元相方なんだよ。シキの恐ろしさを一番に知ってる僕が、そこに喧嘩売ると思う?」
「…思わない」
「理解力はあるよねぇ。馬鹿だけど」
からかうみたいにヴィーは笑って、同じ飲み物をくれる。仄かに甘い水のような飲み物がとても美味しい。
「グランはどうなの?」
「…わかんない。嫌いじゃない。僕に付き合ってくれて…温かい。でも、拒まれた。僕に背を向けたから…もう嫌いになったんだ」
また泣きたくなる。さっきから、ずっと気持ちが上下してる。
「あいつもまだまだ子供だねぇ」
「抱いてって言ったのに、出来ないって言われた」
「そりゃ、自棄になって身売りする奴抱くなんてしないよぉ。後が面倒だし、気持ちのいいものじゃないしねぇ」
「…誰でもいいなんて、思ってないもん」
グランなら、もらって欲しいと思った。それが駄目だから、ヴィーの所にきたんだ。
ヴィーは微妙な顔をする。ちょっと睨まれた。
「あいつの当て馬って、気分最悪だよ」
「ヴィーも優しそうだから…」
「残念、俺はそんなに優しくないよ。特に君みたいなお子ちゃまが手を出すには、ちょぉっと高い勉強代になるよぉ」
「…おいくら?」
「酷い攻め方されないとイけないような性癖にされたいのぉ?」
誘惑の瞳が笑う。僕は青い顔をして首を横に振った。そしたら、満足そうに笑うんだ。
ヴィーは優しいと思う。何だかんだで愚痴に付き合ってくれて、諭してくれている。
「ヴィーでもいい」
「『でもいい』って付いてる時点で願い下げ。エッツェル、人様の物に手を出す事はおすすめ出来ないけれど、代替品でも意味がない。一つずつ整理して、大事な物を見つけてごらん」
一つずつ、整理する。その言葉に、僕は胸が痛んだ。でも、一番に整理しなきゃいけない事がある。怒られるかもしれない。でも、このままじゃ進めない。
僕は立ち上がった。そしてヴィーにお礼を言って、そのまま真っ直ぐお城に向かった。
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