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【日常】引きこもり姫と新緑の騎士(2)
その日はどうにも集中できなくて、私は定時で上がった。そうして行きつけの店にいると、不意に声をかけられた。
「おっ、ルークじゃんか!」
「エミール?」
聞き慣れた声に視線を向けると、人好きのする笑みを浮かべた人物がこちらへと近づいて当然の様に向かいの席に腰を下ろす。
彼はエミールと言って、昔からの友人だ。しかも同期で軍に入った。やや赤っぽい茶髪に、同じく茶の瞳をした地竜なのだが、母が赤竜ということもあって髪色が他の地竜に比べて赤みが強い。
エミールは私を見て、にんまり笑った。
「お前、姫様の護衛になったんだって?」
「耳ざといな」
言いながら苦笑が漏れる。正式には仮なのだから。
「何でも難しい姫様らしいぞ。ゴツい先輩達が行ったんじゃ話すらできないんだって」
「そんな繊細な女性を相手になんて、正直自信がないよ」
溜息交じりに言えば、エミールは笑って肩をバンバン叩いてくる。遠慮のない力はけっこう痛いのだが。
「まぁ、頑張れよ。上手く気に入られれば出世コース、惚れられれば玉の輿だぜ」
「そういう下卑た考えはないよ」
何よりそうなると、あのグラース様が義母となる。正直そんな根性はない。
厳しく、そして美しい人。軍においてあの方に憧れない奴はない。いざとなれば王族にも関わらず前線に立ち、モンスターだろうがなんだろうが青い炎で焼き尽くす。動きは俊敏で勇敢で、決して仲間や部下を見殺しにしない。まさに男が憧れる男だ。
だからだろう、あの方が産む側だという事に未だに違和感があるのは。
「お前、まさかグラース様の事…」
「あるわけないだろ? 戦死するより恐ろしい事になる」
「だよな」
言いながらの笑みが引きつっているエミールに、私も苦笑を浮かべた。
グラース様の夫であり、この国の王太子であるランセル様は、実に優秀な人だ。
ただ一点、奥方であるグラース様に関わると途端に行動と思想がイカレる。以前グラース様にモーションをかけたアホがいたらしいが、一ヶ月近くうわごとを繰り返して寝込んだそうだ。確実にランセル様の仕業だと、軍部では戦々恐々となったと聞いた。
「なんにしても、頑張れよ」
随分雑な激励を受けた私は、今日何度目かの溜息をついた。
翌日、私は一つの扉の前にいた。固く閉じられたその扉を緊張して叩く。すると、中からとてもか細い声が返ってきた。
「どなたですか?」
「本日から姫様の護衛につきます、ルークと申します」
…………
それ以後、答えが返ってこない。もう一度戸を叩こうかと思ったが、やめた。聞けば臆病な方らしいし、何度も扉を叩けば緊張を強いるだろう。余計に怖がらせてしまうかもしれない。
扉に手を当てれば、僅かだが気配を感じるように思う。どうにか警戒させずに話をする事はできないか。それを考える事になった。
結局扉の前で困り果ててしまった。鍵が掛かっているわけではないが、開けるのも躊躇われる。女性の部屋にいきなり踏み込むなんて。
半日そうして扉の前で悩み、私は動き出した。まずは調べる事だ。そう思い向かったのは、軍の控え室だった。
最近軍の控え室にはイヴァン様が来るようになった。来年には正式に軍に入るからか、時々ここで軍の人とコミュニケーションを図っているとか。
「イヴァン様」
「あっ、ルークさん」
僅かに気遣わしい顔をしたイヴァン様の顔を見て、私は苦笑した。何事か察してくれたらしい様子で立ち上がった彼は、そのまま私を散歩に誘った。
「ジュディスの様子、どうですか?」
人気のない庭園を歩きながら、イヴァン様が問いかけてくる。それに私は苦笑して首を横に振った。
「挨拶したらそのまま、応答がなくなってしまって」
「あははっ、そうですよね」
言いながら、イヴァン様は溜息をついた。困ったと如実に分かる反応だ。
「どうにも甘やかしてしまったので」
「そもそも、どうしてそのような事に?」
「見た目が私達兄弟とは違うから、それをからかわれて一人だけ養子だなんて言った奴がいたんです。当然母様からの鉄槌が下ってますが」
苦笑したイヴァン様の言葉に、私も遅れながら怒りが湧いた。
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