160 / 162

【日常】新緑の騎士の奮闘記(9)

「なんだ!」  突如として空気が重くなり、私は視線を巡らせる。そしてそこにいたジュディス様を見て、私は固まった。  足元から、氷の華が咲いていく。エメラルドの瞳はどこか虚ろげで世界を映していない。溢れ出る冷気はあっという間に、馬車の中を極寒へと変えた。 「なっ、なんだ!!」  私にナイフを突き立てた男の体は徐々に足元から凍っていく。だが私は守られるように凍らない。無意識にジュディス様が守って下さっているのかもしれない。  だが温度がどんどん下がっているのには変わりがない。出血からか、それとも冷気からなのか意識が朦朧とし、体温が奪われ歯の根が合わなくなっていく。 「こっ、なんなんだ!」 「いやぁぁぁぁぁ!」 「!」  ナイフ男が狼狽し、腰に差していた剣を抜いたその瞬間、ジュディス様は悲鳴を上げた。氷の華が散り、その花びら一枚一枚が鋭い刃となって四方八方へと飛散する。それはナイフ男の体を幾つも突き抜け、それどころか幌馬車を操っている者さえも貫いたのだろう。程なく馬車の揺れはなくなった。 「ジュディス様……」  世界が白くなっていく。尚も温度は下がり続けている。倒れた男達は既に氷の中に閉じ込められた。  私は動かない体をどうにか引きずった。幸いな事にこの寒さで傷口からの出血が収まっていた。手でもがくように前に出て、足を突っ張る。そうしてほんの一メートルほどを移動した私は、そっとジュディス様の体を抱きしめた。 「もう、平気です…大丈夫ですよ……」  細い体が冷え切っている。エメラルドの瞳に、あの柔らかな光が戻ってこない。氷は徐々にジュディス様自身を凍らせようとしている。 「ジュディス様、どうか目を覚まして…お願いです……」  ぴしりとひび割れた氷の華が、不意にその花びらを散らす。飛散したそれが私の背に突き立っても、私はこの体を離す事ができなかった。それに、今更痛みなどなかった。 「ジュディス様…」  私が守れなかったばかりに、傷つけてしまった。恐ろしい思いをさせてしまった。  頬を流れ落ちた涙が一筋。それを見た私は、朦朧とする中で強く抱きしめて、そっと口づけた。触れるだけ、愛おしく。 「泣かないで、私の大切な姫…」  エメラルドの瞳に、光が戻っていく。表情が戻ってくる。同時に冷気は消え去り、氷の華は消えていった。  急速に温度が戻っていって、暑いとさえ感じられる。体が熱と取り戻すのと同時に、体の感覚も戻ってきてしまった。 「っ!」  痛みは薄く、体に力が入らない。息が上手く入ってこないような苦しさに、私は情けなく倒れ込むより他になかった。 「ルーク!」  泣き濡れる声に、返してあげられない。私はそのまま倒れて、完全に意識を失ってしまった。

ともだちにシェアしよう!