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サラサ・アクア・ナズナは可愛い弟の呼びかけを耳ざとく聞きつけた。
ソファからぶわりと身を翻し、立派なたてがみを靡かせてだだっ広い広間を勇ましく駆け抜け、ヒルルが抱くカノンの元へまっしぐら。
「「「グルルルルルル!!」」」
ヒルルがゆっくり下ろしてやればカノンにこぞって擦り寄ってきた。
小さなカノンはパワフルな三つ子兄にグルグルされて楽しそうに笑う。
兄達の頭を均等に撫でてやる。
すると三つ子の尻尾が嬉しそうにパタパタパタパタ。
「「「カノン」」」
ヒトの姿になった黒ずくめの三つ子は小さなカノンをぐるりと取り囲んだ。
「おまえも、ここ、住むのか?」
黒髪に白メッシュ入りの、ワガママ自己中サラサ。
「カノン、ママ、そっくりだ」
片方の瞼に一文字の傷が刻まれている隻眼のアクア。
「カノン、カノン、カノン」
怖がりで引っ込み思案の大人しいナズナ。
ソルルのこどもというより、ソルルの弟のように外見はすっかり成長しきっていた。
「ここ、住め、カノン!」
「寄越せ、サラサ、独り占めすんな」
「ママは? ママ、いないの……?」
しかし中身はまだまだこども、自分勝手で怒りっぽくて甘えたがりだ。
そんな三つ子兄に奪い合いされてカノンが目を回しそうになっていたら。
「はい、終了です」
サラサがぎゅうぎゅう抱きしめていたはずのカノンをするりと取り上げたヒルル。
相手が父のソルルならば三つ子は反抗していただろう。
しかし祖父の大悪魔ヒルルとなると口答えはできない、淋しさをぐっと堪えるしかない。
「「「カノー……ン」」」
涙目にまでなって自分を見つめる三人に弟は小指を立てた。
「またあそぼ、やくそく」
「「「うん、約束」」」
共に小指を立てた三つ子兄と別れて<牙の巣>を抜け、カノンは、ヒルルに抱かれて城の中庭へ出た。
蔦の這う石回廊に四方を囲まれている。
淀んだ池には巨大蛙、枯れかかった木には巨大蝙蝠がさかさまに危なっかしげにぶら下がっている。
「カノン、飛ぶ練習をしましょう」
ヒルルにゆっくり地面へ下ろされたカノンはこっくり頷いた。
それまで背中の内側に締まっていたちっちゃな翼を背中に翻す。
ぱたぱた、翼を揺らめかせ、地面から不恰好に飛び立つカノン。
ヒルルが両手を差し伸べれば空中で不安定にぐらつきながらも革手袋を両手でぎゅっとしてくる。
「ぱたぱた」
「なんて美しい翼でしょう」
「ぱたぱた、ひるる太のより、ぱたぱた、ちっちゃい」
いっしょうけんめい翼を動かして飛んでいるカノンにヒルルは首を左右に振ってみせた。
「きっと我輩の翼より大きく気高く育つに違いありません」
そーかなー。
ぱぱも、ひるる太も、とってもとってもきれーだけど。
かのんのも、ふたりみたいに、きれーになる?
もっといっぱい飛べる?
カノンはヒルルの手を離した。
ヒルルの頭を越えて、高く高く、ぱたぱたぱたぱた。
あ、がんばったら、けっこー飛べた。
さむーい、だけど、たのしー。
もっとうえまで飛べる?
「ぱたぱたぱたぱた」
いつも以上にうまく飛ぶことができたカノンは些か調子に乗った。
ぐんぐんぐんぐん、ぱたぱたぱたぱた。
ちっちゃな翼を動かして飛ぶのに夢中になって。
あれー。
あのお花、きれー。
あれ、ばらって言うの。
とげがあるの。
くろいばらって、かのん、はじめて見る、ぱたぱた、ぱたぱた?
カノンは目についた石造りのバルコニーに不恰好に降り立ってみた。
黒いバラが縦横無尽に絡みついている。
凍てついた夜にあんまりにも美しく輝いて見えるものだから、トゲがあるのも忘れて、小さな指で触れようとして。
「あ」
チクッとした痛みが走ってカノンはびっくりした。
確認してみれば赤い血が指の腹にふわりと零れた。
チクチク、いたい、ばいきんはいるから、あとでばんそーこ。
あれー。
誰かいるー。
カノンはバルコニーに面するガラス戸を……開いてしまった。
通称<蛇迷宮>。
城の者も滅多に近寄らない禁断の領域だ。
「誰」
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