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「あれー」
「どうしました、カノン」
「かのん、息できる、海の中なのに、へーん」
溟海の薄闇を鋭く切り裂いては無数の泡沫を弾く翼。
懐にカノンをしっかり抱いたヒルルは海の中を突き進んでいた。
濡れているという感覚がない、まるで透明な膜に全身を覆われているような、それに呼吸だって普通にできる。
とても静かだ。
そして深い。
まるで海の中を飛翔するように遠い底に向かって前進するヒルルにカノンはぎゅっと抱きついた。
「怖いですか?」
ヒルルの問いかけにカノンはふるふる首を左右に振った。
「ひるる太と、いちゃいちゃ」
正しく他に誰もいないと思われる溟海世界で小さな小さなカノンにくっつかれてヒルルは微笑を深めた。
しかしこの広い広い海で二人きり、というわけにはいかなかった。
この海には主がいるのだ。
「もうすぐです、カノン」
わぁ。
あれ、なーに?
「わぁぁぁぁ!」
「サラサ、サラサがッッ」
蛇化したソドムにぐるぐる囚われて泣き叫んでいたアクアとナズナは揃って驚愕した。
とぐろの中心で自分らと同じようにヒィヒィしていたはずのサラサがすぽんっと引き抜かれたかと思えば。
頭上でぱかぁっと大きく上下に開かれた口に一瞬にして丸呑みにされて。
かつてない衝撃を喰らったアクア・ナズナはさらに怯えて凍りついた……?
「サラサッ、食べられッ」
目の前でソドムにサラサを一呑みごっくんされて、毛嫌いしていたはずなのに、隻眼のアクアは怒り狂った。
「ソドム……ッひどい……ッ!」
あのナヨナヨだったナズナは激昂して瞬時に牙を尖らせた。
巨大蛇にぐるぐる巻きにされていたアクア・ナズナは揃って獣化した。
ライオンにも似た姿形、漆黒のタテガミが美しい魔獣姿となって、真っ白な硬い鱗に牙と爪を立てた。
チクチクするような痛みに愉悦したソドムは敢えて解放してやる。
<牙の巣>に轟くような父親譲りの咆哮を上げ、さっきまでの怯えはどこへやら、アクア・ナズナは呪わしい蛇と眼光鋭く対峙した。
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