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千里はカノンをぎゅぅぅぅっと抱いて回廊を去っていくリリーの後ろ姿を視界から消えるまで見送った。
その背後でスキップしながら振り返っていやに長い舌で「あっかんべー」したソドムに気づく余裕もなく。
「千里さん」
強張っていた肩を両手で抱かれて、振り返れば、舅にして大悪魔のヒルルがやはり無駄に美しく微笑んでいた。
「リリーに許されましたね」
おめかしカノンを恭しく取り上げて自分の懐に丁重に仕舞い「我輩もカノンと共にチャペルで待っています」と告げ、ロングスーツの裾を緩やかに翻し、その場から立ち去った。
「千里」
隣に立つ悪魔夫ソルルに呼ばれて千里は横を向く。
「行くぞ」
滅多に見られない悪魔の笑顔に人間男嫁はつられて笑った。
「あれ、そーいやぁルルラルちゃんは?」
「ルルラルは向こうに戻った。家出した身だからな。おふくろに見つかるといじめられる」
「チャペルってあれか?」
「そうだ」
「なんかぼろくね?」
「千里」
「ん?」
「お前には惚れ直してばかりだ」
結婚式前にフライングして千里にキスした悪魔なのだった。
天井に夥しい亀裂が入った朽ちかけのチャペル。
木造長椅子にずらりと着席した参列者らはほぼ悪魔。
だってここは悪魔界。
永い闇夜に囚われて凍てつく世界。
美しき大悪魔は何よりも愛らしい混血なる結晶を横にしてオルガンを奏で、その奥方様はお気に入りの大蛇を寄り添わせて沈黙に耽る。
魅入られた悪魔の待つ祭壇に一人で臨む人間男嫁。
見ず知らずの参列者らに見つめられて緊張した面持ち、漆黒の群れの中に唯一の白がよく映えている。
そして。
ソルルに見守られてぎこちなく通路を進んでいた千里はやっと見つけた。
「「「ママ」」」
最前列に並んで座っていた三つ子。
黒髪に白メッシュのサラサ、隻眼のアクア、大人しいナズナは揃って千里を呼号した。
あれ?
俺の方こそ子離れできてねーじゃん?
我慢できずに……千里はダイブするように最前列に突っ込むなり三つ子を力いっぱい抱きしめた。
今日という日を用意してくれたいとおしい我が子らを一度にハグした。
「ママ、やっぱりきれーだ!」
「よかった、よかった、ガゥゥゥゥッ」
「ママ、しあわせそう、会いたかった、グルルルルルルルゥ」
もう何だよバカヤロー泣かせんじゃねーよチクショー。
「幸せそう、じゃねーよ、幸せなんだよ」
サラサアクアナズナ、お前ら、俺より幸せになってくれよ。
「つーか、え、で、どーすんだっけ? 神父様とかいねーの?」
「悪魔界に神父はいらん」
「え、じゃあどーすんだよ? ちょ、あれ、ソルル、っ、っ」
ぶっちゅーーーーーーーーーー!!
「んぶぶぶぶぶぶっ!!んぶーーーーーー!!」
「ママ、すごい! 背中が逆に折れ曲がってる!」
「うるさい、サラサ、ちょっとは静かにしろ」
「あ、パパに押し倒された、ママ……」
「ぎゃーーーーっやめろこのドエロ悪魔っ公衆の面前でっ!!」
「カノン、お外へ行きましょう、おままごとしましょう」
「ひるる太と結婚式ごっこ、する」
かくしてデーモンウェディングは公開初夜(?)で幕を閉じ……。
「叔父さん、待ってたよ」
「千里、おめでとう、そんな恰好するの七五三以来じゃないのか」
千里は何度も両目ぱちぱち。
結婚式……というより悪夢のサバトじみた公開プレイは必死こいて懇願して何とか免れて、チャペルはいきなり二次会モード、ガスマスク燕尾服バンドによるエモなライブが始まって大盛り上がり、どんちゃん騒ぎのカオス状態……。
ソルルは速やかに人間男嫁を人間界へ戻した。
出会った場所へ。
白昼の逢魔野家へ。
「ソルル兄様の希望通り、からあげいっぱい作ったのです!」
兄の志樹、甥っ子の黎一朗、突拍子もなくあかんぼう返りして「りりるる、りりるる」と鳴く我が子を抱いた乙女雄悪魔ルルラルに出迎えられて。
悪魔界と人間界の行き来に時差ボケが生じてポカーーンな千里。
そんな人間男嫁の肩を我が物顔全開で抱いた優等生悪魔。
「お前のもう一つの家族だろ、千里」
「あ……れ、カノンとサラサアクアナズナは、」
「兄にゃんらはヒルル様が見てるにゃ」
自由気ままに動き回る末っ子の黒猫カフカを見つけた千里は堪らずぎゅうううっ、した。
「きひっ、ままにゃん、くすぐったいにゃ」
「カフカぁ~、お前だけはずっと俺のそばにいてくれ~」
「俺がいるだろーが、千里」
「ていうか、早く家に上がってください、目立つんで」
「せっかくだし記念写真の一枚でも撮ろうかなぁ」
「からあげぱーてぃー始めましょう!」
表逢魔野家にも祝福されて、晴れて悪魔の花嫁になった千里、なのだった。
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