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第1―18話
そして三上はすっくと立ち上がり、
「兎に角、今日のところは面会を許可します。
羽鳥さんがあなたを待っていますからね。
但し、羽鳥さんに明日も来て欲しいと言われたら、何か来られない理由を作って断って下さい。
面会の後、ここでまた話をしましょう」
そう一気に言うと、吉野の返事も待たず扉に向かう。
ピッと電子音がして扉の開く音がする。
吉野は「待って下さい!」と涙ながらに叫んだ。
三上は黙ったまま、振り返らず研究室から出て行く。
吉野は荷物を掴むと三上の後を追う。
扉が自動でカチャリと鍵が閉まる微かな音がする。
その音は何故だかまるで雷のように吉野の耳に轟いた。
三上は羽鳥の部屋の前まで来ると立ち止まった。
「吉野さん。
今日、羽鳥さんに見せる物があれば、確認させてもらえますか?」
吉野は「はい!」と言うとバッグからクリアファイルを取り出し、三上に渡した。
三上が眉間に皺を寄せる。
「今日は昨日の漫画のストーリーを書き直した物ですね。
いいでしょう」
吉野は深々と頭を下げると「ありがとうございます」と言った。
羽鳥は昨日紙を食べた事など無かったかのように普通だった。
吉野の直したプロットを見た羽鳥は「凄くいいな。ネームが楽しみだ」と笑顔だ。
吉野はテーブルにプロット表を置くと、椅子に座る羽鳥の前に周り、しゃがんで羽鳥の固定された両手に両手を重ねた。
そして羽鳥を見上げる
「トリ、明日ネームをある程度完成させたいんだ。
だから明日は面会に来られない。
大丈夫?」
羽鳥はじっと吉野の大きなタレ目気味の瞳を見つめると、微笑んだ。
「吉野がこんなにやる気になるなんて槍でも降るんじゃないか?
俺なら大丈夫だ。
ただそのプロット表を置いていってくれないか?
俺も色々と考えたいから」
「分かった!
じゃあ一度三上先生に預けてトリに渡してもらうから。
それと俺のやる気はいつもだかんな!」
顔を赤くしてぷうっと頬を膨らせる吉野に、羽鳥は堪えきれないようにプッと吹き出すと声を上げて笑った。
そしていつものさよなら代わりのキスをすると、羽鳥はいつもの通り眠ってしまった。
吉野はそっと羽鳥から離れると、ベッドに備え付けてあるナースコールを押した。
それから吉野は面接用の服から自分の服に着替え、三上の研究室の前にあるソファに座り三上を待った。
三上は15分もするとやって来た。
「吉野さん、お待たせしました。
さあ、どうぞ」
三上がネームプレートのバーコードで扉を開ける。
三上に続き、吉野も「失礼します」と小声で言って研究室に入った。
だが三上は扉が閉まるのを確認すると、吉野を残し部屋の奥へと姿を消した。
吉野がおずおずと毎日座っているソファの位置に座る。
三上は初めて紅茶を淹れてくれたカップなど一式をトレイに乗せて、5分程で部屋の奥から戻って来た。
そして吉野と自分の前に華奢で花柄の美しいカップとソーサーを置く。
三上がカップに口を付けると、吉野もカップに砂糖とミルクを入れてくるくるかき回わし一口飲んだ。
すると三上がゆっくりと言った。
「吉野さん。
吉野さんが昨夜お友達と話したことを全て話して下さい。
勿論、お友達とのプライベートな事柄は省いてもらって構いません」
吉野は一言も漏らすまいと、思い出せる全てを話した。
「これで全部です」
吉野は小さな声だがキッパリと言った。
三上が頷く。
「まず最初に言っておきます。
あなたが友達という第三者の他人に、羽鳥さんの病状を主治医の私や羽鳥さんのご両親の承諾を得ず話したことは間違っています。
どんなにあなたが羽鳥さんが心配で、どんなにそのお友達が羽鳥さんとあなたと親しくて、どんなに頼りになったとしてもです」
吉野がテーブルに付くくらい頭を下げる。
「本当にすみませんでした」
「明日、羽鳥さんのご両親が面会にいらっしゃいます。
丁度明日でご両親と約束した一週間目ですので。
それで吉野さんの面会を辞めて頂いたんです。
羽鳥さんのご両親はあなたと羽鳥さんの面会を邪魔したく無いと、面会は無理でも部屋の監視用の窓から、覗くことすらしなかったのですよ。
それ程あなたを信頼しているんです。
それなのに、あなたは自分勝手な判断でご両親を裏切る行為をした」
「…ご、ごめんなさ…すみません…」
吉野は何とか泣かないように、奥歯を噛み締めた。
「あなたの軽率な行動をご自身で理解して下されば、私はこの件についてもう何も言いません。
では本題に入りましょう」
三上が冷えた紅茶を飲み干す。
吉野は膝の上で両手をぎゅっと握りしめていた。
三上のバリトンが研究室に穏やかに響く。
「まず、あなたと羽鳥さんの学生時代からのお友達という柳瀬さんの『羽鳥さんの考え方がキリスト教に偏っている』という推測はかなり極端な考え方で、ハッキリ言えば間違っています」
「…え」
吉野はビックリして三上の顔を不躾なくらい見つめてしまった。
三上は平然と吉野の視線を受け、穏やかなまま続ける。
「例えば吉野さんだって日常生活や仕事で、困った時や願い事がある時に『神様お願いします』や『神様の意地悪』くらい考えたことはありませんか?
それはキリスト教では無い。
日本人の宗教に関する考え方は寛容的であり、尚且つ曖昧な面を持つことが多い。
簡単に例えれば、日本人は正月にお寺や神社にお参りに行き、クリスマスを祝い、ついでに言えばハロウィンで仮装してパーティまでするというやつです。
羽鳥さんの『神様』はそういう『神様』なのです。
あなただって『神様!』と心で叫けばずにはいられない人生の一瞬があったでしょう?」
「で…でもっ…」
吉野は思い切って口を開いた。
「トリは俺を天使だと言います。
神様に愛されてるとまで。
それに神様の許可と言ったり…。
それに…それに…高野さんのサインを『悪魔のサイン』って表現してます!」
必死に言う吉野に、三上は平然とした表情を一変し、悲しげに吉野を見ると言った。
「羽鳥さんの『神様』は、吉野さん、あなたが『天使』であることを前提に始まった『羽鳥さんの世界』の思想なのですよ」
「俺から始まった…?」
吉野は訳が分からず反射的に自分の頬に手を触れようとする。
だがその手はテーブルのカップに当たり、花柄のカップはテーブルに倒れた。
ガチャッと小さく陶器が割れる音がする。
カップの欠けた破片は午後の日差しを受けて、小さな小さな破片になっても尚、美くしく煌めいていた。
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