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エフアンドティー
今日は久々にあいつが一人で出掛けると言っていた。俺も出掛けるかもしれない、と言葉で伝え、しばらく家の片付けをしていた。
ようやく終えたときにはいつもの姿はなく、抜け殻のように服が残されていた。
俺も急いで外に出る格好をする。底冷えのする日は去って徐々に暖かくなってはいるものの、寒いものは寒い。帽子を耳まで被り、コートにマフラーを巻く。これで準備万端だ。
数日ぶりに家の外へ出る。狭い路地を抜け出して広い道路へ出ると人の波。正直通らなければならないとき以外は避けたい、いや、通らなければならないときでも避けたい。
俺は人の気配を感じないように、無心になってその先にある目的地へと向かっていく。
ここ数日のあいつは少し様子が違っていた。きっと疲れている、そう思って全身全霊を込めて様々なことをしてみたが、いまいち効果が期待できなかった。
次の手段だ、と新しいことをするために、本当は別に外に出て買いに行く必要はない。しかし、俺はあいつのために自分の目で見てものを選んでやりたい。
そのタイミングを待ち続けていたらすぐにやって来た。それが今日だ。
俺のような男があまり寄らないような店へと入っていく。落ち着いた照明が独特の香りを放つそれらをほんのりと照らしている。
店員の穏やかな声が俺に話し掛け、遠目で俺の姿を観察している。そんなことを気にせず、俺は商品を眺める。
「何かお探しでしょうか?」
ずっと眺めていると案の定話し掛けてきた。
「疲れを癒やすようなものをください。好みは特にありません」
俺は手短にそう伝える。あまり店員と長く話すのは正直好きではない。いつもであればすぐに決めてすぐに会計を済ませるが、あまり買わないものの上にあいつのためにと考えると時間が掛かってしまった。
「そうですね……」
そう言いながらも、俺が求めていると思われる商品をてきぱきと選んでいく。正直俺にはその区別が付かない。俺はただじっと待つ。
しばらくすると、数種類のサンプルを持って戻ってきた。
「お待たせ致しました。こちら今の時期限定のものになります。花の柔らかい香りが特徴となっており、さっぱりとした味わいとなっております」
カップに淹れられた茶色い液体を飲む。確かに花の香りがし、すーっと鼻腔を抜ける。なかなか美味しいが、あいつはあまり好んで飲むような味ではない。
俺はそっとカップを戻す。
「次をお願いします」
「はい。こちらは定番の商品となっておりまして、甘酸っぱい酸味が特徴となっております」
これはたまに買っているものだ。馴染んだ酸味が広がっていく。
しかし、ここ数日そっと出していたしあいつも飲んでいたが、あまり効果は期待できない。
「こちらはいかがでしょうか? 最近入荷したもので独特の香りとなっております。お好みでハチミツもどうぞ」
最後の説明が気になり、俺はまず一口飲む。
今まで味わったことのない香辛料のような香りが広がる。俺は割と好きだが、あいつはどうだろうかといったところか。
続いてハチミツを加えてみる。甘い風味が軟らかさを増していき、受け入れやすいものとなった。
これなら問題ないだろう。
俺はカップを戻して前を向く。
「こちらを一つお願いします。あとハチミツも」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
店員に案内されながら、俺はレジへと向かった。
丁寧に梱包された茶色い包みを持ちながら、俺は来た道を急ぎ足で戻る。早く冷え切った身体を温めたい。
人混みを早く抜け、ようやく落ち着ける場所が見えてきた。静かに建物の中へと入っていく。
コツコツと音を響かせて階段を駆け上がり、一歩ずつ部屋に近付いていく。もう少し、あと少し。
そして入り口のドアが見えた。俺は全速力で駆け上がり、勢いよく開けてバタンと閉じる。
玄関の照明は点いており、あいつの靴が置かれていた。どうやら先に帰っていたようだ。あいつの荷物が積まれた廊下の床を踏みながら、奥へと進んでいく。
そこには、唯一片付けられたソファに寝転ぶあいつがいた。
「ただいま」
「おう……おかえり。ただいま」
「はい、おかえり。俺の方が早かったね」
俺の方を見ながら笑顔を向けてくる。いつも通りの表情に、俺は安堵しながら買ったものをソファ横のテーブルに置いてから防寒着を脱いでいく。
そういえばあいつは一体何をしに行っていたのだろうか。
俺の姿を凝視してくるあいつの周辺を見渡す。本人にとっては整っている、雑然とした風景からは特に変化が見られない。一体何をしに出掛けたのだろうか。
「どうした?」
そのままの姿勢で俺に話し掛ける。俺は脱いだものを片付けて再びあいつを見る。よく見ると、あいつの顔の横に何かがある。近付いてその正体を確認する。
これは何かの草のようだ。いや、花か。
「どう、似合う?」
「……悪くない。どうしたんだ、それ?」
「拾ってきた。これなら食べたいって思えてきた、ナズナ」
どこで拾ってきたんだ。だが、自ら食べたい欲を見せてくれたのはありがたい。どう調理しようか。
「ところで、何買ってきたの?」
あいつは俺が買ってきた袋を開けて中身を確認する。
「ローズマリー……。紅茶か。それとハチミツ。くくっ……」
笑いの意味は全くできないが、どうやら喜んではくれているようだ。ソファに顔を埋めながらそのまま笑い続け、そっと手を離してしまった。
それらを俺は手にし、そのままキッチンに向かう。
「美味しいやつ淹れてやるからちょっと待ってろ」
俺の領域であるキッチンへ向かい、買ってきたばかりのものを置いてケトルを手にする。水を淹れたそれを元の場所に戻し、スイッチを入れる。
待っている間に、カップとソーサー、ティーポット、ハチミツを入れる器を用意する。ハチミツは適量をスプーンで掬い、器に入れる。とろりとしたハチミツは、器の中ですぐに平らになっていった。
カチッ──
沸騰したことを知らせる合図が鳴る。片手にケトル、もう片手にカップ二つと蓋を外したティーポットを持ち、流しへと向かう。
沸かしたばかりの湯を流しの横に置いたそれらに入れ、ケトルが空になったところでもう一度水を入れて同じ作業を繰り返す。
同時に、入れたばかりの湯を捨てて再び空にしてからケトルの近くへと戻す。
茶葉を適量ティーポットに入れ、俺は再び沸くまで待つ。
こうした手間は一人だと面倒そのものであるが、あいつのためと思うとそんなことはなくなる。
そして近くに運んでいる間にも沸いた合図がし、俺はケトルを手にして勢いよくティーポットに注ぐ。二人分を淹れ、蒸らすために蓋をする。
暇になったと思い、遠目であいつの姿をちらりと覗くと、ソファに寝転んでいるのは変わらないが端末を手にして何かを調べていた。内容が気になりじっと見ていると、俺の視線に気付いたのかあいつがこちらを向いてきた。
気恥ずかしくなり慌てて隠れるようにティーポットの前に戻り、程よい加減になった紅茶を淹れる。
店で感じた独特の香りが漂う。思わず香りを楽しんでいる自分がいた。
いつもの手際で淹れ、カップをソーサーに乗せる。それらをさらにハチミツと一緒にトレーに乗せ、あいつの待っているところへと運んでいく。
「おまたせ」
テーブルに並べていると、あいつは端末から離れてきちんとソファに座る。俺が座るスペースもきちんと作り、俺が座るのを待っている。
「いつもと違う感じだね」
「ああ。たまにはな」
「それじゃ、いただくよ」
あいつはそっとカップを手に取り、まずは香りを楽しんでいる。横目にその姿を見ながら俺もそっと手を付ける。
ようやく口元にカップを近付けていき、その中身があいつの中へと入っていく。
いつもより少ないところで離れ、俺の予想通りあまり好みではないという表情を浮かべていた。いつもなら気に入らないものであればもう口にすることはないが、今日はまだハチミツが残っている。
あいつは器半分ほどのハチミツをカップの中に入れ、再び飲んでいった。
ガラリと変わった味に目を見開いて驚き、しばらく無言で飲んでいた。
気に入ってくれてよかった。これであいつの疲れも吹っ飛んでくれればいいが。
俺は喜びが露わになるのを抑えながら、無言で飲んでいく。たまにはいつもと違う系統の味も悪くない。
「これは結構いいね」
「ほとんどハチミツだろ」
「あはは、そうだね」
そう言いながら、空いている左手が俺の方へ伸びてきた。そのまま俺の頭の上に乗り、ぽんぽんと優しく撫でてきた。
「俺が疲れてるから買ってきてくれたんだよね。ありがと」
「……お、おう」
それだけ言うと、飲み干したカップを置いてどこかへ言ってしまった。
日頃から感謝はあるが、行動まで伴うことはなかったのでなんだか照れくさい気分だ。だが、たまには悪くない。
俺もようやく飲み終わり、片付けようとしたところであいつが置いていった端末が目に入る。あいつが採ってきたナズナをどう調理しようか調べようと思い、手に取って画面を開く。
『ナズナ。花言葉はあなたに私のすべてを捧げます』
『ローズマリー。花言葉は変わらぬ愛』
「あ……」
画面に映し出された説明を読む。無機質な説明が開かれていたが、俺の何かを抉るような気がしてならない。
あいつが笑っていたのはこのことか。
俺は急に自分の選択を恥ずかしく思い、端末を持ったままその場に項垂れて動けなくなっていた。
(この作品は第8回Text-RevolutionsのWebアンソロに参加した作品です)
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