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第10話

次の日。 またも吉埜は用事を頼まれ、ただでさえ長くはない貴重な昼休みの時間を、担任の河野の為に使っていた。 「河野ー、なんで俺ばっかり用事を押し付けるわけ?」 「渡来が可愛いからに決まってんだろ。愛情だよ愛情。っていうか呼び捨てにすんな」 「横暴教師なんて呼び捨てで充分だろ」 「ほ~、言うねぇ…。もっと用事を増やしてほしいか」 「すみません河野様」 「はい、このホチキス止めも追加」 「は?!馬鹿言ってんな!」 「誰が馬鹿だって?」 「河野様」 「………」 似たものコンビとでも言おうか…、この2人のやり取りに嫌味はなく、職員室という同じ空間にいる誰もが面白そうに見守っていた。 頼まれた資料を職員室にいる河野の元に運んだはいいが、追加とばかりに資料の山を示された吉埜は、手渡されたホッチキスを河野の手に無理矢理押し戻して職員室から逃走した。 後ろから、聞き覚えのない他の教師の「あ、逃げた」という声が聞こえたけれど、知るか、もう付き合っていられない。 職員室から出て、開けっ放しにしてあった扉を勢いよく閉める。 職員室と廊下が区切られた事でようやく一息ついた吉埜は、扉の脇に古賀が立っている事に気がついて目を瞬かせた。 「あれ?もしかして呼び出し?」 「違うよ。渡来君を待ってた。手伝えなかったから、せめてここで待ってようかと思って。…昼休みなのにお疲れ様」 「………」 なんでもないようにお迎え宣言をされた吉埜は、なんだか妙にくすぐったい気持ちになって顔を緩ませた。 予鈴まではまだもう少し時間があるから…と、慌てる事なくのんびりと教室へ向かう2人の姿に、女子からの視線が集中している。 憧れなのかなんなのか…、少数ながら男子からも好意的な視線を向けられているのを感じた2人は、互いに目を合わせた。 「古賀ってホントモテるよな」 「渡来君は男女関係なく人気あるよね」 同時に発した言葉の内容に、思わず苦笑する。 お互いが、この視線は自分に向けられているものではないと思っている。 まぁどっちでもいいか。吉埜は肩を竦めた。 この校舎は、1階から5階まで続く階段が、廊下の両端と真ん中の計3か所にある。 昇降口から近い手前二か所の階段は利用者が多いけれど、いちばん奥の階段は遠いせいかあまり利用する者はいない。 だから…というわけでないが、2人はその奥の階段を使う事が多い。 今も、どちらからともなく向かうのは奥の階段。 午後の授業が近づいてきた事と、元から利用者が少ない事で、その階段まで辿り着いた時には周囲に人気がなくなっていた。 視線がなくなった事により無意識に気が抜けたのか、吉埜は、階段を上っている途中で足を踏み外して体勢を崩してしまった。 背中にヒヤリとした冷たい汗を感じたのは一瞬で、次に、落ちるかもしれないという焦りが一気に噴き出す。 あっ… グラッと揺れる視界。体勢を立て直そうとバランスを取ろうとする身体。手すりを掴もうと動く手。 それでも、 (あ…、ダメだ…) どうにもならないと判断がついた吉埜は、ここがまだ階段の真ん中あたりで良かった…、なんて事をこの一瞬の間に思ったりもして。 数秒の間に、自分の中で色んな反応が起きて、最終的に諦めと、受け身を取ろうと考える思考へ目まぐるしく移り変わる。 身体が後ろへ傾き、衝撃に備えてグッと堪える準備をする。 だが…。 …ポスッ… 目をつぶった吉埜の背に当たったのは、温かな何か。 更に、両脇から伸ばされた腕が吉埜の体を包み込む。 「…ビ…ックリした…。大丈夫?」 背後から顔を覗きこんできたのは古賀の端正な顔で…。 「…………え?」 状況がよくわからない吉埜は、数秒の間そのまま固まった。 そして、落ちそうになった自分を、一歩後から上ってきていた古賀が抱きとめてくれたのだとわかった瞬間、ボッと火を噴きそうな勢いで熱くなった顔をそのままに慌てて体勢を立て直した。 「わ、悪い!助かった!」 自分達の他に誰もいない階段で、その声が響き渡る。 なんとも言えない居たたまれなさに、吉埜は恥ずかしくなってすぐに飛び離れた。 後ろから抱きとめられた時に感じた、しっかりとした頼れる古賀の体になぜか動揺してしまった。 そして、一見何事もない風に見える古賀も、初めて抱きしめた吉埜の華奢な体とその感触に、内心で激しく動揺していた。

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