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第15話

「渡来君!」 走る吉埜の耳に聞こえた古賀の声。 まさか追いかけてくるとは思わなかった吉埜は、すぐ後ろまで迫っている古賀に気付いて目を瞠った。 いつでも受動的で、相手が拒否の空気を醸し出せば何も言わずに身を引いていた古賀が、いくら吉埜相手だとはいえ、追ってくるなんて思いもしなかった。 2人の身長差、約12センチ。勿論のこと、足のスライドが違う。 それに、素質があったのだろう…、高校に入ってからの古賀の運動能力の高さは学年でもトップレベルにまでなっていた。 そんな古賀に追いかけられて逃げ切れるはずがない。 何も考えず近くにあった扉を開けて中に飛び込むと、そこは音楽室だった。 放課後になったばかりでまだ誰もいない室内を通り抜け、奥にある準備室の扉を開けて入り、古賀が入って来れないようにすぐさま扉を閉める。 けれど、それは一歩遅かった。 閉めようと手前に引き寄せたそれはガツッという衝撃と共に止まり、急いでいた為に適当に掴んでいたノブは簡単に手から離れてしまった。 引っ張る力のなくなった扉はなんの抵抗もなく開き、後を追ってきていた古賀が姿を現わす。 「………」 「………」 それまでの勢いなどなかったように静かに入ってきた古賀は、後ろ手に扉を閉めた。その表情はいつもの穏やかなものと違い、無表情。 優しい表情が消えると、古賀の顔は案外男らしく見える。 パニックしている頭とは裏腹に、心の片隅でのんきにそんな事を思っている自分が物凄く可笑しかった。 「…なんで…、ここまで僕の事を避けるのか、聞いてもいい?」 シン…とした静寂の中で、今まで聞いた事がないような硬質的な古賀の声が、空気を震わせた。 途端に、吉埜の中に苛立ちが湧き起こる。 最初に距離を置き始めたのは古賀の方だ。それなのに…。 「………古賀だって、俺を避けてるだろ」 「………」 吉埜の一言に、古賀は口を閉じた。 どことなく気まずそうな様子に、吉埜の中の苛立ちが増す。 何故ここまで苛立つのか、もう自分でも何がなんだかわからない。 もしこれで、またいつものように穏やかに受け流されてしまったら…。 そう考えると、いてもたってもいられなくなった。 なんとしてでも、古賀の感情を荒立たせたくなった。 簡単に受け流す事ができないほど、困ってしまえばいい! 「…なんで俺がお前を避けるのか。それは…、……俺が…」 「………」 「俺が、恋愛対象として古賀の事を好きだからだよ!」 「………え?」 案の定、古賀の顔に驚愕の色が広がった。見開いた双眸で吉埜の事を凝視する。 その表情を見た吉埜は、口元に自嘲の笑みを浮かべた。 「男に惚れられるなんて、気持ち悪いだろ?だから、…避けてたんだよ」 「渡来君、僕は…」 もうどうにでもなれ。 そんな気持ちで自棄になったように言う吉埜に、古賀は焦ってしまって言葉が出ない。 まさか吉埜が自分を好きになってくれるだなんて思ってもいなかった古賀は、これは夢なんじゃないかと、気が遠くなりそうな驚きの中にいた。 …だって、これではまるで両想いではないか。 古賀は、『両想い』という単語が頭に浮かんだ瞬間、一気に血が上ってくるのを感じた。きっと顔は真っ赤になっているだろう。 それに、気持ち悪いだなんて…、何か誤解をされている。 「渡来君、違う。…僕も渡来君の事が、」 「でも、この前、朋晴から好きだって告白された。…俺、朋晴と付き合おうかと思ってる」 「………え?」 「…お前に気持ち悪いとか思われたくないし、できるだけ近づかないようにするから、お前もこんな俺に近づかなくていいよ。…藤川との事、応援してるから」 「………」 吉埜の驚くべき発言に、一気に駆け上がった古賀の感情は、一気に急降下した。 好きだと言ったその口で、今度は朋晴と付き合うと言う。藤川との事を応援するとまで言った。 古賀の頭の中で、混乱と焦燥と苛立ちともどかしさが混じり合い、それが激情へと変わる。 何かを言いたいのに、その塊が大き過ぎて、喉の奥に詰まって言葉が出てこない。 焼き切れた理性の糸と噴き出した感情が、古賀の身体を衝き動かした。 「……古…賀…?……ッ!?」 目の前の腕を勢いのままに掴んで引き寄せ、その華奢な身体を抱きこむ。 驚愕に固まる吉埜の後頭部を抑え込んで、柔らかな唇に自分のそれを押しあてた。 突然の事に、吉埜は抵抗も出来ず茫然と固まる事しか出来ない。 古賀がいったい何を考えているのか、どういうつもりでこんな事をするのか。意味がわからない。 切なくて苦しくてたまらない。 混乱してグチャグチャな状態で受ける意味のない口付けに、吉埜の瞳から涙が零れ落ちる。 どうして、どうして、どうして…。 そして、咄嗟の行動から少しだけ落ち着きを取り戻した古賀は、ゆっくりと唇を離した。 それと同時に、間近で見る吉埜の涙に気が付くとハッと我に返り、戸惑いながらもさっきとは裏腹の柔らかい力で腕を解く。 「…藤川さんは、友達だよ。僕が好きなのは、渡来君なんだ…」 「………な…にを…」 唇の次は告白。 次々に降り積もる出来事に、吉埜の思考回路は見事に固まった。 涙で濡れた目を瞬かせながら古賀を見つめるその顔にはハッキリと、意味がわからない、と書いてある。 そして次の瞬間、吉埜はいきなり走りだし、古賀の横をすり抜けて準備室を飛び出した。 「…ッ…渡来君?!」 何がなんだかわからずに混乱したのは、古賀の方も…だった。 まさか、このタイミングで逃げ出されるとは。 吉埜は、そんな古賀を置き去りにして、限界の限りの力を振り絞って廊下を駆け抜けた。

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