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Ⅹ-3

   ※  ※  ※ 〝ここのところの陛下の色好みは、とても捨て置けるものではない。  王妃はとても嫉妬深い御方だ。つい先だっても陛下の子を身籠もったというメイドを、すっかり身包みを剥ぎ、ひどく鞭打たせたうえで放逐した。  結局のところ、かのメイドの懐妊は虚言であったようだが、いまの陛下のご様子では、いつかまた同じことが繰り返されてもおかしくはない。  王妃は名門オットーの出。いつ起こるともしれないヴィルマーユとの戦に備え、強大な人脈をもつオットーの反感を買うことだけは避けたい。  憎きクレールに代わって我らダルマンが守ってきた〝キルレリアの賢王〟を、このようなところで絶やすわけにはいかないのだ。〟 〝午前。東国から巨大な商人の一団がやってきた。  香や織物、香辛料など取り扱うというが、貴族や王族、払いのよい者には珍しい器なども商いの品に加えるらしい。陶器に目がないコリーヌは陛下に自ら嘆願し(私の目を盗んで!)商人たちを館へ招いて品を並べさせたというが、コリーヌには(いくら妻といえども、こればかりは理由を明かせないが)私の愁事からずいぶんと苦労をかけているから、彼女の気に入る器のひとつやふたつ、買ってやってもよいかもしれない。  それにしても、団長の娘とやらはとても可憐で美しい。顔だちはまだ少女のように幼いが、東国の女というものは一様にあのように透けるような肌と美しい瞳をもっているのだろうか。  あの美貌を保つためのなにか特別な品があるのなら、コリーヌに買ってやろう。たいそう喜ぶにちがいない。〟 〝商人たちは今日も王宮に招かれている。もちろん、あの少女も一緒に。  陛下といえば、東国の珍しい品よりも商人たち自身にご執心のようである。一団はあと数日ほどでキルレリアを出立する予定であるが、滞在をあとひと月延ばしてはどうかという陛下のご提案だ。そのあいだ王宮へ部屋を用意しようとも。  もちろん彼らにも都合があろうし、予想通りその申し出は断られた。陛下は残念そうである。  一体彼らのなにが、王のご興味を引いたものか。〟 〝先の日記からずいぶんと時が過ぎてしまった。  そのあいだ私の身に起こったことは(ああ、起こったのではなく、私自身があのように恐ろしいことをしでかしたのだ。それを忘れるな)本来ならばダルマンの歴史を記すときめたこの手記に残すべきではないのかもしれない。  しかし、この胸を襲う罪悪感を密かに心に留めておくにはもう限界だ。コリーヌにも言えない。いや、もしコリーヌがこの日記を目にしてしまったときのために、ひとつだけ書き加えておこう。  私は妻を裏切ったのではない。少なくとも、私自身は。  ペン先が震えて字を書くのが困難だ。  続きは明日にしよう。〟 〝私は権威と歴史をもったド・アルマンの当主として、またそう遠くないところにキルレリアの誇りと血を継ぐ者として、永きにわたり陛下にお仕えしてきた。臣下として、ときには若き日をともに過ごした友として、彼の方へ誠意をもって諫言してきた。しかし、今回ばかりはなにをどう諭しても無駄なのだ。  陛下はすっかり我を失ってしまった。あの娘の美しさに、王、そして誠実な夫の理性をすっかりうち捨ててしまった。もはやあの娘への恋情を隠そうともなさらない。必死になって娘の存在を隠そうとしているのは、我々家臣だけである。  唯一の救いは娘が(我々が彼女の愛する家族から無慈悲にも一夜にして奪い去った、あの無垢な少女が)欲の一片も見せないことである。彼女は終始怯え、そしていまも王宮の片隅で恐怖に震えている。おそらく、彼女はこのまま陛下へ心を許すことはあるまい。  もはや彼女にとって、人生は辛く悲しいものとなってしまった。  すべて私のせいだ。  私が陛下の『あの娘が手に入れば、王としてこれからは真摯に民と向き合おう』という言葉を、愚かにも信じてしまったばかりに。  悔やんでも悔やみきれない。  我ら臣下が決死の想いで守ってきたキルレリアの聖性は、当代の王ですべての民、すべての国に露見することになるだろう。〟 〝昨夜、あの娘に子が生まれた。陛下の御子であることはまちがいない。  不思議なことに、ふたりのうちひとりは(彼らは双子だった。娘は小さな身体で一度は命を落としそうになりながらも、なんとか子を産み落とした)陛下によく似た明るい色の髪と碧い目、そしてもうひとりは母親に似た髪色と瞳の色をしている。双子といえども、こうも見た目が違うものだろうか。顔だちも、似てはいるが髪色でずいぶんと違ってみえるものである。  彼らはこれからさき、どのように生きていけばよいのか。  彼らにとってこの世界は(彼らの母にとってそうであるように)辛く、悲しいものとなるであろうが、その責任の一端を担う者として、私は彼らにできうる限りのことをしてやりたいと思う。〟 〝なんということだ! 今日、陛下が驚くべきことをおっしゃった。  双子のうちひとりを将来、ヴィルマーユへ送るというのだ。たしかに現在あちらにいらっしゃるエーミール殿下はご高齢で、いつ儚くおなりになるかわからない。順番からいえば、陛下の大叔父にあたるエーミール殿下の次は、いま王妃とのあいだに生まれた4人の殿下のうちのどなたかである。  陛下は4人の殿下を手放したくないのだ。私は王妃が何度も、息子や娘を敵国へ送り出したくないと(ときには恐ろしいほどの癇癪をともなって)陛下へ懇願なさる姿を目にしている。陛下のお心もずいぶんと揺れていたようだった。  とはいえ、双子まだ小さい。ヴィルマーユへ送られるまでは、少なくともあと数年あるだろう。またそのあいだに、彼らは王子としての公的な身分を得る必要がある。  いや、彼らではない。『彼』だ。  人質はひとりでよい。そしてもうひとりは(いや、ここから先を考えるのはやめておこう)。  とにかく、髪色の明るい子。これまで陛下の関心をなにひとつ得られていない名もない子が、明日ド・アルマンへやってくる。  彼にはフランソワ・フロリアンという名が与えられた。我が家でしばらく暮らしたのち、頃合いをみて王宮へ戻されることになるだろう。今度は、王子として。〟 〝またずいぶんと日が空いてしまった。  娘が黒髪の子を連れて行方をくらませてからというもの、陛下の落胆ぶりはすさまじい。  私自身、命を失う危険はあったが、自分のしたことに後悔はしていない。  これが私が彼女にできる、たったひとつの贖罪だろう。〟 〝フロリアン殿下とジャン・グレゴワールは今日も仲良く庭で遊んでいる。もう日射しが温かく、庭のミモザも目に眩しい。  あとで一番枝振りのよいものをコリーヌの墓に供えてやろう。  ミモザは彼女の一番好きだった花だ。〟 〝殿下の出立が決まった。ジャン・グレゴワールは昨夜も一晩中私の無力を責め立てた。無理もない。ふたりきりの兄弟のように育った者を、ある日突然奪われるのだから。  すべての事情を知る者がもっとも心配していたことは(そして私だけが、どうかそうならないでくれと願っていたことが)殿下に正当な人質としての価値があるかということだったが、陛下はヴィルマーユの役人数名にずいぶんな額の金を渡したらしく、とくに問題とはされなかった。残念だ。  王族の縁戚であるド・アルマンに長年養育されていたことも考慮されたらしい。  コリーヌがこの話を聞いたなら悲しんだにちがいない。  私たちのあいだにジャン・グレゴワールが生まれるまで、私たちの子供はフロリアン殿下ただおひとりだったのだから。〟 〝私の命もそう長くはない。  唯一の心残りはまだ未熟な我が子をダルマンの当主とすることであるが、彼も王宮での唯一の友であったクラリス嬢との婚姻が決まった。嬢はしっかりした身分と見識をもった立派な女性である。なにも心配することはあるまい。  そして、フロリアン殿下との交流も続いている。私がヴィルマーユへの特使となってからジャン・グレゴワールを連れて幾度となく殿下のもとを訪れたが、彼らの交流はかつてよりさらに密に、そして温かいものとなっているようである。  もしいつか(私の死後、いつかそのようなことが叶うのならば)殿下がキルレリアに戻ってこられたあかつきには、彼らはきっとかつての陛下と私のように、このキルレリアに真の平和と平穏をもたらすため力を尽くしてくれるにちがいない。  彼らはふたりきりの兄弟、そして離ればなれになってからは、互いが無二の友である。〟    ※  ※  ※

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