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Ⅺ-3
たしかに、ド・アルマンを取り囲む男たちは揃いの兵服を身につけているようである。
「〝このようなところ〟というからには、ここがヴィルマーユに近いことを知っているのだな。男が……3人か。何用かは知らんが、ここを通すわけにはいかん。いますぐ引き返せ」
馬車の中のリュシアンに男たちは気づいていない。御者と従者、そしてド・アルマンを疑り深い目で順に見ると、追い払うように手を振った。
「キミたちの働きぶりには敬意を表するが、あいにく引き返せない理由がある。これを」
「これは?」
「陛下の書状だ。私はド・アルマン公爵。特使としてこの先に用がある」
「まさか」
このような刻限に? と訝しげな顔で手を伸ばす兵が、代わる代わる書状に目を通す。
彼らの気が立っていることはあきらかだ。澄んだ夜の匂いをくぐり抜け、リュシアンの耳にも、男たちの猟犬に似た荒い息遣いが聞こえてくる。
兵士たちはド・アルマンに背を向け、囁くようにいくつか言葉を交わす。
しばらくして、ようやく色を失った顔をこちらへ向けた。
彼らは競うようにその場へ膝をつき、胸に手を当て低頭する。
「大変失礼をいたしました、ダルマン公。まさか、このような場所で閣下にお目にかかろうとは思わず――」
捧げ持つ手に載せられた書状は、もとのとおり細く丸められている。
「かまわない」
面倒な挨拶はごめんだとばかりに兵士の口上を制したド・アルマンが、その手から書状を受け取り懐にしまう。
「その徽章は王城警備兵か」
問われて、兵士は、はっ、と胸元のマントの留め具に目を落とした。
各地に点在する城を守護する王城警備兵。彼らのマントの留め具はそれぞれが守る城を象徴する徽章となっているのを、リュシアンも知識として知っている。
「はい。我々はコヴェナのフォロム城の警備を仰せつかっております」
「フォロムの兵がなぜここに?」
「は。それが」
兵士は一瞬言い淀んだ。遠目にもわかるほど首筋に汗を刷いている。
「このところ、国境を越えてヴィルマーユからキルレリア領へ入り込む不届き者が増えておりまして……その、見つけ次第ヴィルマーユへ送還するように、と陛下からのご命令が」
他国とは違い、キルレリアとヴィルマーユの2国間には明確な国境が設けられている。
独立後、互いに不可侵の盟約を結んだにもかかわらず、ヴィルマーユは三度の領土拡大を目論んだ。三度目にしてもっとも大きな戦となったのが、国境からほど近いコヴェナの地であった。
いまはそのコヴェナを第一の防衛線として、二重の国境が設けられている。
「捕らえるのではなく、送還? 陛下にしてはずいぶんとぬるい」
「大戦以降、ようやく結ばれた両国間の良好な関係を保つためだとか」
「良好な、ね」
嘲るようにひとつ鼻を鳴らすのは、結ばれた「良好な関係」のうちに犠牲になった者たちのことを思うからだろう。
「とにかく、ここを通してもらう。夜明け前にヴィルマーユ城へ入りたいのでね」
恐縮しきりの兵を残して車へ戻ろうとした男の背中を、お待ちください、と上擦った声が呼び止めた。
「閣下。先ほど申し上げましたとおり、この近辺はどこに無法者が潜んでいるかわかりません。人目につかぬためとはいえ、このように護衛もつけずに往かれるのは危険です。よろしければ我々がお供いたしましょう」
目指す地まで先導を、という申し出に、しかし、男は兵士を一瞥だにしない。
「けっこうだ。キミたちのうち誰ひとりとして気づいていないようだが、実は車にもうひとり連れがいる。彼はたいそう腕が立つから、たとえ襲われようと問題はない。それよりも、キミたちは真っ先に車の中を確認しなかった己の甘さを反省したほうがいい。コヴェナはいまや護国の要。くれぐれも陛下の期待を裏切ることのないよう、これからも職務に励みなさい」
戻ってきたド・アルマンは、何事もなかったかのように席につくリュシアンをちら、と見遣り、
「いま彼らに助けを求めれば、逃げることができたかもしれないのにね」
と、他人事のように呟いた。
「出してくれ」
窓越しの声に従って馬車はゆっくりと動き出す。
車窓から差し込む松明の赤々とした灯が見る間に遠くなる。
「私の訴えなど陛下の書状の前には無意味でしょう。それでなくても、あなたには辺境の警備兵をその態度だけで従わせるほどの風格がある。私のような一目で混血とわかる者の言葉など、彼らが聞く耳をもつわけがない」
「一応、褒め言葉として受け取っておこう。だがあまり自分を卑下しないでくれ。キミとフランソワとは血を同じくする兄弟なのだから」
国と王を裏切り、争いの最大の火種となり得る人物の逃亡を企む男が低く笑った。
とはいえリュシアン自身も、おそらく最大の好機を失ったことはたしかだ。
これから先、ふたたびこのような機会が訪れるのか――不安はあるが、それ以上にリュシアンには気になることがあった。
最近にわかに増えている、ヴィルマーユからの逃亡者についてである。
ダルマンはその事実をまったく知らなかったようだ。
本来なら〝王の右腕〟であるダルマン公が何かしらの対策を練って然るべき事態を、まさかこのような場所で一介の兵士から聞くことになろうとは、彼自身思いもしなかっただろう。
――そういえば、クレールの行方が知れないことを陛下はご存じなのだろうか。
クレールの邸にはもはや誰一人いない、とド・アルマンは言った。
キルレリアの領地は爵位とともに貴族へ貸与される。土地は、もとを辿ればすべてが王の所領。
それを無断で放棄すれば、当然相応の罰則が与えられることになる。バシュレ公爵家のように、爵位を剥奪された者はそれまでの所領を離れ、次に住まう土地を治める者の預かりとなる。
しかし、クレールが爵位を剥奪されたという話を男から聞かない。いくら王宮での執務とダルマン公所領との行き来が多忙を極め、しかもその合間にテオドールの行方を探っていたからといって、それほどの大事をこの自信と怨嗟に満ち溢れた男がリュシアンに語って聞かせないことがあるだろうか。
男の顔を盗み見る。
飄々とした横顔は勢いよく流れる外の景色を何の気なしに眺めているように見える。しかし、よく見れば灰色の瞳には先ほどまでの喜色はない。
心はとおくフランソワのもとにあって、それとは別に、意識のひとかけらを先ほどの兵士たちのもとに置いてきたようだ。
――もしやこの男、しばらく陛下にお会いできていないのではないか?
クレールの爵位を剥奪すべしと陛下へ進言できないまま、こうして戻れない旅路に踏み切るしかなかったのではないか。
「ああ、見えてきた。メドセン公爵城だ」
いつの間にか森を抜け、馬車は海沿いの崖の上を走っていた。朝日を湛えた水平線の先に大きく張り出した崖が見える。その突端には細い石塔の影が浮かび上がる。
「あれが……」
メドセン公爵城――代々キルレリアから差し出される者たちが囚われる、城とは名ばかりの牢獄。
断崖絶壁に建ち、囚われた者の未来と希望を断つという堅牢な造りの石塔には、ヴィルマーユが独立する直前までエウトル2世が囚われていたという逸話がある。
かつての祖先、しかも民の怒りを呪いのようにその身に受けて病に伏した者と同じ場所に幽閉される思いは一体どのようなものだろうか。
冷たい石壁の感触を背に思い出し、リュシアンは思わず己の肩を抱いた。
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