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Ⅻ-1

ⅩⅡ  赤みがかった金の髪と、わずかに伏せられた、深く水をたたえた湖面のような碧い瞳。  鼻筋は細くすっととおり、小ぶりな唇はやや血の気を失ってはいるものの、艶やかで濡れたように赤い。  透き通って、ともすればむこうの景色を透かしてしまうのではないかと思うほど青白い首筋にはいま、研ぎ澄まされた刃が鳥の羽一枚ほどの距離でしっかりとあてがわれていた。  フランソワ・フロリアン。  血を分けた弟。  おそらく――それは見慣れた自分の顔と寸分違わぬ造形をしているであろうに、リュシアンは彼を、ぞっとするほど〝美しい〟と思った。  身の内から滲み出る清純な匂いのようなものがそう思わせるのだろうか。  濁りのない慈悲を煮詰め、固めて、磨いたあとに現れた美しい結晶のような――見る者の心の穢れを溢れ出る善意で洗い清めてくれるような、強烈な〝光〟がそこにはあった。 「テオドール・ド・クレール……貴様、次代の国王陛下に剣を向けるのか」  背後のド・アルマンが掠れた声で言う。  男の描く未来には、すでに玉座に腰掛けるフランソワの姿が見えているのだろう。だが、それも無理からぬことだ。  フランソワはたしかに〝持つ者〟だった。  造形が。  佇まいが。  すべてが有無を言わさぬ圧倒的な〝力〟をもっている。彼が玉座に鎮座すればおそらく、それだけで対峙させる者のなかには彼に命を捧げる者も現れるだろう。  しかし当のフランソワはといえば、「助けてくれ」と命乞いをするわけでもなく、ただ薄い唇を噛みしめ、悲しげに眉を寄せるだけである。  意志のない人形のように、テオドールの腕のなかにじっとしている。 「なにも驚く必要はない。クレールは王殺しの一族。私は私の祖先と同じことを成そうとしているだけだ」  テオドールが鼻を鳴らせば、腕のなかのフランソワも揺れた。  かつて王を弑逆した我が始祖のように、私もまた王をこの手にかける――テオドールの剣のなんと躊躇いのないことか。  鋭い切っ先はテオドールがひとつ笑うたび白い肌をちりちりと掠める。同時に、背後で息を呑む音がする。 「動かないほうがいい、ダルマン公。貴殿もご存じのとおり、クレールは騎士として剣の技を磨くことを禁じられてきた。私もこの歳になるまで人相手に剣を向けたことがない。それ以上私の従者に近づくと、嫉妬に駆られた私の右手が勢いあまって殿下の首を横に凪いでしまうかもしれないぞ」  リュシアンの腕を引く手が止まる。  強く握られる肘の内側に生温かく湿った感触が拡がった。 「フランソワを離せ」 「貴殿こそ。いいかげん人のモノを返せ」  心地よく湿った空気を見えない火花が焦がす。ぷん、ときな臭い匂いが漂う。 「アーキア王がクレールの刃を受けたのは、クレールの始祖が邪な想いを抱いたからだ。貴様とフランソワには……関係ない」  苦々しげに呟くド・アルマンに、テオドールがまた鼻を鳴らした。 「いいのか、〝記憶の一族〟の裔。その話はもっとも秘匿されるべき王家の秘密のはずだが?」 「……〝呪い〟?」  はっとしてリュシアンがテオドールを見ると、王子に刃を向ける〝逆臣〟は口の端をきつく吊り上げた。 「ちょうどいい。この際すべてを話してしまったらどうだ、ダルマン公」  証拠は集めておいてやった――そう言うと、テオドールはなにかを投げた。  ばさり、とリュシアンの足元に散らばったのは、時を経て薄汚れたいくつもの手紙。  赤黒い封蝋には印章がなく、差出人を読み解くことはできない。受け取る者の名も書かれてはいない。 「クレールがなぜ王の〝呪い〟を受けたのか。その真実と正義とやらを証明してみせるといい。うまくいけば、事実を知った私の従者が喜んで手を貸してくれるようになるかもしれないぞ」  後ろで動けずにいる男の代わりに、リュシアンはそっと身をかがめて手紙を一通手にとる。  折り重なった束の、一番上。もっとも破れの少ないものの中身を取り出す。  上等の紙をびっしりと文字が埋め尽くしている。  手紙には移りゆく季節を匂わす言葉や、相手を気遣う言葉などなにもない。そこにはただ、 『会いたい』 『お前を愛している』 『庭に千の薔薇を植えた。お前を想う私の胸に美しい薔薇が一輪咲いたら、その夜は必ず部屋を訪れてほしい』  丁寧な、しかし力強い筆致で手紙の相手にむけた熱烈な愛の文句が綴られている。  次の手紙も。その次も。  すべておなじ筆跡の、おなじ人物に宛てたもののようである。 「これは?」 「アーキア王の手紙だ」テオドールが答えた。 「発見されたのは、初代クレール伯――レオンスの棺の中」 「……レオンスさまは王の手紙をどなたかに運んでいたと?」  手紙の受け取り手の名は伏せられている。  アーキアは王となってすぐ王族とは血の繋がりのない公爵の家系から妃を迎えている。  もし手紙の受け取り主がのちの王妃となられる方であるのなら、わざわざ名を伏せる必要はない。  それにしても。 「たしか、レオンスさまの御遺体はその行方がわからなくなっていたはずです」  アーキアの背に剣を突き立てたのち、初代レオンスはおなじ剣で自ら命を絶った。  からくも王は生き延びたが、事情を知る一部の者たちのレオンスへの罰を求める声を受け、アーキアは当時おこなわれていた断頭台での処刑をレオンスの遺骸に施したのだ。  その後レオンスの首と胴体は遺族のもとへ戻されることはなく、名もない墓地に人知れず埋葬されたと聞く。  もっとも、リュシアンが記憶しているのは先代ダルマン公から夜な夜な注がれたクレールへの呪詛を孕んだ寝物語の一部である。  レオンスの遺骸が一族の墓地に眠っていないことは史実上周知のことであるが、その理由は公にはレオンスが『死体から他へ感染する病』を持っていたためであるとされている。 「では、レオンスさまの御遺体が見つかったのですか」 「見つかった。というより、探し出したと言ったほうがいいか」 「一体どこに……」  愕然とした声音でド・アルマンが呟く。

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