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Ⅻ-2

「王墓だ」  レオンスはキルレリア王家の地下墓地に眠っていた――テオドールが言うと、は、と背後で息を呑む音がする。 「小さな、ひと抱えほどの箱だった。頑丈な鍵と、腐食を防ぐ表面の緻密な細工が施されていた。中には、クレールの紋章を縫い取ったマント。マントが包んでいたのは、ひろげればちょうど人ひとりぶんになる骨と、いま目の前にある手紙の束だ」  紋章が縫い取られたマントは、建国の際にクレールが贈られたもの。  状況から見て、その骨がレオンス・ド・クレールであることは間違いない、とテオドールは言う。 「……馬鹿な。王墓はすでにダルマンの手によって調べつくされている。王の墓はなによりも雄弁に歴史を語る。〝記憶の一族〟としてキルレリアの青史を紡ぐ役を担った我々が、それを見逃すはずはない」 「だろうな。だがさすがのダルマンも、棺の中までは検められなかったのだろう」  テオドールは涼しい顔で口にする。  ぎょっとしたのはリュシアンだ。  棺の中?  ――王の、だと? 「クレール卿。まさか貴様、棺を暴いたのか?」 「そのまさかだ。だが、蓋を開けた棺はひとつだけ。アーキア王……建国の王の棺を、じっくりと検めさせてもらった」 「なんてことを」  事もなげに言うのに、リュシアンは背筋を冷たいものが滑り落ちた。  王墓。いくら捜し物の〝当て〟があるといって、うかつに検めていい場所ではない。  なによりもまず、王墓へ踏み入ることができるのは王族のみのはずだ。  なぜテオドールが何の咎めもなくこの場にいられるのかはわからないが、しかし、いまはそれ以上に気になることがある。  レオンスの骨の行方。  レオンスはたしかにアーキアの無二の友だったという。手酷い裏切りがあったとはいえ、罪を隠し、臣下らの訴えを退けてもその遺体を手厚く葬ってやりたいと思うのはありえない話ではないだろう。  しかし、それが共に棺に収まるというのなら、話は別。  己の背に剣を突き立てた者の屍を、王が胸に抱いて眠る、その理由。  ――そんなもの、本当にあるのか?  窓から潮風が吹き込み、散らばった手紙がはためいたのが目に入った。  愛を誓う手紙。  密かにそれを渡したいと思う相手。 ――死してなお、共にありたいと願う……友? 「まさかこの手紙は……レオンスさまに?」  驚いてリュシアンが目を向けるのはテオドールではなく、ド・アルマンだ。  見上げた先の男は唇を、ぎ、と噛みしめ、射殺さんばかりの熱視線をテオドールに送っている。 「そのとおりだ、リュシアン。アーキア王が愛し、そして愛されたこの手紙の受け取り主こそ我が祖、レオンス・ド・クレール」  彼らは単に命を預けあった友ではなかった、とテオドールは言った。 「お互いに魂をも捧げていたわけだ。レオンスがアーキア王を討った理由。結局のところそれは、王とのあいだに起こった『痴情のもつれ』だったということだ」 『許してくれ』 「う……」  ずき、と痛みが走るのは背中だ。  知らぬ間に植えつけられた惨劇の一幕。見下ろす胸に大きく突き出した刃と、首筋に感じる熱い吐息。  この目で見たことのない、この背に感じたことのない偽りの痛みが、なぜか鮮やかに脳裏へ蘇る。  あの悲劇が、愛し合うふたりのあいだに起こったというのか。  手に手を取っての死を望んだわけではない。  貫いたのは愛しい人の背。  そこには、たしかに殺意があったはずだ。 「手紙のやり取りははじまったのは、キルレリアが国として立ち上がってすぐのちのこと。当然の成り行きだ。アーキアは王となり、レオンスは伯爵へ封じられた。青い恋心と強い使命感で結ばれたふたりは、新たに目の前に立ちはだかった〝身分〟という壁に引き裂かれ、やがて気安く声をかけることもできなくなったわけだ。安い芝居にしては、多少配役が豪華すぎる。あまりの白々しさに涙も出ない」  目的を同じくするあいだはよかった。目の前の敵を討ち果たさんと勇んでいるときこそ、彼らの蜜月だったのだろう。  その溝を埋めようと互いに抗った結果が、あの手紙。 「だが、本人たちは本気だったんだろう。密かに逢瀬を重ねた。しかし、王となったアーキアには、どうしても果たさなければならない役割があった」  ――世継ぎだ。  アーキアは王となってすぐ、王妃を迎えた。  翌年には、子が。 「新たなる国の、堅固な礎を築くこと――平和な世を繋ぐための世継ぎを設けること。それは王として避けられない責務。ましてやキルレリアは多くの犠牲のうえに成った国。国王たるもの、民の信頼と期待を裏切ることは、けっして許されない」 「当然だろう!」  獣のような唸り声が、部屋の空気を引き裂く。 「王は……アーキアさまは、ご自身に課せられた使命をよく理解しておられた。私記にはかつて国がヴィルマーユであった時代、どれほど多くの民がご自分の血縁によって苦しめられたか、それを繰り返すことがどれほど愚かなことであるかを綴っておられたほどだ。それほど彼の方のご決心は強かった。一時の……それも、なんの実りもない者との愛だ恋だの……そのようなものにご決心を揺らがされるような御方ではなかったんだ! それを壊したのはクレール、貴様だろう!」 「ぁ……っ」  首にじっとりと湿った指が巻き付く。  正気を失いつつある男の声が、鋭く耳に突き刺さる。 「民を救い、よき国をつくり、そしてそれを次代へ繋ぐ。正常だ。王のあるべき姿だ! 彼の方こそ真の賢王だった……キルレリアの、最初で……最後の……それを……」  荒い息が耳朶へ絡みつく。  意識は遠のいていくが、リュシアンの心はひどく静かだった。  レオンスは愛する者の裏切りに絶望して剣を取ったのではない。  わかっていたはずだ。いつかは与えられた使命が、自分たちが守ってきたものがふたりの絆を裂くことを。  それでも、思いとどまることはできなかった。  アーキアを殺し、自らも命を絶とうとした。  そして、それは叶わなかった。 「……傷を負って以来、王は変わってしまわれた。クレールに剣をとらせたのは自分だと、それほどの愛を受けながら彼の男の心を救えなかったのだとご自分を責めた! お亡くなりになるまでの数年間、綴られた私記はクレールを失ったことへの無念と懺悔の言葉でいっぱいだ――いや、それしか書かれていない! 信じられるか! 導くべき民のことも、お生まれになった王子のことも、王はもう、なにひとつわからなくなっていた!」  賢王は死んだ。  殺されたのだ。  一時のくだらない感情に流された男が、二百年のあいだに多くの民を不幸にした。  嘆くド・アルマンの声が、遠くなり始めた意識のなかでようやくひとつの像を結ぶ。  愛など、絆など、くだらない。そう言っていたのを思い出す。  死を与えようとする一撃を受けた瞬間、アーキアは気づいたのだろうか。  レオンスの想いの強さを。  与えられた運命を全うしようとした自分と、愛のためにすべてを捨てようとした男との、想いの違いを。  それはまるで、在りし日の自分とテオドールのようではないか。  ――そうか。だから、私には。  アーキアの気持ちがわかる。  彼の記憶が己の記憶のように、心にすっと馴染むのだ。 「クレール、貴様に私たちの邪魔をする権利があるか! もう一度、最初から真の平和を築こうとする私たちの――!」 「それがすべてか、ダルマン公」  口端に泡を飛ばしながら呪詛を吐き続けるのを、テオドールの声が制止した。 「……なに?」 「言いたいことはそれですべてか、と訊いている」 「は……これ以上、なにがあると……」 「つまらないな」 「な、なんだと? 貴様っ、一体どの口が」 「私の手を離れているあいだに、てっきりリュシアンを丸め込めるだけの材料を揃えてきたかと思ったが」  ずいぶんと人を落胆させてくれる――。  呟くように言うと、テオドールは腕の中の細い身体を思い切り突き飛ばした。 「な――おい、やめろっ」  死人のように青白い顔をしたフランソワが、なすすべなく固い床に転がる。  薄い胸をしたたかに床へ打ちつけ、さすがの虚ろな顔も一瞬、苦痛に歪む。 「フランソワ!」  駆け寄ろうとする男の目の前で、  「動くな、ジャン・グレゴワール・ド・アルマン」  どかっ、と音を立てて、重たい剣先が床を穿った。  抉れたのはフランソワの鼻先すぐ近く。  刃は人形のようなその美貌をしらじらとその刀身に映す。  貴い血と脂で剣を汚し損ねた〝逆賊〟は、慣れない得物を持ち続けて痺れたのか、両手をわずらわしげに振ってみせた。

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