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Ⅻ-7
ふたりが部屋の隅に落ち着いたのを確認すると、テオドールはド・アルマンへとふたたび向き直った。
「……これで、私はいよいよ不要というわけだね」
テオドール唯一の〝弱み〟といえたリュシアンはド・アルマンの手を離れた。取り戻すはずのフランソワまで自分に背を向けた。
ド・アルマンは深い溜め息をつく。
「私を殺すか、クレール卿? フランソワを利用しようとしてまんまと出し抜かれた哀れな道化は、最後の悪あがきにクレール卿へと食らいつき……正義の鉄槌に撃たれる。こういうところか」
「劇的な結末が貴殿の望みか?」
足元に転がる剣を拾い上げたテオドールがいった。
「このような薄暗い牢のような場所は、大公である自分の死に場所にはふさわしくないと?」
「そうじゃない」
ド・アルマンはテオドールの手の中の得物を、ちら、と見ながら、
「もしフランソワが王になるとして、彼の意志はどうなる? 彼は一生、キミの傀儡か?」
「とんでもない。私は殿下の魂に染みついたダルマンの〝信念〟に共感を抱いている。いや、それがリュシアンの望む世界を迎えるのに必要なことだと知っている。私の理想の世界に必要な人間を、私は害したりはしない」
「利用できるうちは、だろう?」
テオドールは鼻で笑う。
「ああしてみれば」
気配だけでリュシアンたちのほうを振り向いた。
「よく似た好みの顔がふたつ並ぶのは、それだけで気分がいいな。私が愛しているのはリュシアンだけだが、一緒に可愛がってやるのも一興だろう」
寝台の上。絡み合うふたり。
軋む寝台のむこうには長身の男の姿がある。
長い脚を悠然と組み、目を細めて白い裸体を舐め回すように――。
震える指がリュシアンの腕を掴んだ。
その手をそっと握る。
――大丈夫。
視線だけで頷くと、強く握りしめられて白んだ指先に血の色がもどった。
「……命は、奪わないんだな?」
ド・アルマンの絞り出すような声がたずねた。
「ああ。――そうだ、望むなら貴殿もどこかへ行っていいぞ、ダルマン公。私が信じられないんだろう? キルレリアの行く末を遠くから見守っているといい。いくら不要な血でも流れずにすむのなら、それがいちばん。ダルマンにのこされた奴隷たちは、フランソワ殿下のいいように面倒をみてやる」
慕っている主を失えばアーナヴやイェマはひどく悲しむだろう。
だがいくら意志の強いド・アルマンとて、己の命には替えられないはずだ。もしテオドールが約束を違えれば、志をおなじくする者とふたたび蜂起することもできる。
どうか、いまは身を引いてくれ――リュシアンは祈るような気持ちで目を閉じた。
だが。
「断る」
返ってきたのはきっぱりとした拒絶だった。
「断る? それはいますぐ殺してくれ、ということか?」
テオドールに動揺はない。
塔の周辺では王の失脚をもくろんだ大罪人を捕らえようと兵の一団が待ち構えるにちがいない。
偽の書状はまだテオドールの掌中にある。テオドールさえその気になれば、ド・アルマンが裁きを受けることも避けられるだろう。
なのに、ド・アルマンはその慈悲を受け入れることを拒否するという。
「ちがうよ。わかっているんだろう」
答えられて、テオドールはひとつ頷いた。逃げ場になど到底なりそうにない、急な石階段へ続く扉のむこうへ声をかける。
「話はついた。待たせたな」
古めかしい音をたてて、扉がゆっくりと開いた。
あわられたのは、部屋に入る際に預けたド・アルマンの剣を胸に抱くローズである。
「……あの、これを」
か弱い女の腕には重すぎる騎士特有の飾り剣を、彼女はおずおずと差し出した――その持ち主にむかって。
「ありがとう」
ド・アルマンはなにもいわずに受け取ると、柄を何度か握った。感触を己の記憶と馴染ませていくかのように。
「ちなみにローズ嬢はヴィルマーユ併呑後の王妃の第一候補だ。いまはこうして人知れず飼い殺された隣国の王子の世話などをしているが、その血を辿れば3公爵すべてに近い続柄の娘であるらしい。殿下とは長いあいだ一緒のときを過ごして、なかなかに気心の知れた相手でもあるし、ふたつの国を結ぶ婚姻としてこれほどふさわしい相手はいないだろう」
「それはまた、ずいぶんと無駄な思索をさせたね」
だが、その必要はない、という言葉に、剣を振る物騒な音が重なる。
きらりと光る切っ先がまっすぐテオドールへ向けられた。
「私は決めたよ、クレール卿。フランソワは王にはさせない。貴様の好きにさせるくらいなら……私は、ここで彼とともに果てる」
応えるテオドールも、手にした剣をゆっくりと胸の前へ掲げる。
「その言葉を待っていた――ジャン・グレゴワール・ド・アルマン」
死ぬなどといわず、殺す気でかかってくるといい。
抑えきれない歓喜の声を合図に、ふたつの刃が鋭く風を切った。
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