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XIII-4
剣を握るテオドールの指が、ひくり、と動く。
クレールの窮状を救うために身を捧げるリュシアンを、ただ見送ることしかできなかったかつての自分。
その姿をド・アルマンに重ねるにちがいない。
『その言葉を待っていた』――。
は、としてリュシアンはフランソワを見る。
囚われの王子はド・アルマンとの最期の逢瀬を望み、テオドールはその望みを叶えるべく、常なら何を置いても優先させるリュシアンの救出を見送った。
そしてド・アルマンは、はじめから、その命を奪われないことを約束されていた……。
――まるで、すべて誰かの書いた筋書きどおりに。
「お願いだ……フランソワ……いかないでくれ。もう二度とあんな想いは……」
譫言のように呟く男の頬を、見る目にもひんやりと冷たい手が撫でる。
「泣くものがあるか、ジール。うん? ほら、顔をあげよ」
甘く、蕩けるような囁き声だ。
いやいやと首を振る男にあやすような言葉を二言三言かけたあと、フランソワは溜め息交じりにゆっくりとテオドールを振り仰いだ。
「弱ったな、クレール卿。ジールはわたしを離してはくれないようだ。このままでは卿との約束を果たせそうにない」
紅い唇が薄い弧を象り、濡れたような碧い瞳が、ちら、とリュシアンのほうをも見遣る。
王位を得、リュシアンを王兄として迎え入れる。それができないとなれば、そなたと、そなたの愛する兄上に安住の住処を用意してやれない――口ぶりだけは申し訳なさそうな様子に、リュシアンはどこか背筋の凍る思いがしていた。
応えるテオドールも、呆れたように首をすくめつつ、その仕草は大仰で、どこか芝居がかっているようにみえる。
「それは困りましたね……ちなみに、どうでしょう殿下。ここでダルマン公を捕縛し、あえて命は奪わず、どこかへ幽閉してしまうというのは」
フランソワは首を横に振る。
「のめない。わたしと離れ、不安に駆られたジールが自ら命を絶ってしまうかもしれないだろう」
そうだな? と問いかけられると、ド・アルマンは答える代わりに最愛の人を抱く腕に力を込めた。
ふたたびフランソワと引き離されるくらいなら死を選ぶ。矜持も誇りもなにもかもを失ったいま、ド・アルマンはそれだけを寄る辺としているようだった。
「わたしの命はいい。どうせ、名も刻まれない棺を寝床にしているような命だ。だがジールはちがう。端から救えないのなら、運命に抗おうなどとせず、わたしもいますぐここで終わってしまいたい」
どうあってもジャン・グレゴワールだけは救わなくてはならない。それがこの取引の条件だ、とフランソワは言う。
「致し方ありません…………では、殿下。いっそ我が国の王政を廃止してはいかがですか? 玉座を得てのち、殿下は早々に王家を解体するご準備をなさるのです。これからはすべての民があまねく国政に参加する――そんな国をつくれば、お世継ぎのことなどお考えにならずともよろしい」
「な……!」
驚きのあまり声もでないリュシアンを尻目に、フランソワは「それがよい」と言いたげな顔で頷いた。
「むしろ、そうするよりほかにあるまい。幸い、ヴィルマーユには形ばかりとはいえ議会がある。彼らの力を借り、身分を問わず国中から識者を募れば、いずれは民による国の統治も現実のものとなろう」
「ダルマン公には王の補佐をしていただきましょう。まずは3公爵家の内より、いずれかを議長に据えれば、かの国への一応の体裁も整います」
よろしいですか、とテオドールが慇懃に訊ねると、フランソワはもう一度力強く頷いた。
「まかせる、クレール卿。ジールは特使としてヴィルマーユの方々とも親交がある。かならずや力になってくれるであろう」
「仰せのままに、殿下」
事はリュシアンの目の前でとんとん拍子にに進んでいく。そこに口を挟む余地はまったくない。
王政を廃止する――それはすなわち、身分制を廃止するということ。
王族貴族にかかわらず、国民すべてが等しくある世界。それを彼らは一から成し遂げようとしているのだ。
なんとも気の遠くなるような話だが、この場にいる誰もが望む世界としては、それがもっともふさわしい〝野望〟であるようにも思える。
血など、しがらみなど、すべて捨てる。彼らはまさに身をもってそれを実現しようとしている。
勝ち目のない戦いはしない。
いまは到底叶いそうもない夢が、まるですぐ手の届く場所にあるかのように、ふたりの男は語った。
「よいな、ジール? これでずっと、わたしはおまえだけのものだ」
抜け殻のようになったド・アルマンの首が、こくり、と力なく賛意を示し、男たちの提案を受け容れる。彼もまたリュシアンとおなじ、なにか大きな力の導きを受けたかのように、夢うつつの狭間を彷徨っていた。
「さて、これですべてととのった」
自分より頭ひとつぶんは背丈のある男を易々と抱え上げるようにして、フランソワは立ち上がる。
長い悪夢を消し去る、力強い朝日が彼の美しい横顔を照らす。
可憐な唇から一瞬、蠱惑的な舌がちらりとのぞいた。
「わたしの国へ帰るとしよう」
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