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第5話
店を出てすぐの所に停まっていた真っ黒の車に乗せてもらい、俺はアキトさんの自宅へと向かった。
ほんのりタバコの匂いがする車内は無駄なものがひとつも置いていなくて綺麗で。
粗相はできない、という緊張で酔いが少し醒めた気がする。
15分程走ったところで車は停まり、見上げてしまうほど階数のあるマンションの一室に案内された。
「お、おじゃましまーす... ... 」
「散らかってるけど気にしないでね」
俺のアパートとは大違いの広いリビング。
リビングだけで俺の部屋は完結するんじゃいか?ってくらい広いのにまだ二部屋あるらしく、アキトさんはお金持ちなんだな、と感じた。
仕事は出来そうだしいつもスーツ姿だし、見た目も清潔感があるし…大企業とかで働いてるのかな?と考えながら『そこ座ってね』と見るからに高そうな黒い革のソファーに案内される。そしてキッチンに向かったアキトさんは俺に黒い液体の入ったコップを持って戻ってきた。
「... ... 飲むんじゃなかったんですか?」
「そう思ってたけど、それじゃちゃんと話できなくなるでしょ?」
渡されたそれはアルコールなんかじゃなくて、夏場俺の仕事中に欠かせないアイスコーヒー。
コーヒーも好きだけど俺はアキトさんと飲みたかったのに。
ぷくっと頬を膨らまし不満そうな顔でアキトさんを見ると、『また飲みに行けばいいでしょ』と頬をつつかれる。
それが次回の約束になったような気がした俺は嬉しくなって、アイスコーヒーに口を付けた。
「それで?今日はどうしたの?」
「どうって?」
「嫌なことあったんじゃないの?」
「え... ... ... 」
同じ形のグラスに口を付けたアキトさんは俺の横に座った。
「君さ、嫌なことがあるとお酒に走るタイプでしょ?」
「え!?そんなことは... ... 」
「最初に会った日もそうだった。前回は何も聞けなかったけど多分そうじゃない?」
「... ... ... ... 」
アキトさんの言ったことは無自覚だったけれど間違ってはいなかった。
正確には嫌なことがあってお酒を求める、ではなくて嫌なことがあってそのことばかり考えてしまい眠れないから、眠るためにお酒に酔ってたんだけど...
確かに初めて会った日はダッチーの結婚式で俺が片想いを諦めた日、次に会った日は妊娠検査薬を買いに来たダッチーに会った日、そして今日はそのダッチーから食事の誘いが来たことにモヤモヤし続けている。
そしてそれを心の何処かで『アキトさんに聞いてほしい』と思っていたのだ。
「溜め込むと身体に良くない。俺でいいなら話聞くけど?」
俺の気持ちを分かっているかのようにアキトさんはそう言った。
そして俺はその言葉を待っていたかのように、薬局でダッチーに会った日からの出来事を話した。
✳✳✳✳✳
「へぇ、妊娠... ねぇ」
一通り話終えるとモヤモヤしていた気持ちが晴れたような気がした。
一方的に話す俺に大してアキトさんは相槌を打つ程度。聞き上手なのだろう。
「当たり前だし諦めるって決めた俺が落ち込むのはおかしいんですけどね... 」
「でもずっと好きだったんだろ?普通落ち込むよ」
普通の恋愛だったらそうかもしれない。でも俺が片想いしていたのは『男』で、結婚も妊娠もあり得ない相手。
それなのにアキトさんは、真面目に答えてくれた。
「俺... ... ちゃんと諦められるのかなぁ... 」
ぽつりと漏らした本音。
結婚式で『諦める』と決めたけど、妊娠の話であれだけイライラしたのはまだ気持ちが残っているから。それが分かっているからこそ諦められる自信がなかった。
ダッチーと今までのように遊んだり連絡を取れなくなるのは嫌だ。例えそれが友達関係であったとしてもいい。
俺が十数年親友と呼んだ存在から離れることはしたくなかった。
「無理に諦めなくてもいいんじゃない?」
「いや... でも... 」
「諦めようとすればするほど考えてしまうものだよ。それにほら、響くんが他の人を好きになる可能性だってあるだろ?そうしたらきっとその... ダッチーくんのことは過去の恋愛になって忘れられると思うけど?」
「他の、人... ... ですか... ... ?」
「そう。それが女でも男でもきっと響くんなら素敵な恋人が出来ると思うんだけどなぁ」
そう言って微笑むアキトさん。
諦めなきゃいけない、と思っていた俺に無理に諦める必要は無いと言ってくれたアキトさん。
時間が解決してくれるよ、と頭を撫でてくれたアキトさんは、出会って会話してまだ3回目だと言うのに俺の欲しい言葉をくれた。
まさにヒーロー、いや救世主のように感じ、俺の悩みはあっという間に吹き飛んだ。
それから少しテレビを見たあと、帰ると言ったのに俺に遅いから泊まっていけばいいよと大人な対応をしてくれたアキトさんに甘えてその日はアキトさんの部屋に泊まった。
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