16 / 170

第16話

だがしかし、時刻はいつも俺が店に行くよりだいぶ早い。 店の前に着いて、『close』の看板を見てやっぱりかぁ、と肩を落とす。 そりゃそうだよな、まだ17時にもなっていないんだから。 飲み屋が開くのは17時過ぎとかだし、よく見ればこのバーの開店時間は20時だった。 「まだ3時間以上あるし... ... ... 」 はぁ、とため息を付いて来た道を戻っていると、見覚えのある車が視界に入った。 「あ... ... ... あの車... ... ... 」 黒色のピカピカに磨かれたその車は、俺も乗ったことのあるアキトさんの車だ。 アキトさんのって特定出来たのは、運転していたのが前髪を上げ眼鏡を掛けた、あのアキトさんだったからだ。 遠目なのに、なんでこんなにハッキリと分かってしまうのか不思議なくらいにその車の運転手だけがクリアに見えたのだ。 気付くかなぁ、なんて少しドキドキしながらその車とすれ違ったけど、もちろん気付く訳なんかなくて。 当たり前のことが酷く悲しく感じてしまった。 (あーあ、アキトさんと話がしたい... ... ) 会えない程に会いたくて、話せない程話がしたくなる。 遠距離恋愛みたいなこのおかしな感情は、一体何なんだろう。 「... ... 帰ろ。」 暑さのせいか、その答えを探すのが面倒で。 どうせバーも開いてないんだから、と、俺はアパートへと戻った。 ✳✳✳✳✳ それから数週間、あの間違い電話が掛かってくることは無かった。 ダッチーの一言が聞いたのか、それともただの悪戯だったのか、理由は分からないけれどあの番号を見ることはない。その事に安堵していた。 「ひーびーきーーー!」 「う、わぁ!何ですか、主任!?」 「お前今仕事あんまないよな?」 「な、無い... っちゃ無いですけど... 」 「んじゃ響に決まりだな。ちょっと着いてきてー」 休憩中、いつもの缶コーヒーを飲んでいると、例の悪魔は俺を会議室へと引きずる。 仕事の有無を確認するってことは、また何かあったのだろうか。それとも新しい仕事を振られるのだろうか。 入社した頃から『手を抜く』事なんて一切許されなかったのは、暇を持て余す社員を見付けるのが馬鹿見たいに上手な主任のせいだと思う。  バタンと開いた会議室に嫌々入ると、そこには俺が想像も付かなかった『仕事』がちょこんと座って待っていた。 「橘 千裕くんでーす。今日からここで働くから、お前指導してやって。」 「... ... は、はい??」 「橘です。... よろしくお願いします。」 男なのか女なのか、見た目からも名前からも判断出来ないほど『可愛い顔』をしているその人物は、その顔に似合わない不機嫌そうな表情でペコリと頭を下げた。 「え... えと、なんで俺が... ?」 「この前のお仕置き。それに千裕と響、仲良くなれると思うんだよなぁ」 「は、はぁ... ... 」 「千裕は雑用しながらとりあえず響の仕事に付いて。響は簡単なデザインから千裕に教えてあげて。頼んだよーっ」 はい、仕事仕事!と俺たちの背中を叩く主任。 それは恐ろしいほどご機嫌で、何か裏があるのかと疑ってしまう。 とはいえ... 高校卒業後、この会社に入社して5年、やっと俺が先輩に... !そう思うとちょっと嬉しくなってしまう。 この会社、辞める人が居ないと新しく雇うことをしないし、働いている年代が若い人ばかりだからか定年退職とかもまだ無さそうで、俺のあとに入社してくる人はいなかったのだ。 「えーっと... 。筒尾 響です。よろしくね、... 橘、さん?」 「呼び捨てで大丈夫です。それと俺、あの悪魔に無理矢理連れて来られただけなんで、すぐ辞めます。」 「えぇ!?ちょ、橘さん!?」 『俺』ということは男なのか... 。それより悪魔って主任のことだよな?無理矢理ってどういうことだ... ?? 俺より先に会議室を出た橘さん(歳が分からないのでさん付け)を追いかけるようにして俺も会議室を出た。 とはいえ、橘さんにしたらこの部署、いやこの建物自体全く知らない場所な訳で、その足はすぐに止まった。 そして振り向いた橘さんは顔を真っ赤にして、 「... ... 俺、何処に行けばいいんですかっ!?」 なんて言うから、俺はつい笑ってしまった。 主任の言う『仲良くなれる』っていうのはまだよく分からないけど、素直で可愛いなぁ、と思ったのだった。

ともだちにシェアしよう!