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第25話

沈んでいく意識の中で、ふわっとブルーベリーの匂いを感じて目を開く。 身体は痛いし重たいし、動かす気力がなくてただ目を開いただけ。 (あれ、アキトさんの声... ... ... ?) 静かな部屋の中で、小さいけれど確かに聞こえたのは電話中のアキトさんの声だった。 また盗み聞きになってしまう、そう思った時またも俺は聞いてしまった。 「... じゃあね、愛してるよミキ」 前に聞いた時と同じ、『ミキ』という名前に愛の言葉。 それは快楽に溺れた俺を現実に引き戻す呪文のような言葉だった。 (やっぱり恋人がいる。なのにどうして... ?) あれだけ求め合うように、何度も何度も激しく腰を打ち付けたアキトさん。 その時だけでいい、そう思っていたのに、他に大切な人が居ると分かると虚しさしか残らない行為。 頼る頼らないの話じゃない、俺がアキトさんの側に居れば絶対にその大切な人を傷付けるだけなんだ。 既に俺はアキトさんに固執し始めている。 俺から離れないで欲しいと願ってしまったのがその証拠。 ならばやはり、もう近寄っちゃいけない。 再び目を閉じてブルーベリーの匂いを感じながら、俺は決めた。 『もうアキトさんと関わらない』 あのバーにも行かない、お酒も控えよう。 アキトさんと関わらないようにするためなら、あの職場で仕事に追われるように過ごせばいい。 誰と話すこともなく、与えられた仕事をこなせばいい。 主任と千裕くんのことだって、何も感じなければいい。あの二人だって所詮職場が同じなだけで、友達でもなんでもないんだから。 ひねくれた考えだけど、それが俺の出した結論だった。 ✳✳✳✳✳ 「あれ、なんで... ... ... 」 「おはようございます。遅刻の連絡は入れたんですけど... すいませんでした。」 「いや、そうじゃなくて... ... お前大丈夫なの?」 「はい、もう大丈夫です。それと昨日はすいませんでした。あの仕事、受けます。よろしくお願いします。」 あの後、アキトさんが横に来て眠ったのを確認した俺は、身体を引きずるようにしながらホテルを出た。 財布に入っていたお金全てを置いて、逃げるようにタクシーを捕まえて自宅に戻りシャワーを浴びる。 その時点で遅刻は確定していたから、会社に体調不良で遅刻する、とだけ連絡して俺は出社した。 良くも悪くもあの行為のおかげで酔いは覚めた。身体の痛みだけ耐えれば、あとは何とかなる。そう思って廊下を歩いていると、俺に声を掛けたのは主任だった。 幽霊を見たみたいに驚いた主任に頭を下げ、自分のデスクに戻れば昨日置き去りにしたファイルが目に入る。 『やる』と決めた以上、俺は行動しなきゃいけない。他に急ぎの仕事が入っていないことを確認し、俺はファイルを開いた。 『小説 クリスタルファンタジーとのコラボ』 と名付けられたその企画は題名の通り、とあるファンタジー小説をうちの会社でゲーム化する、というものだった。 滅多に小説なんて読まない俺は、その小説のタイトルすら聞いたことが無く、スマホを取りだしワード検索した。 そうすれば、その小説には一度たりとも登場人物の挿し絵が入ったことがなく、文字でしか想像することが出来ない、という中々レアな作品であることが分かった。 内容の評価も高く、人気もある。 確かにゲーム化してもヒットする可能性はある、そう感じた。が、しかし一つ問題があった。 『一度も挿し絵が無い』という、ゲーム化で登場人物や小説内で描かれる世界をデザインしなくてはいけない、という難易度の高い企画。 もちろん俺にその経験は無く、ましてや読んだことのない小説とくれば浮かぶイメージなんてゼロに等しい。 きっと、主任の言った『本気』とは、このことを指していたのだろう。 (面白そう、だけどこれは大変だよなぁ... ... ) こんな企画、早々依頼が来ることは無い。 同じ部署の社員で何人が経験者なのか? 確認しなきゃ分からないくらいだ。 だけど逆に言えば、忙しくなることは確実で、俺の望んだ状況になったのかもしれない。 まずは先方に連絡して、打ち合わせだな。 ファイルの最後のページに挟まれた名刺を見ながら、俺は電話を手に取った。

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