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第36話
いつもはラフな格好だけど、今日はなるべく失礼のないように、と俺にしてはバッチリ決めた方に入る格好で出社した。
打合せはお昼休みが終わる13時、だから早めに出てカフェで食事をしようと主任に提案された。
遅れるよりいいか、と俺はその提案に首を縦に振り、打合せまでの時間を今か今かと待っていた。
「響ー、そろそろ出るぞー」
「は、はいっ!」
12時前に会社を出て、主任の車でカフェに向かう。
よく考えてみれば、こんな大きな仕事の打合せなんて初めてで、何も準備してなかった!と焦りが出てきた。
ハンドルを握りながらタバコを吸う主任は、緊張の欠片も感じない顔だし、きっと準備なんかする訳がない。
... 休みの日は仕事しない、がこの人のモットーらしいし。
あっという間にカフェに着くと、今日も主任の奢りでコーヒーミルクとサンドイッチ、というお決まりのお昼ご飯をトレイに乗せて、空いているテーブル席で向き合って食べた。
そうしていれば、時刻はあと数分で13時になる。
トレイを返却口に戻し、ドキドキしながら座り、店に入ってくる客をチラチラ見ていた俺に、主任がいつもと違う、やけに真剣な顔をして喋りだした。
「なぁ響」
「なんですか?」
「俺はお前の気持ちを優先すればいいと思ってるよ。」
「は?どういう... ... 」
『どういう意味?』
そう聞こうとした瞬間、店に入ってきた一人の男性に目が釘付けになる。
グレーのスーツに前髪をぴっちり上げるようにセットした髪型。
その辺のサラリーマンなんかとは比べ物にならないほどスーツが似合っていて、遠目でもその顔が整っていることが分かる。
コツコツと音を鳴らしながら、迷うことなく俺たちが座る席に近付くその姿に俺は言葉を失った。
「早かったんだね」
「ああ、昼飯食ってたんだよ」
主任の肩に手を置いて話すその人の声を、俺は知っている。
その人の首元に絞められているワインレッドのネクタイは、俺がお礼にって買って、あの日あの部屋に置いてきたネクタイで... ... ... ...
「こんにちは、響くん」
そう微笑んで主任の隣に座ったのは、間違いなくアキトさんだった。
「う、そ... ... なんで... ... ... 」
「あー、響、とりあえず待て。」
「でも... っ!」
なんで?なんでアキトさんがここにいるの?
何がどうなっているのか、状況が全く飲み込めない。
そんな俺にアキトさんはポケットから取り出したケースを開き、そこから一枚の紙を俺に渡した。
「この度お世話になります、担当の京極 暁斗です。... よろしくね。」
それは初めて見たアキトさん... いや、暁斗さんの名前がフルネームで書かれている名刺だった。
「こっちの名前は知ってるからわざわざ自己紹介なんていいよな?」
「もちろん。でも今日は顔合わせだけなんでしょ?」
「一応な。コイツ、こんな状態だし打合せなんか無理だろ。」
「こうなること分かっててわざわざカフェにしたくせに。ほーんと世話焼きだよね。」
俺の前で会話する二人は仲が良さそうっていうか、友達のような、初対面じゃないってことが分かる。それもまた俺を混乱させた。
主任は俺と暁斗さん、両方の顔を交互に見ながら、打合せらしく書類を出して話し出す。
「えーっと。分かってると思うけど今回は大きな企画になる。打合せ内容は他言無用、絶対漏らすな。あと次回から打合せは資料や... 暁斗の都合で出版社の会議室を使用させてもらう。」
「わざわざごめんね、時間作れたら行くんだけど... 」
「いーよ別に。あとそっちもスタッフ増やすんだよな?こっちもあと一人、打合せに参加させたいヤツがいるんだけど... 」
「ああ、一応増やす予定だよ。だからいいんじゃない?」
会話は混乱している俺を抜きにして進んでいく。
次回からの打合せ日程を確認したところで、主任は荷物を持って立ち上がった。
「んじゃ、俺行くわ。」
「え... しゅ、主任?まだ10分しか... 」
「今日は『顔合わせ』だから。俺も忙しいし、あとは響一人でも大丈夫だろ?」
「一人って... え!?俺置いて帰るんですか!?」
「あったりめーだ。暁斗、コイツ病み上がりだしおかしくなる前にちゃんと説明しろよ?じゃなきゃ外すから。」
「分かってるって。ありがとね、京極主任。」
嘘だろ!?そう思っているうちに本当に店を出ていく主任。
残されたのは身体を縮ませ俯く俺と、いつもと変わらない表情で座る暁斗さん。
「... ... 飲み物買ってくるよ。響くんもまだ飲める?」
「あ... は、はい... 」
なんでこんなことになっているのか。
手汗が滲み、心臓がバクバクして顔が上げられない。
少しして戻ってきた暁斗さんは、やっぱり俺の前にコーヒーミルクを置いた。
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