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『今日、定時上がりって... 』
喫煙所から戻った俺にそう言ったのは千裕くんだった。
暁斗さんが主任に会いに行くってことは、高い確率で千裕くんも同じ場所に居るってことで、多分全部知ってるから俺に教えてくれたんだろう。
そこまで言われたら会いに行かなきゃいけない、いつしか俺はそう思うようになって、仕事が終わってから久しぶりに暁斗さんのマンションに向かった。
俺より終わるのが早い暁斗さんは、きっともうマンションに戻っているはず。
頻繁に訪れていたその部屋のドアは、一週間来なかっただけで懐かしいと感じてしまう。
インターホンを押すか、それとも合鍵を使って中に入るか... そんなこと考えてしまうほど、俺は緊張していた。
(... ... アポなしだし、インターホンを押そう)
そう思ってインターホンに手を伸ばす。
思えば今まで一度も押したことのないそのボタンは、『ピンポーン』と明るい音を立てた。
するとすぐにバタバタと足音がして、鍵が開ける音がした。
... なんて言えばいいんだろう?どんな顔をすればいいんだろう?
緊張と不安でガクガクと足が震える。
でもここまで来たんだ。これ以上気まずくなる前に、ちゃんと言おう。
俺が知らない『ミキさん』のことをちゃんと教えてもらおう。
それからのことはどうなるか分からないけど、主任も『俺だけ』って言っていた。
きっと暁斗さんと主任は俺の知る限り一番親しい関係。その人がああ言うんだから、大丈夫。
だけど、ガチャリと扉が開いた瞬間、俺は息が出来なくなった。
「はーい?」
暁斗さんの優しい声じゃない。
扉からひょこっと顔を出したのは俺の知らない女の人。
俺より背が低くて、胸まで伸びた長い髪は緩めに巻いてある。薄めだけどしっかりメイクはしてあるその顔は普通に可愛らしい。
「おい!ミキ!勝手に開けるなって!」
そしてその後ろから暁斗さんの声が聞こえた。
焦ったような声が、確かに『ミキ』と言ったのを俺は聞き逃さなかった。
ーーああ、この人がミキさんなんだ。
暁斗さんが何度も俺には言わない『愛してる』を言った人は。
真ん丸な目をして首を傾げる姿に、やっぱり男の俺がこんな可愛い人に敵うわけないと痛感してした。
「... すいません、間違えました」
それだけ言うと、暁斗さんが玄関に辿り着く前に俺はエレベーターに向かって走った。
ねぇ暁斗さん。暁斗さんはミキさんと何をしていたの?
俺には会えなくてミキさんとは会えるの?
それとももう俺には会いたくないの?
きっとギリギリ暁斗さんには俺がインターホンを押したことはバレていないはず。
ミキさんがドアの側に立っていたおかげで上手く隠れていたから... 。
ならもういっそ、会わないままでいい。
話をする必要なんかない。
暁斗さんのマンションから少し離れた所にある小さな公園のベンチに座ると、冷たい風が身体を震わせる。
そういや今夜は冷えるって言ってたっけ。
まだ冬物の上着は出してなくて、長袖のシャツに軽くパーカーを羽織っただけの俺にここは寒すぎる。
少し前までは、暁斗さんが送り迎えしてくれていたから上着なんか必要なくて、すっかり出すのを忘れてたんだよな。
寒いと言えば暁斗さんのカーディガンを貸してもらえて、それを羽織ると暁斗さんの匂いがするからわざと忘れたり、今思えば暁斗さんは俺を甘やかすのが上手だった。
ねだればねだった分、甘やかしてもらえる。
それが『特別』なんだと思って、甘い日々の中で忘れかけていたミキさんの存在。
絶対忘れちゃいけなくて、絶対はっきり聞いておかなきゃいけなかった存在。
(どうせなら、ちゃんと暁斗さんの口から聞きたかったなぁ... )
鉢合わせなんて、流石に受け止められない。
仮に事前に聞いていたとしても、ちゃんと顔を見ることなんて到底出来やしないけど。
「響くん!!!」
そんなことをボーッとしながら考えていると、遠くから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
幻聴かな?暁斗さんの声みたい。
... そんなわけないか。だってミキさんと一緒に居るんだもん。ここに暁斗さんが来るわけない。
そう思ったとき、背後から急に抱き締められた。
「... ... っ、見つけた... 」
「え... ... ... ?あ、きと... さん... ... ?」
はあはあと息を切らしながら、耳元で聞こえるのは幻聴なんかじゃない。間違いなく暁斗さんの声だった。
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