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「えーっと、響くん?ちょっとこっち来て?」 主任の声はいつもより柔らかく、そして気持ち悪い程丁寧だった。 『響くん』って呼んでいいのは暁斗さんだけ!そう思いながら適当に返事をし、主任とスーツ姿の男が立つ場所まで向かうと、ジロッと男の視線が俺に向く。 「...こちら、昨日話した営業部の主任で山元(やまもと)さん。営業の方が人手不足みたいで、これから昼休みまで応援に行ってもらう。」 「山元 陣(やまもと じん)だ。よろしく。」 「あ...筒尾 響です。よろしく、お願いします。」 上から下まで、まるで品定めされるかのように見られてから、山元さんは『じゃあ行くぞ』とスタスタと歩き出した。 ...え、俺どうしたらいいの?荷物は?何持っていったらいいの? あたふたする俺に、主任が思いっきり背中を叩き上げ『後を追え!』と言うから、仕方なく手ぶらで山元さんを追いかけた。  営業部があるのは二階。 エレベーターで下りるのかと思えば、山元さんは無言で階段に向かう。 そりゃ上りよりかは楽だけど、わざわざ階段を使う人なんて滅多にいない。 嘘だろ!と思いながらも階段にたどり着き、山元さんの後ろを歩く俺。 もうここまでで一つハッキリしたことがある。 ...山元さんは、俺の苦手なタイプだ。 「...筒尾、だったな。」 「はっ!はいっ!!」 いきなり名前を呼ばれて、声が裏返る。 ただでさえ響くこの場所でこんな失態、恥ずかしい意外に何もない。 でも山元さんはそこに突っ込む訳でもなく、淡々と言葉を発する。 「まずは応援のこと、感謝する。君も仕事があると聞いているのに悪いな。」 「い、いえ...」 「営業は未経験、だったな?」 「はい。ずっとデザインにいたので...」 「そうか。まあ仕事はゆっくり覚えればいい。とりあえず俺のサポートを頼むことになるだろう。」 「わ、分かりました...」 硬いというか真面目というか、表情も変わらなければ声色一つ変わらない、そんな山元さんが営業だなんて...とにかく信じられない。 でも俺にお礼を言ってくれるところは好感度アップだ。 主任...あ、弥生主任ならきっとこんなこと言わないはずだから。 黙々と階段を降りて二階に着くと、俺は『B-1』と札の付いた部屋に通された。 電話が至るところで鳴り、バタバタと人が動く。 造りは同じのはずなのに、デスクが並んだあの静かな部屋とは全く違うこの場所が、『営業部』なのだと実感した。 「見ての通り、君が居たあの部署とは大違いだろう?」 「...はい。」 「ここは人と人を繋ぐ場所だ。その結果が売り上げになる。それを理解しておくように。」 「...はい...」 いくらゲームのデザインや出来がよくても、それを他者に広げる人が居なくては意味がない。 面白さを伝えダウンロードされて、やっと意味がある。 きっとそういうことなんだろう。 それくらい俺にだって分かること。 そう思って頷いていると、山元さんはフッと鼻で笑った。 「...まぁ君には無理かな?あんなところで働いているんだから。」 「...え?」 「毎日座ってゆっくりとパソコンに向かうだけの部署、だろう?デザイン部というのは。」 「はい?」 「ああ、失礼。気にしないでくれ。」 ーーー『毎日座って』『ゆっくりパソコンに向かうだけ』 今確かにこの人そう言ったよな? これって確実にバカにされてる...?? プチン、と俺の中の糸が切れる音がした。 「ちょ!ちょっと待ってください!!」 「...何か?」 「...さっきの、訂正してください。」 「さっきの?」 「俺の部署...デザイン部のことバカにしたこと!!確かにここよりゆっくりする時間は多いけど...パソコンに向かうのは仕事なんです!それなのに見下したようなこと、言われる筋合いはありません!」 これは俺の、いや俺たちデザイン部のみんなを侮辱したのと同じだ。そんなの許せない。 そう思って荒げた声は、この部屋に大きく響いた。 「...ハッ、訂正だと?ここがどんなことをしているのかも知らない役立たずのくせに偉そうだな。」 「そ、それは...っ!」 「何も知らないくせに、偉そうなことを言うな。」 「い、嫌です!...確かにまだ全然知らないけど...でもこれから覚えます。そのために応援に来たんです。デザインも営業も同じ会社の中の仕事です。ここだけが忙しいんじゃない。だから絶対さっきの言葉、訂正して貰います。」 「...そこまで言うならいいだろう。但し君がここで役に立てなければ、俺の言葉は訂正しない。」 「分かりました。それでいいです。」 いつの間にかシーンと静まり返った部屋で、俺は応援初日に大変なことを言ってしまったのかもしれない。 だけどデザイン部をバカにされたことだけはどうしても許せない。 (絶対、絶対、ぜーったいにここで役に立ってやる!!!) この真面目堅物人間にギャフンと言わせてやるんだ。 そう意気込みを新たにして、俺はキッと目の山元さんを睨んだ。

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