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Side AKITO ①
『新人教育』
それは何度か経験したことがあるけれど、毎回自分の仕事が詰まって残業続きになりストレスが溜まる、最も嫌だと思う仕事だった。
「おっ、おはようございますっっ!新入社員の松原晶 です!よろしくお願いいたしますっっ!!」
そんな仕事が回ってきたのは、俺自身決して暇だと言えるタイミングではない...むしろ忙しくて教育なんてやってられない時期だった。
松原と名乗った新人は、ショートカットの茶色い髪を揺らしペコリとお辞儀をした。
背丈は響くんよりもだいぶ低く、顔立ちも幼く見えて、『21歳』と聞いていたけれど高校生と言っても通じる程に童顔だった。
「漫画が大好きで、いつか漫画を作る側になりたいって思ってたんですっ!一生懸命頑張りますっ!!」
そう言った松原晶の瞳は希望なのか期待なのか、鬱陶しい位にキラキラと輝いて見えた。
だがしかし、この新人は色んな意味で厄介だった。
物覚えの悪さと要領の悪さ、そしてミスをしたときの凹みようがいちいち激しい。
でもしばらくすれば何事もなかったように明るさを取り戻し、そしてまた同じミスをする。
...この繰り返しで、俺がついていなきゃコピーの1枚すら満足に出来ないのだ。
これほど見込みのない新人は初めてで、さっさと辞めればいいのに、と何度心の中で思っただろう。
口に出してやろうかと思ったが、松原晶はやる気だけは他の誰よりもあって、そして前向きだった。
それがあったからこの新人を放って置くこともできず、自分の仕事は早朝の皆が出勤する前の時間と、定時を回ってから残業をして片付けることにしたのだ。
響くんに悪いことをしている、と常に罪悪感を胸に抱いていたのに、どうしてもこの新人を見捨てるようなことが出来なくて、仕事中も響くんのことと新人教育のこと、この2つが俺の頭をいっぱいにしていた。
響くんと毎日のように顔を合わせていたのに、それがいつしか寝顔をそっと見るだけに代わり、朝起こすことも出来ず、走り書きしたメモを残す時間すら取れなくなった頃、弥生から珍しくメッセージが入った。
きっと電話なんかしている余裕がない俺のことを理解していたのだろう、日付の変わった頃にそれを見ると、内容は聞いてもいない会社での響くんのことだった。
世話焼き丸出しのそのメッセージは、画面を何度かスクロールしなくてはならないほどの長文。
会議の資料のように近状をまとめられていて、何をしてるんだと苦笑してしまう。
「そっか...頑張ってるんだ...」
そこに書かれていたのは、響くんの仕事に対するモチベーションの話と、弥生が響くんを他の部署に応援に行かせようと考えている、という話。
弥生は響くんがここまで仕事に夢中になるのは俺と会えないせいだと思っているらしく、文末には『響を泣かせるなよ』なんて上から目線の言葉だった。
そんなこと、俺が一番思ってるしそうならないようにしなきゃと日々考えているに決まってる。
『世話焼きだな』
そう短く返信し、響くんのいないベッドで眠った。
それから程無くして、俺の気分を更に下げる仕事がやって来た。
1日中付きっきりで新人に仕事を教え親睦を深める、とか意味の分からない研修旅行だ。
入社一年以内に必ずそれはあるのだけれど、今年の研修旅行はもう終わっている。
時期外れのこの新人を、新年度の研修旅行に回せばいいのに、何故かこのタイミングで行うというのだ。
上から渡された1枚の書類には、こちらの都合なんて一切考えることのない研修旅行の日程が並び、研修対象者の欄には松原晶の名前のみ、そして指導者の欄には京極暁斗の文字が並ぶ。
つまりあれだ、俺はこの松原晶と二人で研修旅行に行かなくてはならない、そういうことだった。
「マジかよ...」
思わず漏れた言葉を聞いている人は居ない。
だってここは皆が帰宅した後、俺一人が残業する会社内だったから。
憂鬱で仕方ない気持ちのままなんとか仕事にキリを付け帰宅したのは当たり前のように日付が変わった後のことだった。
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