105 / 170

5-15

Side AKITO ③ 「え、まだ言ってねーの?」 「...タイミングを逃したというか...ね。」 深夜の3時、俺のマンションの前で横付けされた弥生の車の中で小声で会話をする。 理由は後部座席でスヤスヤと眠る千裕くんを起こさないためだ。 この日仕事から帰ると、明日が休みだという弥生から『何時でもいいから会えないか』というメッセージが入っているのに気付いた。 その時点で1時前で、メッセージを受信したのは12時間も前のことだった。 流石に寝ているだろう、そう思って返信するとすぐに返事が来て、出先からの帰り道だという弥生がそのままウチに寄ることになったのだ。 「後ろめたい気持ちなんてないんだろ?なら早いとこ言わないと...その旅行、明後日だろ?」 「もちろん無いよ。可愛いとも思わないし、むしろバカでドジでため息しか出ない。でもタイミングが無いんだよ、本当に。」 話題は『松原晶が女であること』で、そのことを最初に伝えなかったことを後悔していた。 弥生には簡単に言えたのに、何故か響くんには言えなくて、後で後でと思っているうちに研修旅行の日程が知らされて、更に言い出しにくくなってしまった。 隠したいわけじゃない、だけど言えば絶対に響くんを不安にさせる。 男と旅行ならまだしも、若い女の子と二人で研修旅行だなんて、俺なら信じられないし行かせたくない。 仕事なのだから仕方ないけれど、それを受け止めてもらえる、だなんて思えなかったのだ。 それともう一つ、最近の俺には悩みがあった。 「最近、響くんの顔を見てない...会おうにも時間がないし、響くんも同じみたいだし...」 それは極端に響くんと会う回数が減ってきていたことだった。 少し前まで同棲しているのと同じくらい、毎日のようにウチに来ていた響くんが、それをパッタリと止めた。 会話は無くとも寝顔を見て癒され、その隣で眠ることすら出来なくなった俺は完全に『響くん不足』だったのに、今すぐ会いに行く、なんてことも出来ないくらいに暇が無い。 それと同時に今まで感じたことのない不安が俺の中で広がっていて、もしかしたら響くんはもう俺のことを何とも思ってないんじゃないかとか、時間を作れない俺に冷めてしまったんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまう。 「あー...アイツ今めちゃくちゃ仕事に夢中、って感じだもんなぁ...」 「仕事ならいいよ、でももしかしたら他に...」 「女とか?いや、それは無い。ウチの会社ほとんど男だし、女って既婚者ばっかだぜ?」 「...女に限らず、他に好きな人できたとか...」 「それもねーよ。お前相当病んでんな?こんな弱気な暁斗、初めて見たかも。」 「...うるせーよ」 車の窓を少し開けた弥生はタバコに火を着けた。 それを見て、自分が最近タバコ休憩を取ることもなかったことに気付く。 ポケットにいつも響くんから貰ったジッポを入れていたのに、久しぶりに探ったそこにはジッポどころかタバコの箱すら見当たらない。 「ん、やるよ。」 「...さんきゅ」 差し出された弥生のタバコは、響くんが嫌いだと言っていた俺の吸うものよりキツイ匂いのするもので、吸い込んだ煙がいつも以上に重く感じた。 あれだけ大切にしていたものなのに、肌身離さず持ち歩いていたのに... そう思うと自分がいかに余裕がなかったかを思い知らされて、情けなくなってしまった。 「...大丈夫だよ。会社では俺が見てる。響はお前以外居ないから。」 「だと、いいんだけど...」 ーー今は弥生の言葉を信じるしかない。 彼は唯一俺が信頼出来て響くんと接点のある人間だ。 そして何より、もう何年も響くんのことを見てきて俺に教えてくれている。 そんな弥生が大丈夫だというならば、本当なのだろう。 そう分かっているのにモヤモヤした気持ちは晴れず、弥生と別れてから一睡もしないまま朝を迎え、そして気付いた時には憂鬱な研修旅行の当日だった。 二泊三日だというのに、駅で待ち合わせた松原晶は大きなスーツケースとバッグを肩に下げ、待ち合わせ時間ギリギリに到着した。 どうせ迷子になったとか、転けたとか、寝坊したとかそんなところだろう。 響くんはちゃんと起きれただろうか、寝坊していないだろうか... 目の前にいる松原晶のことなんてどうでもよくて、俺は常に響くんのことを考える。 「京極さん?大丈夫ですか?もう新幹線来ますけど...」 「え?あ、ああ...大丈夫。」 これに乗ったら地獄の三日間の始まり、そう思うと気が重たくて、いつまでもホームに居たくなる。 そんな気持ちのまま、俺は松原晶と共に到着した新幹線に乗り込んだ。

ともだちにシェアしよう!