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夕方近く、俺はスーパーでカートを引いて歩いていた。
久しぶりに暁斗さんに会うんだ、それなら疲れているであろう暁斗さんに、何かしてあげたい。そう思った俺は夜ご飯を作ろうと思ったのだ。
幸い時間はたっぷりあるし、カレー以外にもチャレンジする気持ちもある。
何より久しぶりに暁斗さんに会えることが嬉しくて俺の心は弾んでいた。
「んー...何にしようかなぁ...」
メニューはまだ考えていない。
というよりも思い付かなかったのだ。
暁斗さんとはもう付き合って4ヶ月くらいになるけれど、よく考えたら好きなものとか嫌いなものとか、あまり知らなかった。
お互い干渉することが苦手だから、と深く考えなかったけれど、誕生日も知らないのは流石にまずいよな。
...今日はたくさん話をしよう。暁斗さんにいっぱいくっついて、甘えて、ちょっと勇気を出してエッチなことも...してみようかな。
「って!何考えてんだ俺!!!」
モヤモヤと浮かんだ『エッチなこと』を掻き消して、目の前に並ぶ野菜に手を伸ばした。
キャベツ、レタス、ほうれん草...
あ、ほうれん草といえばベーコンだよな。
暁斗さんのほうれん草ベーコンはめちゃくちゃ旨いし、また食べたいなぁ...
って違う。今日は俺が暁斗さんにご飯を作るんだ。
...でもやっぱり食べたいなぁ...ほうれん草、買っておこうかな...
「っ、あ、すいません」
「いえ、こちらこそ...って、筒尾?」
俺がほうれん草に手を伸ばすと、横からニュッと現れた手が同じものを掴んだ。
慌てて離して謝ると、その手の主が俺の名前を呼んだ。
それは俺の知ってる声で、ここ最近よく聞くその声は...?と顔を上げると、その人物が俺を不思議そうに見ていた。
「や、山元さん!?」
「いかにも山元だが...お前、料理するんだな」
「え!?ちょ!?本当に山元さん!?」
「はあ?だから山元だと言っているだろう?」
そこにはいつもはきちっとセットされている髪が、今日は何も手を加えられずサラサラと揺れていて、スーツ姿じゃなくてラフな私服姿の山元さんが居た。
俺と同じようにカートを引いて、カゴの中には野菜に調味料なんかが山盛りになっていて、俺はまさかスーパーで上司...しかもあの山元さんに会うとは...
「どうした?」
「い、いや...山元さんも、お休みだったんですね?」
「ああ。だからこうして買い物に来ているんだ。お前も同じだろう?」
「え?あ、はい...」
「肉も野菜も魚も食えよ。お前はガリガリなんだから、ちゃんと食わなきゃ倒れるぞ。」
山元さんはそう言うと、空っぽの俺のカゴの中にほうれん草を入れて、『じゃあな』と去っていった。
その姿があまりにもスーパーに似合わなくて、そして会社で見る山元さんとギャップがありすぎて、俺は込み上げる笑いを堪えるのに必死だった。
*****
「結局カレーかぁ...」
あのあと、一時間もスーパーに滞在した俺はカレーの材料の入った袋をぶら下げて通りを歩いていた。
他のメニューを考えても、普段から料理をしない俺に何かが浮かぶわけでもなく、悩みに悩んだ末カレーに行き着いてしまった。
新しい料理に挑戦しないのなら、まだ暁斗さんの部屋に行くには早すぎる時間。
何処かで暇を潰さないと...と思った俺は、少し先にカフェの看板が目に入り、そこで時間を潰すことにした。
久しぶりのコーヒーミルクを注文し、店内で空席を探してもなかなか見つからない。
それもそうか、平日の夕方は学校帰りの学生で賑わっていて、どの席もお喋りに夢中になっている。
店内で飲むことを想定しマグカップに淹れてもらったけれど、テイクアウトに変えてもらおうか...
「すいません、満席みたいなのでテイクアウトに変更できますか?」
「っ!失礼しました...!喫煙席なら空きがあったのでこちらから確認もせずにマグカップでご用意してしまいました...、すぐにテイクアウト用に致します!」
「え、喫煙席なら空いてるんですか?」
「は、はい...。奥の扉の向こうになりますが...いかがなさいますか?」
「そっか...じゃあ喫煙席にします。」
申し訳ありません、と頭を下げる店員に案内されて店の奥にある喫煙席に向かうと、確かにそこは空席ばかりだった。
そういや暁斗さんとカフェに来たときも喫煙席か空いてたんだっけ...懐かしいなぁ。あの頃はまさか付き合えるだなんて思ってなかったし、そもそもまだ好きって感情に気付いてもなかったんだっけ。
一番端のテーブルにカップを置いて、そんなことを思い出しながらコーヒーミルクに口を付ける。
ふわっと香るコーヒーの匂いと、久々に飲んだミルクの味が俺を更に懐かしくさせた。
普段は絶対に座らない喫煙席はとても静かで居心地はそれなりに良かった。
それもそのはず、学生は居ないし、俺以外の客は斜め前に座る男性客一人だけ。
喫煙席だから当然タバコを吸う人なんだろうけど、弥生主任みたいに次から次へと吸い続けないし、何より煙たい俺の嫌いな匂いがしなかった。
これなら長居出来るなぁ、と思い、スマホ片手に再びコーヒーミルクに口付けた。
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