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カップのコーヒーミルクが無くなる頃、ちょうどあれから一時間が過ぎようとしていた。 山元さんも帰ると言ったので、俺も暁斗さんのマンションに向かうことにし、二人でカフェを出た。 「じゃあまた明後日。」 「はい。あ、コーヒーご馳走さまでした!」 「ああ。...手料理、喜んでもらえるといいな。」 「はい!...って、ええ!?」 はは、と笑いながら山元さんは俺に背を向けてすでに歩きだしていた。 一度も俺の料理のことには口を出さなかったのに、どうして俺が誰かに作るために食材を買ったのがバレたのか... 不思議だったけど、追いかけてまで聞きたいわけでもなくて、俺はそのまま山元さんとは逆方向の暁斗さんのマンションに向かって足を進めた。 久しぶりに合鍵を使い入った部屋は、何も変わったところがないくらい綺麗に片付いていた。 俺の予想が正しければ、何も変わることがないくらい、暁斗さんはここで時間を過ごしていない。きっと残業ばかりの日々だったんだろう。 冷蔵庫にはミネラルウォーターと調味料が少しあるだけだったし、食器だって使った形跡がない。 ちゃんと食べているのか、心配になるくらいだった。 「よし...、やるか!」 今日は俺のカレーを食べて元気になってもらわなきゃ。 意気込んで握った包丁はまたしてもじゃがいもの原型を無くすほどに皮(というより身)を向いて、やっぱり牛肉の主張が激しいカレーになったけれど、今日はレタスをちぎっただけのサラダも作った。 前より時間もかからず仕上がったし、あとは暁斗さんを待つだけ。 「早く会いたいなぁ...」 ぐるぐるとカレーをお玉で混ぜながらそんなことを一人呟く。 暁斗さんに喜んで貰えるように、美味しいって言ってもらえるように... そんな乙女ちっくなことを考えていると、玄関の方でバタンと物音がした。 「響くんっ!」 「え?あ、暁斗さん!?」 「...仕事、早く終わったから...」 「そうなんだ、良かった。今カレーが...って!?あ、暁斗さん!?」 もちろんその音を立てたのは、この部屋の主である暁斗さん。 暁斗さんはリビングの扉を開けて俺の顔を見るなり、ほっとした表情を見せたあといきなり俺を抱き締めた。 「ごめん、ちょっと...」 「え?ど、どうしたの?」 「...久しぶりに響くんの顔見れたから...」 「...暁斗、さん...」 きつく抱き締める暁斗さんの腕が小刻みに震えていた。 春に近づきつつあるとはいえど、外はきっと寒かったんだろう。 部屋の暖房は勝手に入れちゃったけど、まだあまり時間が経っていないから冷えてるのかな? 「.....ねぇ響くん、今日誰かと会ってた?」 「え?いや...」 「本当に?本当に誰にも会ってない... ?」 「え、と...あ、スーパー行ったあとに主任...営業の山元さんとカフェでお茶したよ?それがどうかしたの?」 「...ううん、何でもない。」 「暁斗さん?なんか変だよ?」 「ごめんね、大丈夫。...ご飯、作ってくれてたんだね。ありがとう。お風呂入ってから食べてもいいかな?」 「う、うん...あ、じゃあお風呂のお湯、溜めるね。」 暁斗さんは俺を抱き締めたあと、いつもより心なしか低い声で『誰かと会ったか』を聞いた。 今まで休みの日に何をしていたかすらほとんど聞かれたことないのに...。 暁斗さんがおかしい。 そう思ったけれど、お湯を溜めている間も、そのあと一緒にお風呂に入った時も、俺の作ったカレーを美味しいって食べてくれたときも、いつも通りの暁斗さんに戻っていたから、『おかしい』と感じたことなんてベッドに入ってからはすっかり忘れてしまっていた。 そんなことよりも、久しぶりに二人で寝転んだ暁斗さんのベッドの感触やお風呂上がりのシャンプーの匂いが俺をドキドキさせていた。 ここ最近は自分の狭くて硬いシングルベッドで眠っていたし、シャンプーだって暁斗さんのものとは違うのを使っていた。 だから全てが俺の胸をくすぐって、それと同時にこの後の展開を期待してしまう。 「暁斗さん、あの...」 「ん?どうしたの?」 「...つ、疲れてる?」 「まぁね。ずっと忙しいし、あまり眠れていないし...」 「そっか... じゃあ、今日は早く寝ないとねっ」 いくら期待している、と言っても、自分から誘える勇気は無い。 久しぶりだというのに、仕事で疲れている暁斗さんに無理をさせたくないし、盛ってると思われたくもない。 だから早く寝ないと、と言ったのだけど、暁斗さんはそんな俺を見てクスリと笑った。 「本当に寝ちゃっていいの?」 「え...?」 「残念だなぁ。久しぶりに会えたから、色々したかったんだけどなぁ...響くんに寝なきゃって言われたら、そうしなきゃなぁ...」 「えっ、ちょ!?暁斗さん!?」 「...ふふ、ごめんね、意地悪言った。響くんは眠くない?」 「ね、眠く...ない...。」 「じゃあ、抱いていい?」 「っ!あ、暁斗さ...っ」 意地悪く笑った暁斗さんは、俺の返事を待たずに唇を重ねた。 そっと重ねるだけの、柔らかくて優しいキス。 そんなんじゃ足りないことくらい暁斗さんは知ってるはずなのに、それ以上のことをしてくれない。 「っ、暁斗さん...っ!」 「ん?なぁに?」 「~~~~っ」 「...かぁわい。今日は久しぶりだから響くんの言うこと、全部聞いてあげるね。」 耳元で甘い声を出して囁かれ、俺の全身がピクンと反応した。 だってそれは、『言わなきゃしない』って言われてるようなもの。 優しいこと言ってるつもりなのかもしれないけど、俺にはそれが意地悪だってもう気付いてる。  甘い囁きに甘い誘惑、そして色気を纏った愛しい人を前にして、我慢が出来るほどの余裕なんて俺には無かった。 「...っ、もっと、キスして...っ」 「もっと?こう?」 「ちがっ、...舌、入れてほし...っ」 「...ああ、本当可愛い。分かった。エッチなキス、いっぱいしてあげるね。」 「んっ、ふあっ...!」 ソフトなキスが俺の求めていた激しいキスに変わると、暁斗さんの瞳が獣のようにギラついたような...。そんな気がした。

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