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それから季節は春直前、三月に入ると暖かい日差しが増えて仕事はますます忙しくなった。 クリファンの企画は大詰めで、今月中にデザイン案を決定したら俺の仕事は一段落つく。 だけどそれと同時に告知開始されて、山元さん達営業部が忙しくなるから俺は応援を続けることになった。 掛け持ちで仕事を進めていたけれど、自分でも驚くほどに進みは上々だったのは一日中デザインと向き合っていなかったかもしれない。 応援に行くことが気分転換になって、短時間でも集中できる。 休みの日は前日から暁斗さんのマンションに泊まって蜜な時間を過ごし、それ以外は自宅に戻って睡眠優先。 そんなサイクルを続けていたら、俺は半年前よりずっと成長したと自覚が芽生えた。 そんな自信が付けば自然と行動にも現れて、どうやって話しかけようかと悩んでいた同僚にも、いつの間にか挨拶や今までメールで確認していたようなことを直接聞けるようになったり、千裕くん以外の人とお昼ご飯を食べる日も出来た。 皆話してみればいい人ばかりで、お互いのデザインに対する意見交流もできて悪いことなんてひとつも無い。 もっと早くこうすればよかった、そう思うくらいなのだ。 それもこれも転機は営業部への応援。 嫌味を言われて何だコイツって思ったけど、山元さんと出会ったから俺は変われた。 「筒尾、昨日電話のあった...」 「A社の打ち合わせの件ですよね?山元さんのスケジュール見てさっき連絡しておきました」 「ありがとう。それと明日の午後の会議の資料を...」 「はい、まとめてあります。」 「...ありがとう。」 山元さんの側で仕事をするうちに、いつしか見返してやるって気持ちは消えていて、代わりにこの人に認めてもらいたいと思うようになった。 山元さんが次に何をして欲しいか、何が必要か、その為に俺がすることは何か。 考えて動くことは楽しかった。 「筒尾」 「はい?」 「...お前、変わったな。」 「そう、ですか??」 「ああ。初めて会ったときよりずっといい顔するようになった。」 山元さんの急な誉め言葉に驚いていると、『ほら行くぞ』って背中を叩かれた。 最近は営業回りにも同行させてもらってて、いつか自分の関わったゲームを自分で他の人に売り込みたいなぁ、なんて思ってる。 とにかく最近はプライベートも仕事も、全てが順調。怖いくらいに順調だったんだ。 ーーだけどそんな日々はそう長くは続かなかった。 順調だと思っていたのは自分だけ、そう気付いたのは全てが手遅れになったあと... どれだけ後悔しても遅くて、千裕くんのあの言葉の意味を理解できたのはその時だった。 ***** 「響くん、4月10日って予定ある?」 エッチの後のまったりタイム中、暁斗さんの腕の中で余韻に浸っていた俺に珍しく暁斗さんは日にちを指定して予定を聞いた。 それは1ヶ月近く先の日にちで、何かあったっけ?と予定を思い出す。 営業の応援はあるだろうけど、クリファンの企画はもう落ち着いてるはずで、そうなれば仮に仕事だったとしても定時で上がることは出来るだろう。 「大丈夫!主任に休みの希望出そうか?」 「ううん、仕事だったら終わってからでいいよ。」 「そう?...その日、何かあるの?」 「んー...まだナイショ。」 「ええ!?何それ!気になるーっ!!」 暁斗さんが俺に予定をあけてって言うなんて、きっと何かあるはずに違いない。 でもその何かを教えてくれない暁斗さんは、『その日が来たら教えるね』って俺のおでこにキスをして、ぽんぽんと背中を叩いた。 そのリズムが俺の眠気を誘って、気になりながらもウトウトして...結局何があるのか聞けないまま眠りについた。 翌朝はエッチの後遺症に襲われたけど、もうそれにも慣れた。 だってこれはよく考えたら幸せな痛みだし、消えるまでの数日間は暁斗さんのことをすぐに思い出せる。 ...よし、今日からまた頑張ろう。次の休みは5日後、それまでにやらなきゃ行けないことは山ほどあるんだから。 「...いってきます。」 暁斗さんはもう一時間も前に出ていって、俺一人の暁斗の部屋。 だけどなんとなくそう言いたくて、誰がいるわけでもないのにそう呟いて部屋を出た。 暁斗さんがいなくても一人で起きれるようになって、一人で朝食を食べて、始業時刻の15分前には自席に着くことも出来るようになった俺。 だけど今日は身体が痛かったから少し家を出る時間を早めて、会社までの道のりをゆっくり歩いた。 分厚いコートを着なくても暖かくなり始め、徐々に春になりつつあるこの道は、もう何度も何度も歩いた道。 途中にパン屋さんとコンビニがあって、朝食を食べ損ねて家を出た日はどっちかでパンを買って食べながら会社に行ったんだっけ。 そうならなくなったのはつい最近のことなのに、買い食いがもう懐かしいと感じてしまう俺がちょうどパン屋さんの前に差し掛かったとき、見覚えのある車が停まっているが視界に入った。 「あれ...暁斗さん...?」 それは間違いなく暁斗さんが乗ってる車。 俺が冬場寒くないようにって、暁斗さんが用意してくれたブランケットが助手席に置いてあるのが見えたからだ。 でもなんで暁斗さんがここに? ...仕事が忙しいからって先に出たはずなのに、この時間帯にパン屋さんで買い物? 不思議に思いながらも暁斗さんの姿を探し、店の自動ドアの前に立った時だった。 「あーっ!京極さんっ、それ私が食べたいのにっ!」 「だーめ。早い者勝ち。」 「ずーるーいー!!私もクリームパン食べたいーっ!!!」 「松原うるさい。」 ふわっとパンのいい匂いがしたのと同時に、俺に背を向けて仲良さげにパンを選ぶ人の姿。 見慣れたスーツ姿の男の人と、俺より小さくて細くて、短い髪を揺らしながら文句を言う女の子。 後ろ姿と聞こえた会話だけで、二人が初対面には見えなくて、俺は二人が振り返る前に後退りしその場から走って逃げた。 なんで、なんで、なんで。 あれは間違いなく暁斗さんだった。 仕事が忙しいからって言ってたのに、なんでここにいるの? ...ううん違う、なんで女の子と一緒に居るの? 『京極さん』『松原』 そう呼びあっていた2人の関係はなに? それに暁斗さんのあの喋り方、俺にはあまりしてくれないあの喋り方だった。 そんな親しい女の子の存在を俺は知らない。 聞いたことないし見たこともない。 だとしたら俺がさっき見て聞いたのはなんだったんだ...? 「...暁斗さん...俺のこと...もう好きじゃない...?」 ポツリと出た言葉は俺を不安の渦に引き込む。 今まで考えもしなかった、暁斗さんの『浮気』の可能性。 あれだけ愛し合ったばかりなのに、暁斗さんが浮気なんてするはずがない。 だけど......。 あの女の子は誰なのか、何故二人は一緒に居るのか。 それが気になって仕方ないまま出社した俺は、一日全く仕事に身が入らなかった。

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