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「ただいま、響くん」
「おかえりなさい、暁斗さん。勝手に来てごめんね?」
「いいよ。そのために合鍵渡してるんだから。今日は早かったの?」
「うん。だから暁斗さんに会いたくて来ちゃった。」
「そっか。嬉しい。あ、ご飯食べた?」
「まだだけど今日は大丈夫。明日仕事だから早めに帰ろうかなって。」
「そうなの?」
「うん...」
あれから靴箱に隠した靴を玄関に置き直し、顔を洗って泣いた跡を隠した。
そして俺は、俺と暁斗さん以外が入ったこの部屋...微かに残る花の匂いを感じながら最後の賭けに出ようと決めた。
「ねぇ、暁斗さん」
「ん?どうしたの?」
大好きな暁斗さんの、大きな背中に腕を回し、大好きな暁斗さんのタバコの匂いと体温を感じる。
「暁斗さん、ここから俺の会社に行くまでにあるパン屋さん知ってる...?」
「パン屋?...ああ、知ってるよ。」
「暁斗さんはあそこ行ったことある?」
「うーん......あったかなぁ?なんで?」
「...俺、あそこのパン屋のクリームパンが好きなんだ。だから暁斗さんは知ってるかなぁって思って。」
「そうなの?知らなかった。今度の休みに一緒にいこうか。」
ーー俺の賭け、それは俺が今までに見たこと聞いたことを暁斗さんが隠さずに教えてくれるかということ。
「あとさ、暁斗さんって最近お仕事忙しいんだよね?」
「うん。毎日残業。嫌になるよ。」
「会社からここまで、寄り道とかしないの?」
「しないよ。早く帰りたいし、こうして響くんが待ってることがあるからね。」
ーー俺に嘘を吐かず、隠し事をしていないって信じたいから。
「...あとさ、ここに俺以外の人...入れたことある?」
「響くん以外?...弥生や千裕くんはあるよ?どうしたの、響くん、何かあった?」
「...ううん、なんでもない。ちょっと気になっただけ。」
「...ねぇ響くん、こっち向いて?」
「......」
「響くん!」
暁斗さんの背中に顔を埋めた俺はブンブンと首を振った。
それは俺の必死の抵抗で、絶対に顔を見せたくなかったから。
「響くん、何があった?何を聞いた?」
「な...んにも、っ」
「ならなんで泣いてるの?お願いだから顔見せて」
「いや...っ、いやだ...っ」
震える声で泣いてることなんてすぐにバレてしまうのに、だけどどうしても顔を見られたくなかった。
もし暁斗さんが俺に全部隠さず話してくれたら、前に見たことも今日聞いたことも、話すタイミングがなかったんだって教えてくれたら、『そうなんだ、酷いよ暁斗さん』って笑うつもりだった。
だけど暁斗さんの口からは、本当のこともあの女の子、『松原』の名前すら出てこなかった。
暁斗さんは俺に隠したいんだ。
全部教えてくれる、全部知ってって言ったくせに、暁斗さんは嘘を吐いた。
俺の賭けは失敗。
そうなったら、もう俺に残された選択肢は一つしかなかった。
大好きで仕方ない暁斗さん。
俺だけの暁斗さん。
だけど暁斗さんは俺に言えないことがある。
俺には知られたくない人がいて、知られたくないことがある。
もう、暁斗さんを信じられない。
「......暁斗さん、俺のお願い、聞いてくれる?」
「お願い...?」
「いつもみたいに、俺がちゃんと言ったら、暁斗さんは聞いてくれるんだよね...?」
「...うん」
「絶対、絶対だよ...?」
「...うん。約束する...」
『俺だけを見て』
『俺だけを愛して』
『もう隠さないで』
『全部教えて』
そう言えばよかったのかな。
だけど俺の口から出たのは、今まで絶対に言うことがないと思っていた言葉。
死んでも言いたくない、そんな言葉だった。
「俺と別れてください。」
静まり返った部屋に、俺の震える声が小さく響いた。
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