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6-3

主任が帰ったあと、ボーっとしていた俺が会社を出たのは23時を回った時だった。 見回りの警備員に声を掛けられるまで時間なんて全く気にしてなくて、慌てて帰り支度をした。 (やば...頭クラクラする...) 急いだせいか、少し動いただけで身体は重たくなり、頭だけじゃなくて目もクラクラしてる。 壁つたいに会社を出たところで踞ってしまうくらい、俺は限界だった。 最後に食べたのはいつ?ちゃんと眠ったのは? ...だめだ、思い出せない。 暁斗さんのことならすぐに思い出せるのに、自分のことになるとその記憶は曖昧だ。 徐々に薄れていく意識の中で、誰かが俺の名前を呼んだ気がした。 それが暁斗さんだったらなぁ、そう思うと不思議と幸せな気持ちになる。 ふわりと身体が浮いて、温かさを感じると急に眠気が俺を襲い、俺はそのまま目を閉じた。 ーーーーーーー ーーーー 「...ん.......、」 あったかい なんだろう?この久しぶりの感覚は... ああ、そうだ、暁斗さんが腕枕してくれて一緒に眠る、あの感覚だ。 暁斗さんが来てくれたの? それとも夢? どっちでもいいや。こんなに気持ちいいなら夢でも幸せだもん。 「あきと...さ...だいすき...」 夢なら言ってもいいよね? あの日からずっと胸の中で何度も何度も繰り返し言い続けた言葉。 口にすると、鼻の奥がツーンとしてじわりと涙が滲む。 すると俺の目元に指が触れ、それをそっと掬うように動いた。 「ふふ...あきとさん......」 ああ、なんて幸せな夢なんだろう。 このまま目覚めなきゃいいのに。 ずっとこの夢の中で暁斗さんを感じられたらいいのにーーーー 「馬鹿、人違いだ。」 だけど耳元で聞こえた暁斗さんとは違う声で俺は一気に現実に引き戻される。 ハッと目を開くと、そこは暁斗さんの部屋でもベッドでもなくて、俺の横に居るのも勿論暁斗さんじゃない。 「や...まもと、さん...?」 「ったく、あんなところで倒れて...俺が通り掛からなかったら、お前どうしてたんだ?」 「え...?俺...?」 「...たまたま会社の前を通ったらお前が踞ってて、名前を呼んだらそのまま倒れたんだ。放っておけないからそのままここに連れてきた。」 「ここ...?」 「俺の家だ。」 「へ...?」 そう言った山元さんは俺の頭の下から腕を引き抜き、ぶつぶつ文句を言いながら立ち上がった。 だんだんとはっきりしてきた視界で辺りを見回すと、確かにここは俺の知らない部屋だった。 純和風の雰囲気...畳に敷布団、そこに俺は寝転んでいて、山元さんはスーツ姿でも私服姿でもなく浴衣姿。 茶の間?床の間?なんだっけ、とにかくそんなスペースには掛け軸が飾ってあって、花まで生けてある。 「あ、あの、山元さんっ」 「ちょっと待ってろ。」 「いやっ、俺帰りますっ!!」 「馬鹿。そんな身体でまた倒れたらどうする?俺が戻るまでそこから動くな。いいな?これは上司命令だ。」 そう言うとピシャン、と山元さんは襖を閉めて何処かに行ってしまった。 どうすることも出来ずに布団の中に居ることしかできない俺は混乱していた。 だって、俺が暁斗さんだと思って感じていた体温や涙を掬ってくれた指は山元さんだったってことだろう? 夢で、幸せだって思ったのに、夢でもなければ暁斗さんでもなくて他の人、しかも上司...... (俺...暁斗さんの名前、呼んだよな...?) うわあああ、と声にならない声を上げてどうしようと焦るのは、山元さんは俺の恋人を女だと思っているから。それなのに自分から暁斗さんの名前なんて呼んだら......きっと、あれ?って思うよな。 (でも...もう終わった話...) 暁斗さんはもう恋人じゃない。 別れを告げて俺から離れたんだから。 だから今暁斗さんのことが山元さんにバレたって、どうってことないのか... 「おい、お前大丈夫か?」 「へ!?!?」 「...百面相していたぞ。」 「うそ!?」 「それよりほら。お粥なら食えるか?」 「お、お粥?」 「どうせ食べていないんだろう。ろくに眠れてもいない、だから倒れたんだ。」 「......っ」 戻ってきた山元さんが持っていたのは、お粥の入った小さな土鍋。ほかほかと湯気が立っているそれは出汁のいい匂いがして、少しだけ食欲が沸いた。 「...い、いただき...ます...」 「熱いから気を付けろよ」 「はい。...熱っっ!!!!」 一口、口の中に入れたお粥は想像以上に熱くて、確実に舌を火傷した。 だけどじわっと広がる味は優しくて、美味しくて、身体を満たしてくれる。 そういえばずっと前、暁斗さんもこうやってお粥を作ってくれたことがあったっけ。 あのときも優しい味が広がって幸せな気持ちになった... 「~~~~~っ、」 「お、おい、泣くほど熱かったのか?」 「ちが、っ、お、美味しくて、」 「はぁ?」 「美味しくて、優しくて...っ、暁斗さんみたいでっ、ふぇ、暁斗さん...っ!」 何をしていても、何処にいても、思い出してしまう暁斗さん。 忘れるなんて、思い出さないようにするなんて、俺には出来なくて。 小さな土鍋の中にぽたぽたと俺の涙が落ちて、塩気の増したお粥が冷めるまで泣き続けた俺。 「...筒尾、とりあえず食べろ。食べてから話を聞いてやる。」 「うぅ...っ、ふ、」 「泣くな。男だろ?」 「で、でもぉ...っ」 「ああもう!何なんだお前は!...ほら、口開けろ!」 「ふぇ...?...んぐっ」 そんな俺を見兼ねたのか、山元さんは俺の手からレンゲを奪うとお粥を掬い俺の口に押し込んだ。 「や、やまもとひゃ...」 「飲み込んだか?ほら次」 「ちょっ、待っ...」 「早く食え。」 「んぐぐっ」 次から次へと押し込まれるお粥は確かに美味しいのに、その量とペースは加減を知らなくて。 土鍋のお粥が無くなる頃、俺の腹はパンパンに膨れていた。

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