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「......待って!」
「っ!?」
すれ違い様、俺の腕は暁斗さんの手に掴まれた。
その瞬間、たったそれだけなのに掴まれた場所からドキドキが毒みたいに全身に回っていく。
気付かれたくない、でも気付いて欲しい。
上手く呼吸が出来ないほど俺の心臓はバクバクしていた。
...山元さんに押し倒されたときより、ずっと。
「...響くん、だよね?」
「...!」
「やっぱり。...どうしてここに?」
「え...と...上司と...」
「ああ、そっか。異動したんだったっけ?」
「...うん。...でもなんで」
「弥生から聞いた。ね、ちょっと時間ある?...ううん、時間貰えないかな...?響くんと話がしたい。」
名前を呼ばれた瞬間、逃げたい気持ちより気付いて貰えた嬉しさで顔を上げてしまった俺は、打ち合わせぶりに暁斗さんの顔を見た。
真っ直ぐに俺を見る目は優しさが溢れていて、その頼みを断ることなんて出来るわけがない。
コクンと頷くと『ありがとう』と微笑んだ暁斗さんは、会場には戻らずホテルのロビーにあったソファーに俺と松原を連れて、そこに座った。
「綾小路先生、すごかったね。」
「...う、うん」
「料理は食べた?そうだ、ここのお酒美味しかったよ。」
「ま、まだ...、これから...」
「...そっか。」
松原は無言でソファーに座り、俺と暁斗さんはぎこちない会話をする。
どうやって、何を話したらいいのか分からなくて、まだうるさい鼓動のせいで上手く言葉が出てこない。
もしも会えたら、話したいことも聞きたいことも沢山あったはずなのに。
「......響くん。」
「っ、」
「ごめんね。」
「え...?」
「ずっと、言いたかった。ずっと聞いて欲しいことがあったんだ。」
暁斗さんは俺の気持ちを見透かすように、触れたかった話題に触れた。
『ごめんね』の意味、『聞いて欲しいこと』とは何か。
暁斗さんが松原の方を向くと、それが暁斗さんの話したいことなんだって気付いた。
「これ、俺の部下の松原。響くんに話してた新人なんだ。」
「ま、松原晶です!京極さんには大変お世話になってます!!」
「...それから...えっと...何から話そうか...」
「京極さんっ、まずはあの話を!」
「いやそれは後だ。...ごめんね。響くんの顔見たら何話せばいいのか分からなくなっちゃった。まだ時間大丈夫?」
「う、うん...多分...」
『松原晶』
そう名乗った女の子は暁斗さんが教育していたあの新人。
それが分かると、なんで一緒に居るのか、その理由はなんとなくだけど分かった。
俺も新人の頃は右も左も分からなくて、主任が付きっきりで仕事を教えてくれたっけ。
優しい暁斗さんはそれでこの子と一緒に居たってことなのかな...?
でもそれで俺が別れを切り出したことが全て解決するわけがない。
二人がパン屋にいたこと、それを暁斗さんが隠したこと。
すぐに帰ると言ったのに、この子を車に乗せていたこと。
そして部屋にいれて、俺にはバレちゃいけないって言ってたこと。
それはまだ一つも解決なんかしていない。
黙って会場を抜け出していたから、もしかしたら山元さんから連絡があるかもしれない、と思ったけれど、スマホを見ても連絡は無い。
ということはまだ俺が会場に居ないことに気付いていないんだろう。
今が話をするチャンスなんだ、そう思って俺は二人の方を見て、『話して』と短く言った。
もう今を逃したら、話をする機会なんてない、そう自分に言い聞かせて。
「あーーー!!いたーーー!!!!!」
だけど神様が俺と暁斗さんに与えた時間は短かった。
大声がロビーに響くと、俺たちの座るソファーに向かって走ってくる人影が邪魔をする。
「もう!探したんですよ!?二人で抜け出すとか本当あり得ないんですけど!!」
息を切らしながら暁斗さんと松原に文句をつける男、それは久しぶりに見たダッチーだった。
もう数ヶ月連絡も取っていないダッチー、だけどその声と髪型、顔つきは何一つ変わっていない。
「あれ?響?なんでここにいんの?」
「仕事絡みで...」
「え!?...あ、まさか新郎の?うわー!マジか!すっげぇ久しぶりだな!元気だった?」
「う、うん。ダッチーも元気そうだね。」
「そりゃあな!あ、そうそう!子供生まれたよ!俺もパパになったー!!」
「そうなんだ...!おめでとう」
「さんきゅ!」
このテンションも、しゃべり方もダッチーはダッチーのままだ。
『子供』と聞いてともちゃんが妊娠中だったことを思い出して、悪阻の話や実家に帰った話を思い出す。
あの頃はまだ暁斗さんと付き合ってなくて、色々悩んでたんだっけ...
「てかなんで三人が一緒?知り合い?」
「...クリファンの企画でちょっとね。達郎、お前席はずして?うるさいのが来ると迷惑。」
「相変わらず俺には厳しいっすねー。晶ちゃんはずーっと側に置いてるくせに!」
「黙れって達郎」
「響、晶ちゃん超可愛いだろ!?ウチの会社の一番可愛い子なんだぜ!」
多分、ダッチーは酔っ払っている。
そんなに顔には出ないけど、ベラベラ喋り続けるのはその証拠だって、親友の俺は知っている。
止めても止めても静かにならなくて、余計なこと言ってもダッチーの気が済むまで喋り続けるってことを何度も一緒に飲んだ俺は知ってるんだ。
「で、このお方が俺の上司の京極さん!会社イチのイケメンにして仕事も完璧にこなすハイスペック男子!!」
「もう黙れって」
「そんでそんでこの美男美女の二人はわが社の誰もが羨むカップルなんだぜ!!」
「達郎!!!」
『カップル』そうダッチーが言ったのとほぼ同時に暁斗さんが大声を出した。
俺も、ダッチーも、松原も、その声に驚いて動けなくて、うるさかったダッチーも口をつぐんだ。
ああ、やっぱりそうなんだ。
美男美女...うん、分かるよ。暁斗さんは言うまでもなくカッコよくて仕事も頑張ってて、その上料理もできて優しい。
俺はマイナスイメージから入っているから、それまで何とも思わなかったけれど、ダッチーに言われて松原の顔を見れば確かに『可愛い』に分類される女の子だ。
俺よりずっと小さいのに、柔らかい雰囲気は女の子らしいし、いつか嗅いだ花の匂いがする。
香水臭い匂いじゃなくて、シャンプーとか洗剤みたいな優しい香り。
俺みたいなただ華奢な男より、誰だってこの子を選ぶってことなんて、一目見たら分かることだったんだ。
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