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「響、早くしろ。間に合わないぞ?」
「ちょっと待って!...あ、陣!スマホ置きっぱなし!!」
「え?...ああ、本当だ。」
「はい。じゃ、早く行こー!めっちゃ楽しみにしてたんだよねっ、この映画!」
「...寝るなよ?」
「寝ません!たーっぷり寝たからねっ!」
蝉の合唱に滅入る日が続く中、休みが合った今日は俺が楽しみにしていた映画を観に行く約束をしていて、朝イチの映画に間に合うようにと急ぎ足で山元さん...いや、『陣』の家を一緒に出る。
陣の車の助手席に座りシートベルトを着けると、陣の左手が俺の右手を握る。
それが、車の中ではもう当たり前になっているくらい、俺は何度もこの車に乗って陣と二人で出掛けた。
暁斗さんとちゃんとお別れをしたあの日...陣の気持ちを知ったあの日からもう1ヶ月が過ぎた。
暁斗さんと陣、二人に対する気持ちが心の中でぐちゃぐちゃしていて、初めは陣の顔を見ることもまともに会話することもできなかった。
仕事中だってそうだ。ミスを連発して、一人だけいつも通りの態度の陣は俺に嫌みを言う。
それなのに仕事が終わると会社の玄関で絶対に陣は俺を待っていて、そして一緒にあの家に帰った。
...自分のアパートにはほとんど帰っていないってくらいに。
普段通り、いつもの陣の態度。
少しだけ俺を特別扱いしているのが分かるくらいで、あとは何一つ変わらない。
だから1週間経つか経たないかくらいで俺も元通りになって、陣の嫌味に嫌味を返せるようになったんだ。
「にしても、お前は躊躇なく俺を呼び捨てで呼ぶんだな。」
「はぁ?自分が言ったんでしょ?俺はそれに応えたまででーす。」
「...確かにそうだが...陣さん、とか陣くん、とか、色々あるだろう?」
「陣さん...ってあり得ない!!そんなキャラじゃないでしょ!?笑える~っ!」
「.......腹立つな、お前。」
そうなってからすぐ、陣は俺に『山元さん呼び』を止めて欲しいと言った。
何故かと問えば自宅にいるのに会社にいる気分になって嫌だかららしい。
とは言え『山元』はキツいし、それならいっそ名前で呼べばいいかと考えた俺は、以降会社以外の場所では『陣』と呼び捨てで名前を呼んでいた。
本人は不満そうだけど、俺はこの呼び方を気に入ってたりする。だって『山元さん』より『陣』の方が短くて呼びやすい。
陣も俺のことをプライベートでは『響』と呼ぶようになって、俺たちの距離はぐっと縮まった。
それからもう1つ。
陣はめちゃくちゃ俺に触れるようになった。
今手を握られているのもそうなんだけど、他にも急に後ろから抱きついたり、寝るときもいつの間にか抱き締めて眠るように戻っていたし、たまにキスもしてきたり。
...いくら陣が俺を好きだということが分かったとはいえ、付き合ってもないのに...と拒むと、陣は前に話した暁斗さんのことを引っ張り出してきた。
『付き合ってないのに色々したのは誰だ?』
って、触れることに拒否権は与えないって顔して。
だから本当に嫌なこと以外は受け入れることにしたんだ。
もしかしたら、陣を好きになるかもしれない。
今はまだ無理でも、そうなる可能性があるかもしれない。
暁斗さんの時がそうだったように、未来のことは自分でも分からないんだから。
「ねー陣、一番おっきいポップコーン買っていい?」
「好きにしろ。」
「陣も食べるでしょ?」
「ポップコーンは好きじゃない。お前一人で食え。」
「...あーんしてあげようと思ったのに。」
「じゃあ食べる。」
こんな陣の素直でちょっと可愛いところとか、俺も冗談混じりでこんなこと言ってしまうくらい、緊張もせず自然体で居れるところとか...
陣の隣は居心地がいいから、『もしかしたら』がこの先あるかもしれない。
今の俺は前向きだ。
たまに暁斗さんを思い出して泣く日もあるけれど、笑って過ごせる日の方が多くなったんだ。
「...ありがとね、陣。」
「何がだ?」
「なんでもなーい!それより前見てよ!安全第一!!」
「...はいはい。」
きっと、俺は暁斗さんを忘れられる。
陣と一緒に居たら、今はまだ好きだとは言えないけれど、いつかきっと好きになれる。
握られた手にぎゅっと力を込めると、前を向いて安全運転を心掛けている陣が、ぎゅっと握り返してくれた。
それがほんの少し、俺を幸せにさせたんだ。
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