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ヴヴヴヴ...ヴヴヴヴ......
走って目的地を目指す俺のポケットに入れたスマホが震えた。
こんな時間...しかも掛けてくる人なんて限られている。
(もしかして...陣が起きた...?)
足を止めて恐る恐るディスプレイを見る俺は、陣になんて言おうか必死に考えていた。
コンビニ?散歩?どちらにしても普段の俺のすることじゃない。
おかしいと思われるのは当たり前で、きっと居酒屋に着くより先に戻らなきゃいけなくなる。
(やっぱり、会うべきじゃないのかな...)
『最後だから』を何回か繰り返したんだ。
ーーもう、会えない...会っちゃいけないってことなのかもしれない。
はぁ、と息を吐いて覚悟を決めた俺がディスプレイに表示された名前を見ると、そこには予想していた陣の名前ではない、他の...それも最近会話すらしていないあの人の名前が表示されていた。
*****
「こ、こんばんは」
「早かったな。...入れよ。」
「...お邪魔、します」
ディスプレイに表示されていたのは、『主任』の文字だった。
陣はフルネームで登録してあるから、この主任は『京極弥生』のことを指す。
なんで?と不思議に思いながらも通話ボタンをタップすると、主任は俺に『ウチに来い』と一言言ったんだ。
理由は教えてくれない主任。だけど主任が俺を呼ぶということは絶対に理由がある。
それもきっと何か大切な...そう思うと、俺の足は居酒屋では無く主任のマンションに向かっていた。
「...あの...主任...」
「もうお前の主任じゃねーよ。」
「...」
「...この前、悪かったな。」
「え?」
「俺は暁斗の話しか聞いてなかったから...怒鳴って悪かった。」
俺が靴を脱ぐ間、主任は俺に背を向けてそう言った。
あの喧嘩から俺たちがちゃんと会話をしたのは多分異動の話が出たとき以来。
まさか謝られるとは思ってなくて驚く俺に、主任は言葉を続けた。
「...暁斗、後悔してる。お前にちゃんと話さなかったこと、お前を手放したこと。...お前に別れるって言ったこと。」
「......」
「暁斗ってさ、ああ見えてめちゃくちゃプライド高いの知ってる?負けず嫌いって言うかさ。」
「...なんとなく...」
「お前には『頼れる大人な暁斗』で居たかったんだってさ。嫉妬とか束縛とか、そんなこと絶対お前に出来ないって。情けない姿を見せることは出来ないって。」
「そんなこと...っ、思ってないのに...!」
「だよなぁ。会いたいなら会いたい、不安なら不安、そう言えばよかったよな。でも暁斗にはそれが...プライドが邪魔して言えなかったんだ。」
確かに暁斗さんは弱味は言わない。
ワガママも、甘えたことも。
いつもそれを言うのは俺で、聞くのは暁斗さんだった。
そんな暁斗さんに対して、『頼れる』『話を聞いてほしい』と思う感情は付き合う前からずっとあって、それに応えてくれる暁斗さんは俺より、主任や陣より『大人な人』だと感じていた。
「暁斗、会社辞めたよ。」
「...聞きました」
「そっか。引っ越しのことは?」
「それも...。」
「...今、暁斗がウチに居るってことは?」
「え...?暁斗さんが...ここに...?」
「しかも酔い潰れて。暁斗が潰れるとか相当レアなんだぜ?見てみる?」
主任はようやく廊下を歩き出すと、前に入ったことのあるリビングの扉をそっと開けた。
そこは俺と千裕くんが色々あって...主任が土下座したあのリビング。一緒に鍋パーティーをしたリビング。
楽しかった思い出と、そうじゃなかった思い出が詰まった部屋のソファーに、倒れるように横になる暁斗さんの姿があった。
「響。今の暁斗は素の暁斗だ。ちょっとウザいくらい喋るけどな。」
「...」
「千裕は今日他の所に泊まってて、ここには居ない。それは暁斗も知ってる。...だから、ここに居るのは俺だけだと思ってる。」
「...」
「お前が喋らなきゃ、お前だって気付きもしないくらい酔ってるから。暁斗の本音、聞いてやって?」
主任は俺の耳元で小さな声でそう言うと、俺の背中をポンと叩いた。
『行ってこい』そう言われたような気がして、俺の足はリビングに一歩、また一歩と進んでいく。
俺と一緒に居るときはこんなになるまで飲むことなんて無かったのに、部屋に散らかるアルコールの空き缶やウイスキーの空き瓶、そしてお酒臭い暁斗さんは近づく俺に『弥生遅い』って言ったんだ。
俺と話すときより強い口調で、乱れてボサボサの頭を抱えながら。
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