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Side ZIN
「ごめんなさい」
消えそうな声を残し、響は家を出た。
顔立ちは女みたいに綺麗で、折れそうな程華奢な身体。
入社時は『あの新人ヤバい!』と噂された筒尾響との出会いは忙しさに追われたある日のことだった。
デザイン部の連中は会話もない上1日中座って仕事をこなす、いわば『最も楽な部署』で、俺の嫌う京極弥生がまとめる部署。
そんなところからの応援だなんて、ここまで人員不足に陥らない限り断りたいくらいだった。
だけど筒尾響は意外にも根性があった。
仕事に対する向き合い方もすぐに変わり、俺の嫌味にも応えるようになって、そのうち『営業部』の人間だとまで思ってしまうほど。
苛めたくなる、と言うと語弊があるかもしれないが、ついつい嫌味を言いたくなり、その度に嫌な顔をされることが日常で当たり前になっていた頃、響はあからさまに暗い表情を見せた。
壊れそう...いや、もう手遅れか?というくらいに、涙の痕も隠しきれていない。
仕事にも支障は出ていたし、ここは上司の出番か、と思って外に連れ出したことが俺と響が深く関わることになる始まりだったのだろう。
関われば関わるほど、響と同性の恋人のあれこれを知れば知るほど『俺ならそんな不安な思いはさせない』という思いが芽生え、響が隣に居る時間が増えれば増えるほどその思いは育つ。
初めの内は『男が男に恋をする』だなんてあり得ないと思っていた。
響がこんなに落ち込むほど、同性を愛せるだなんて理解出来なかった。
だから仕事が上手くいくように、支障を出さないために世話をしていたつもりだったのに、いつしか響の笑顔を見たくなって、泣かせたくなくなって、独占欲に似た感情まで育ち始めた。
もっとこの二人の間に亀裂が生まれたら...
応援するようなことを口にしながらも、心の中では反対のことを考えている、だなんて我ながら性格が悪い。
でももしもチャンスを与えられたら、それを逃すことは絶対しない。
そう、日々思い続けた俺は『響の幸せ』を願うより先に『響が不幸になれば』と崩れるその時を待つようになっていた。
ーーこの気持ちが『恋』だと気付くまでに時間はそうかからなかった。
俺は、気付かない間に同性の、しかも今でも尚元恋人を思い続ける響に恋に落ちたのだ。
「......バチが当たったのか...」
早く別れてしまえばいいのに。
俺を頼ればいいのに。
そんな気持ちを隠してきたせいだ。
いつも通りの意地悪な上司を演じ続け、そしてやってきたチャンスを物にしたと思ったのに、大切にしようとすればするほど、響の顔は雲っていく。
関係を持つまではバカみたいに言い合って、何でも話してきた響の言葉数が減る。
笑顔は作り物になって、涙こそ見せなものの俺と距離を置きたがるように感じてしまう。
好きなのに、好きだから側に居て響の笑顔を見ていたい。
その為ならなんだってしてやる、と甘えさせて、俺無しじゃ生きられないくらいにしてやろうと思っていたのに。
そうすればそうするほど、求めていた関係から遠ざかる気がしていた。
俺は響に笑っていて欲しい。
泣かないで欲しい。
悩まないで欲しい。
辛そうな顔をしないで欲しい。
自分が不安を取り除く、そうさせてやると決めたはずなのに、俺が何かする度に響の気持ちは離れていく。
『陣を好きになりたい』その言葉を信じていつまでも待つと決めたのに、俺と付き合って俺を好きになろうとする響は自分の気持ちを圧し殺すようになっているように見えた。
そんな響を見たいんじゃないのに...。
そしてたった数ヶ月しか付き合っていないのに、『響は俺を好きにはならい』と気付き始めてしまった。
そんな中、今日...響の誕生日の数日前、響の元恋人は『最後の挨拶』にわざわざやってきた。
会社を辞めるから担当が変わります、と。
二人きりの会議室でそれを聞いた時、『これでまた響は俺を頼るはず』と思ったのに、俺は心の何処かで焦りを感じた。
「今、響と付き合っている。」
牽制のつもりだったのか、それとも嫌味でそう言ったのか、俺は京極暁斗に響との関係を自ら告げた。
一瞬、整った顔がピクリと歪んだが、またいつも通りの表情に戻ると、
「...たくさん...たくさん愛してあげて下さい。」
そう一言だけ彼は答えた。
一言、たった一言なのに分かってしまう。
この人はまだ響を想っている。
俺と同じ...いや、俺以上に響を想っている。
自分が原因なのに、自分から響を手放すようなことをしたのに、それでも響のことを忘れられていない。
それが分かると俺は心の中でため息を一つ吐いた。
「京極さん...。お時間、まだ大丈夫ですか?」
「え...?」
俺のモノになった響を手放したくない。
だけど俺じゃもう響に笑顔を与えられない。
京極暁斗と最後に顔を合わせた日、俺は自分でもバカだと思いながら二人きりの会議室である提案をした。
「そ...んなこと...っ」
「これが最後です。本当に、本当に最後。これで響が俺を選んだら、もう二度と響の前に姿を見せないで下さい。仕事でも、プライベートでも。」
「...山元さんは...それで、いいんですか?」
「はい。...これでハッキリさせましょう。」
これは俺の賭け。
結果が既に見えている、バカみたいな賭け。
「自分で幸せを選べ、響」
カチャリと家の鍵が閉まる音を聞きながら、そう願うように呟いた。
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