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Side AKITO 「おーーーい!あーきーとーーー!!」 「...るさい...大声出すな...っ」 「早く起きないお前が悪い。ほら、飯出来てるぞ」 「...食欲ないんだけど」 「ほら、しじみの味噌汁!これだけでも飲んどけ!」 まだ早朝、辺りは薄暗いというのに元気な弥生は寝起きの俺に味噌汁の入った器を渡した。 昨夜は送別会で、これでもかって飲んだ後に弥生の家でも飲んで、初めて記憶を無くす程に酔った。いつもならセーブするし出来るのに、それをしなかったのは俺の中でまだウジウジした気持ちが残っていたからだろう。 会社を辞めると決めたのは、松原の教育の終わりに目処が立ったから。 何度も辞めたいと思う時期はあったけれど、それを乗り越えてきた。 でも今は会社で松原とのことを噂され、指輪を外してからは『別れたのか?』とまた新たな噂が広がり、もう散々だ、と思ったのだ。 そして同じタイミングで他所から『ウチで働かないか?』と誘いを受けて、中々首を縦には振らない上司を無理矢理説得して退職できた。 楽しかったとは言えない仕事だったけれど、送別会では俺に『辞めないで』と泣きつく男がいたり、寄せ書きを貰ったりでそれなりに感動した場面もあった。 だけど、俺の頭には常に響くんのことが浮かんでいて、それを忘れるために酒を浴びるほど飲んだ...はずだった。 「ったく、お前酔っ払うと喋りすぎてうざかったよ。同じ話ばっかループしてさ。」 「覚えてない」 「それもぜーんぶ響の話。」 「...覚えてないって」 なのに俺は酔ってもなお響くんのことを考えていたらしい。 弥生は俺の話したことをあれこれ教えてくれたけど、それは思い出すだけでも恥ずかしくなるような『女々しい自分』だった。 響くんにはそんな自分を見せなくなくて、結局全て教えると言ったのに、俺は隠し事をしたまま響くんと別れ、そして渡せることのなかった指輪と、話せなかった自分の覚悟だけが残っている。 ...今さら後悔したって遅いのに、言わないと決めたのは響くんの幸せを思ってのはずだったのに、俺はそれをベラベラと弥生に喋ったのだ。 「ぜーんぶ響に言えばよかったのに。」 「...無理。言っただろ?響くんは頼れる大人な俺が好きだったんだよ。...寂しいとか不安とか嫉妬とか...そんなこと思う俺、嫌がるだろ」 「ったく...そんなん分かんないっつーの。響の気持ちは響しか分からない。そうだろ?」 「......。」 ある程度は話していたものの、弥生にも俺の気持ち全ては話していなかった。 いくら弥生が『兄』だとしても、そこまで教える必要はないと思っていたし、話せば弥生の性格からしてあれこれ言われることは予想がついていた。だから言わなかったのに...。 はぁ、とため息を吐きながら渡された味噌汁に口を付ける。 ガンガン痛む頭に染みるその味は、弥生の母親が昔作ってくれた味噌汁の味と同じだった。 「...なぁ、もし響と話すチャンスがあと一回だけあったら、お前どうする?」 「はぁ?」 「もしもの話!響が目の前に居て、暁斗が言えなかったことを伝えられるチャンスがあったら。どうする?」 味噌汁の味に浸る俺の横で弥生は朝食を食べながら、あり得ない『もしも』の話をした。 響くんが目の前に居る...俺が言えなかったことを伝える...それはもう新しい恋人が居る響くんには出来ないことだと思っている。 新しい幸せを掴んだ響くんに、今さら『元恋人』の俺が昔のことを掘り出して伝えるだなんて、それこそ格好が付かない。 「...あり得ないだろ。」 「だーかーら!もしもだって。妄想みたいなもんだよ!妄想!」 「妄想?」 「そう!単純に考えてさ、チャンスがあったら言うか言わないかって話だよ!」 言うか言わないか...それは多少迷ったとしても『言わない』だろう。 俺は響くんの理想像であり続けたくて、別れても尚そうありたいと思っているのだ。 それに今さら言った所で『元恋人』が何を言ったってただの格好悪い人間だと思われるしかないのに...。 「...言わない」 「あっそ。じゃあまだ響がお前のことが好きで好きで仕方なくて今でもお前のことを想って泣いてたら?」 「っ、どんな妄想だよ!」 「妄想は妄想でーす。ほら、どうなの?」 「...そんなの...あり得ないから。」 あんなに泣かせた俺を、最後の最後まで泣かせた俺を...もしもまだ響くんが想っていたとしたら?そして俺のことを想って泣いていたら? ...それは夢のまた夢の話。しかも俺にとって都合の良い...良すぎる話だ。 ーーーだけど。 その『もしも』が仮にあったとしたら。 俺のことをまだ想ってくれているとしたら? 「あり得ないけど...泣かせなくないなぁ...」 「泣かせたくないだけ?」 「...抱き締めて、涙を拭ってあげたい...」 「それだけ?」 「......」 「響に言えなかったこと、言わなくていいの?」 「......」 そんなもしもがあるとしたら。 俺は今度こそ響くんに本当のことを話してもいいのだろうか。 「お前さぁ、響が大切だって言うなら本当のお前を見せた方がいいと思うよ?響はお前が思うような理想を抱いてるとか思えないし。そんなことより素直なお前の言葉を聞きたいと思う。」 響くんが格好悪い俺の話を聞いてくれるとしたら...? 会いたい、寂しい、嫉妬した、だから響くんを本当に俺のモノにしたいと思っただなんて独占欲を伝えることが許されるなら? 「...言い、たい...」 「...やーっと素直になったな。」 「...んだよ、兄貴面しやがって...」 「そりゃ兄貴ですから。本っ当素直じゃない弟を持つと苦労するよ。んじゃ、その言葉、忘れないよーに。」 「はぁ?」 「響がお前のことが好きでまだお前を想って泣いてるなら、全部言うんだろ?」 満足そうに笑った弥生はリビングの扉に近付いた。 ーーー俺はその時ようやく気付くことになる。 弥生の変な妄想話は俺に言わせたい言葉があったから。そしてそれを聞いている影がそこにあるということを。 「...『全部』、話せよ」 ゆっくりと開いた扉の向こうに、目を真っ赤に腫らした響くんが立っていたことを。

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