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第6話 コンプレックス・クランプ

「なぁ、コース選択どうする?」 修作の通う高校では、二年に進級する際、受験科目によってクラス分けされる制度をとっている。 一年の冬にそれぞれのコースの説明を受け、各自先を見据えて選択しなければならない。まだ少し先の未来にある“受験”という現実を、生徒らは初めて真剣に考えることになる。 「俺大学行かないから文3にする」 「え、マジ?何で?」 「うち片親でさ。金ないっつーし俺も別に勉強したくないから。高卒で働くつもり」 「そっかあ~大変だな…」 「お前は?」 「俺は理数一択。父親がうるさくて理系の学部じゃないと大学じゃねえみたいに言うんだわ」 「それはそれでキツイな~」 専門学校や就職を目指す生徒は、たいてい“文3”と呼ばれる文系3教科のコースを取る。 もちろんこのコースでも大学受験出来ないことはないのだが、科目が絞られ過ぎてしまうため大学受験を目指す生徒のほとんどはこのコースには進まない。 理数は文字通り。平たく言うと、“頭がいい奴が行くコース”だ。 そしてその中間に文5-文系5教科-というコースがあり、7割以上の生徒はここを選択する。 担任らも、「進路を決めかねているなら文5を取れ」と口を揃えて言う。 一年の冬にもうそんなことを考えなければいけない現実に多くの生徒からは溜め息がもれ、先ほどのような会話が教室のあちらこちらで起こるのだ。 「なあ譜久田、お前は?」 「え、なに?」 「コース選択の話」 「あー。俺は普通に……」 「文5?」 「うん」 「は~、そっかー。いいなぁお前は普通で」 理数コースを取らなければいけないと言った友人に羨ましそうにそう言われ、会話は終わった。 “ 普通でいいな ” (普通って、何がだ……) 譜久田修作という人間は、今までの人生の中で、何事においても一番になることはなかった。 勉強も良くて中の上。スポーツだって上の下といったところだ。 小学校から続けていたバスケットも、高校に入って初めてスタメンから落ちた。 「Bチームのトップとして他の部員をまとめてくれ」 監督からそう言われても、そんな言葉は修作にとって何の慰めにもならなかった。 抜きんでた特技なんて何もない、その他大勢の一人。 たかだか中学生や高校生で何かに秀でている人間の方が稀だ。 そう頭では分かっていながらも、同級生と比べられて悔しいと思うのは当然の自我であろう。 結果、友人の何気ない一言は、修作の心にずっと刺さってしまうこととなった。 ◇ だんだん大きくなる目覚まし時計の音に眉をひそめる。 カーテンの隙間から入る光に目を開けられないまま、修作は手探りで目覚まし時計のボタンを押した。 「…………ん~…」 気だるく背筋を伸ばして、深いため息をつく。 新学期早々、イヤな夢を見てしまった。あのときの二人とは、二年になってクラスが離れて以来疎遠になってしまっている。 自分の心の狭さを突き付けられるその思い出は、9月1日のまだ暑い朝にはとても似合わない夢だった。 「勉強してる?」 「全然。マジでヤバい」 「俺も~」 高三の夏休み明け。 部活を引退した生徒たちは、否応なしに受験モードに切り替えねばならない時期だ。修作も夏休み中にバスケ部を引退したあと、周りの友人に流されるまま駅前の大きな予備校に入った。 もちろん勉強は嫌いだが、講師陣が工夫した授業を展開してくれるのが面白く、予備校へ行くのはそれほど苦痛ではない。 勉強以外でもうひとつ、修作には気がかりなことがある。 一年の一ノ瀬七海だ。 期末試験前にあの空き教室で会って以来、今日まで一度も連絡が来ることはなかった。 七海が思わずこぼした「先生」という言葉。 その意味を知りたいと思うのは、ただの野次馬精神だろうか。 『一ノ瀬七海:お久しぶりです。今日放課後いつものとこで』 学校が始まって二週間。 夏休みボケも終わりを迎えた頃、七海から約二ケ月ぶりにメッセージが届いた。 いきなり届くその強要は、相変わらず心臓に悪い。 驚きで心拍数が跳ね上がった自分の胸を押さえながら、修作は『了解』と短く返事をした。 七海の言う“先生”のことを、聞いてやろうと思ったのだ。 「久しぶり」 「ですね」 「夏休み、連絡してこなかったな」 「えー?だって面倒じゃないですか休みの日にわざわざ会うとか。学校だとそのへん便利ですよね。それに俺暑いの嫌いなんですよ~イライラしてくる」 そう言いながら教室の窓を開ける七海の首筋には、確か大粒の汗が滲んでいた。 そんなに暑いか?とだけ聞き返したが、案の定無視されてしまった。 くるりとこちらに向き直って、目の前まで歩を進めた七海がふわりと修作を抱きしめた。 「先輩、俺に会えなくてさみしかった?」 「……バカじゃねーの」 暑いくせにこういうことは出来るのか。 修作はどうでもいい矛盾を感じながら、“先生”について聞くタイミングを失ってしまったと後悔した。 「素直になればいいのに~」 久しぶりに見る大きなブルーの瞳に、吸い込まれそうだった。 そして次の瞬間、その綺麗な青が目の前に迫っていて、修作は思わず仰け反った。 「なっ、なに……っ!」 「はあ?何って……。先輩もしかしてキスもまだなの?」 「それくらいあるわ!…ってそういう問題じゃなくて!」 「んじゃどういう問題?」 「そ、そういうのは……ちゃんと、こう…。す、好きな人とじゃないとダメだろ…」 七海は修作の言葉に一瞬ぽかんとし、ややあってそれは爆笑へ変わった。 「先輩……っ、めっちゃ純!めっちゃ純!!あはは!お腹痛い~!」 「わ、笑ってんじゃねーよ!」 顔が赤くなっているのが自分で分かる。 至極まともなことを言っていると思うのに、七海の前では何がまともで何がまともでないか、時々分からなくなってしまう。 ひとしきり笑った七海は、突然冷えた声で言った。 「はー……。でもねえ、先輩知ってる?男の人ってね、別に好きじゃなくてもキスもセックスもできるんだよ」 「……え、」 悟ったようにそんなことを言い放つさまに驚いてしまう。 もう一度その青を見ようとしたけれど、七海がすぐに屈んでしまったためそれは叶わなかった。 「!ちょっ、とっ……!」 「すごーい、ビクビクしてるよ」 「っ、うるさい…っ!!」 いつも七海にされるとき、気持ちよさに溺れるようでとても恐ろしくなる。舌がねたねたと纏わりついて、その一瞬ごとに身体が震えてしまう。 この快感を知ってしまえば、理性とはどれだけ脆いものなのだろうといつも思う。 「あっ、あ、ああぁっ、イ、……っ!」 「……はあ。早かったね。溜まってた?」 「…………」 はあはあと肩で息をして、吐き出し後の気だるさをやり過ごす。 俺を使ってヒマつぶしするくらいなら、“先生”とやらとこれをすればいいだろうが。修作はぼんやりそんな事を思ったが、言葉に出す気力は残っていなかった。 「ねえ、先輩。セックスしたいならさせてあげるよ?」 「は?!」 下からにこにこと覗き込んで爆弾発言をかます七海に、今日は久々に驚かされている。 「男同士でも出来るんだよ。知ってる?」 「えっ。や、し、知らない…こともない…けど、だから!」 「はいはい。好きな人とじゃなきゃって言うんでしょ?まったくめでたいねぇ」 やれやれ、とジェスチャー付きで呆れたように言いながら、七海は立ち上がって教室の窓を閉めに行った。 「おい、お前の……」 「いーよ、今日はこの前の埋め合わせだから。じゃ、またね」 一ノ瀬七海という人間は、どうしてこうも掴みどころがないのだろう。 修作はひとり、締め切られた蒸し暑い教室の中で考える羽目になった。 考えた所で分かるはずもない。 修作はまだ、七海の核心に何ひとつ触れられていないのだから。

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