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第9話 ぬけだせない(修作一人称)

「なあ一ノ瀬」 「…………」 教室を出てからずっとこいつの一歩後ろを歩いている。 電車に乗るまでの道中三度ほど呼びかけたが、ことごとく無視された。 そして今のが四度目。 なんとか同じ方面の電車に乗せることが出来たものの、何も話すことはできなかった。電車のスピードが徐々に遅くなって、車掌が乗り換えの案内を淡々と告げる。わざとではないが短い溜め息が漏れてしまい、慌てて空気を飲み込んだ。 「よく分かんないけど、無理すんなよ」 「…………」 ちらりと横目で見ると、一ノ瀬は拗ねたように口をとがらせていた。やっぱり話す気はないらしい様子を見て、諦めて席を立ちリュックを背負う。 よくもまあこんなに次から次へと気がかりを増やせるものだ。 「…じゃあな」 ドアが開く間抜けな音に隠れて、我慢できずに深く息を吐いた。 その夜、ベッドの中でもうだうだと考えていた。 なんで一ノ瀬は急にあんな攻撃的な物の言い方をしたんだろう。いつも強引でよく分からなくて突拍子もないことを言うやつだけど、誰かの悪口を言うような性格ではなさそうだったのに。 いや、俺があいつの性格の何を知ってるっていうんだ。 今までろくに話もしたことがなかったんだ。本当はそういうやつなのかもしれない。いや、でも……。 ……もうやめよう。他人の考えてることなんて分かるはずがない。 たどり着くのが遅すぎたその答えに、疲労感が増した気がしてすぐに布団をかぶった。 今までだって、何度も後輩の相談にのって来た。でも解決できたことなんて一度だってない。俺ががんばろうと言ったところで、辞めるやつは辞めるし続けるやつは続けるのだ。 昔後輩が、「坪井先輩が“お前はセンスある”って言ってくれて!だから辞めるのやめました!」と満開の笑顔で報告しに来たことがあった。坪井はうちの学年のいわゆるエースなのだけど、だったら最初からそっちに相談しろよと心が曇ったのを覚えている。俺だって同じようなこと言っただろ……とは、口が裂けても言えなかった。 そんなこと、よくあることだった。 だからもう懲り懲りなのだ。 誰かのことを、心配するのは。 ◇ 「あっ譜久田―!いいところに!ちょっと助けて!」 二限目が終わったあと提出が遅れていた進路調査表を出しに職員室へ行くと、突然名前を叫ばれた。声がする方を見ると、数学教師と話しているクラスメイトの幡野が手をこまねいている。 「何してんの」 「まっすーが過去問印刷してくれたんだけど、重いから自分らで持ってけって!」 幡野が指差す先を見ると、デスクの上に細かい文字が印刷された藁半紙が山積みになっていた。よく見なくても、数学の問題が書かれていることは一目瞭然だ。 「げっ!何コレ」 「げっとは何だコラ〜N大の数学過去問5年分×36人分だぞ!ったく何回給紙したか分かんねーっつーの!」 数学教師の増田が、パソコンに向けていた顔をくるりと返し、俺たち二人を睨みつけた。口は悪いが案外生徒思いな彼を慕う者は意外と多く、俺も睨まれたところで全く気にすることはない。 「あたしがお願いしたら印刷してくれたの~!レベル的にN大がいいなーって思って!」 「ええ~…?」 「とにかく邪魔だからさっさと持ってけや」 「はーい!ってことで譜久田、よろしく!」 「えっ、俺が?!」 どうやら荷物持ちのための呼び出しだったらしい。藁半紙のタワーを抱えた俺の前をぱたぱたと走り、身軽な幡野が職員室の戸を開けた。 「いやちょっとは持てよ」 「え~?!仕方ないな~ちょっとだけだよ!」 「ほんとにちょっとだな!」 タワーの上から一掴み分手に取った幡野は、流行りのアイドルの歌を小さく歌いながら上機嫌で隣を歩いていた。 「なんで全員分頼んだの」 「え、逆に自分の分だけとかありえなくない?」 面倒そうに質問した俺に向かって、幡野はマスカラで縁取られた大きな目をぱちぱちさせてあっけらかんと言った。 「……そうか?」 「そうだよ。みんなも使えるでしょ」 「まぁたしかに」 「でしょ~?理子ちゃんやっさし~」 「自分で言うかぁ?」 「じゃあ譜久田が言えよー!」 「はいはい。やさしーやさしー」 「何その言い方ー!」 笑い上戸の幡野につられていると、渡り廊下の先からふと視線を感じ無意識にその方向を見た。 静電気が走る音がするみたいにばちっと目が合ったのは、移動教室中の一ノ瀬だった。笑っていた声と顔が一瞬で消えた自覚はある。笑った顔のまま声を掛けてやればよかったのだけど、一ノ瀬が眉間にシワを寄せたまま眉尻を下げたみたいな複雑な顔をしていて、自分の表情を瞬時に決められなかったのだ。 「あっ、委員会の子だ」 幡野が思い出したように呟いて、とっさに「そうだっけ」と返してしまった。いやいや、同じグループで仕事したんだ。その反応は不正解だ。 当然幡野は「は~?!覚えてないの?ひっど!」と俺を責めて、まあまあと宥めつつ足早に廊下を曲がる。背中に感じた視線には、気付かないふりを決め込んだ。 ◇ 一ノ瀬から連絡が来たのは、それから土日を挟んで4日後、火曜日の昼休み。 『お疲れ様です。今日予備校ですか?』 それは、初めて強要ではない文章だった。紙パックに入ったコーヒー牛乳をストローで飲みながら、ぽつぽつと返事を打つ。 『予備校18時から』 『じゃあ放課後会えますか?』 『OK』 自分が打ちこんだ文章より長いのに、ほんの数秒でメッセージが返ってくる。密会の待ち合わせばかりを決めるやり取りで埋められた画面を遡っていると、いつ以来かまた肺の奥が痛くなった。 「お疲れ」 「あ、お疲れさまです!」 いつも通りの大きめの声に安心して、入口そばの机にリュックをおろす。もう9月も終わりだと言うのに、相変わらず一ノ瀬は窓を開けていた。 「大丈夫なの」 「うん…。あー、あの……」 「なに?」 「この前…先輩の友達のこと、ごめんなさい!」 「あー…。いーよ、忘れてた」 そう嘘をついて、ふわりと頭を撫でた。子供扱いしたわけじゃないけれど、素直に謝る一ノ瀬を見て自然と手が触れていた。 その瞬間、わずかに見開いたブルーの瞳に影が落ちる。 久しぶりにスイッチが入った瞬間を見た気がした。

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