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第10話 正体(修作一人称)
「今日は一緒にしよっか」
「……なんか久しぶりな気がする」
「先輩緊張してんの?」
「今さらするかよ……」
「座って」
そう言って一ノ瀬に手を引かれ座り込む。
日が傾いた放課後の空き教室。
窓の下の壁にもたれた一ノ瀬は、光に遮断され影に隠れていた。
ふとサッシに集まる光のかたまりがとても眩しいことに気付いて、俺もその影に身を寄せた。
「……っん、あ、ぁっ」
「………っ」
先走りをわざと塗りつけるようにして手を動かす。音が大きくなるにつれて自分からも同じだけ溢れている気がして、それが死ぬほど恥ずかしい。やっぱりいつまで経ってもこの行為に慣れる事はないし、意味も分からない。“先生”の代わりにされるのだって本当は面白くない。でもだからと言って、断るなんてことはもう無理だった。
「…あっ、ん、ん、っは……ぁ」
「………っ」
俺の胸元に顔をうずめているためその表情は読めないけれど、いつもより一ノ瀬の声が大きい気がする。こっちは下唇をめいっぱい噛んで必死に耐えていると言うのに、その奔放さはいつでも羨ましい。
その時ふと出来心が生まれ、空いている左手で一ノ瀬の胸を触りに行った。
(男でもここって感じるのかな……)
下にTシャツを着ているとは言え、カッターシャツの上からでもその突起はすぐに見つけられた。
親指の爪の先でそこを小さく引っ掻いてやると、大げさなほど声の音量がでかくなった。
「えっ、あ…っ!あっ、や、やだ……っ!」
一ノ瀬の頭が胸元に押し付けられ、左手はシャツに縋っていて深いしわになっている。そして俺の名前を呼んだ瞬間、手の中に生暖かい感覚が広がった。
口でやってもいつももう少し時間がかかるのに……。
しがみ付いたまま離れようとしない一ノ瀬の肩をぽんぽんと叩いてみると、その手はピシャリと払われてしまった。いつもと違う反応に焦って一ノ瀬の顔をのぞき込む。腕で隠した隙間から、真っ赤になった顔が見えた。
「ご、ごめん調子乗ったかも……痛かった?」
「痛いわけないじゃんバカじゃないの……」
「なっ…。お前な、人が心配してやってんのにまたそういう……」
「うるさい黙って」
「わっ!ちょっと、俺はもういいって…っ」
「よくない」
一ノ瀬の手に容赦なく刺激されて、俺もあっけなく達してしまった。いつもなら早いだのなんだの文句をつけるくせに、その日は俺を茶化すようなことは言わなかった。それどころか、そそくさと片付けて身支度を整えている間もずっと顔が赤くて、「お前熱でもあるんじゃないの」と聞いてしまうほどだった。なぜかキレ気味に否定されたので、「あ、そう」と会話を終わらせてしまったけど。
いつも飄々として俺の言動では何も動じなかったはずの一ノ瀬だったのに、最近はそのリアクションがよく分からない。ちょっとは俺も上手くなっているという事だろうか。
……全くもって嬉しくないけど。
そしてその日、俺は夢の中でもあの空き教室にいた。
教室の中は、とても赤かった。夕日の色じゃない。赤い絵の具をぶちまけたみたいに、まるで血糊のように、天井も壁も床もどこもかしこも攻撃的なほど赤かった。
「先輩…ッ、手、痛い…!」
ふと掠れた高い声が聞こえて、驚いて顔を下に向けると、なぜか自分が一ノ瀬の両手首を片手で床に押さえつけていた。その綺麗な目からは透明な粒がいくつもこぼれ落ちている。
……嫌がっているのか。
そんな当たり前のことに、なぜだか無償に悲しくなった。
「したかったらさせてやるってお前が言ったんだからな」
「えっ、やっ、あぁぁっ!」
縛り付けていた手を離してシャツを捲り上げ、胸の突起に吸いつく。両手が自由になったのに、一ノ瀬は本気で反抗しようとはしなかった。
いつもそうだ。結局お前が俺を誘うから悪いのだと、どうしようもない理由を頭の中で並べ舌を動かす。
「あ、あっ、修作先輩っ……!」
名前を呼ばれたらもうだめだった。
いつの間にか感じていた中の快感に気付いて、文字通り夢中で腰を動かした。
一ノ瀬の絶頂を迎える声が耳をつんざいた瞬間、俺は無意識の世界から引き上げられた。
「……………最悪」
珍しく目覚ましがなる前に起きられたと思ったらこれだ。
布団の中で猛烈な自己嫌悪に襲われる。今まで何度触り合っても、こんな夢を見ることなんてなかったのに。
脳裏に焼き付いているのは、真っ赤な景色の中で組み敷いていた一ノ瀬の顔と、その赤に混じってきらりと光る青。まるで頭がおかしくなりそうな色彩だった。
「最悪だ……」
もう一度同じことをつぶやいて、からからの喉を咳でごまかした。
◇
後ろめたい夢を見てしまった二日後、つまり木曜日。
上履きに履き替えているとき、ポケットの中で携帯が震えているのに気が付いて画面を見る。
『おはようございます。今日会えますか?』
朝からメールが来るのは初めてだった。夢の中身を思い出しそうになって慌てて他のことを考える。そう言えば英語の小テストがあった気がする。テストの内容すら思い出せないけど。
『おはよう。了解』
予測変換のおかげで今回は素早く返事が打てた。いつも送って来るゆるキャラのお辞儀のスタンプを見て、いつも通りな一ノ瀬にほっとする。
耳に流れていた音楽を止めて、階段をのぼった。
「今日すごいね。超出てるよ」
「う、るさいなぁ…っ!」
放課後、空き教室に入るとすでに一ノ瀬はスイッチが入った顔をしていて、世間話をする余裕もないと言ったようにすぐに俺の手を引いて始まってしまった。
こいつのタイミングがいつも分からなくてされるがままの自分が情けない。今日は一緒にする隙もなく、俺の両手は一ノ瀬の肩にしがみついていた。
「……んっ、あ、あぁっ……は、ぁっ」
「声珍しー。ねえもっと聞きたい」
「や、やだ……!んっ、あ、あ、あぁ……っ!」
「先輩えろ……」
自分でも興奮しているのが分かる。
きっとあの夢のせいだ。いつもの場所で、いつもの相手。辺りは赤くないけれど、青い瞳は今日も目の前にある。
ふと一ノ瀬の目の中に光る欲情を見て、ゾッとした。恐怖なんかじゃない。その中にいる自分も、同じ顔をしていたから。
「あ、あっ、あっ、も、イくっ………っ!」
一ノ瀬の手の中に充分に吐き出したのに、まだ身体は熱くてしがみついた手を緩める事ができない。こんなこと、今までなかった。
「……先輩、このままエッチしちゃおっか」
「え……」
「きっときもちーよ」
耳元でささやかれた声は、とてつもなく甘かった。その糖度で脳が溶けてもきっとおかしくないくらい。
夢で見たこいつは泣いていたけど、現実は違うのだろうか。泣くことなんてないのだろうか。嫌がったりしないのだろうか。
……違う。
そうだ、俺じゃない。
求められてるのは俺ではない別の人で、俺は単なる“身代わり”だ。
ぐるぐるめぐった先でその事実を思い出し、ほんの少しだけ残った理性が俺の体を動かした。
「~~~っ離せよッ!!!」
自分がしがみついていたくせに何たる暴言。でも、そんなこと考えている余裕なんてなかった。
「先輩…?」
「やっぱおかしいよこんなの普通じゃねえって!何なんだよ!どういうつもりでこんな……」
好きな人とじゃなきゃキスだってセックスだってするべきじゃない。
そんなの当たり前のことだろ。じゃあ今の俺はどうだ。
何度ここで抜き合いしてきたんだ。そこにどんな意味があったんだ。今流されかけたのはどこのどいつだ。あのまま押し倒してたらどうなったんだ?
そもそも俺たちは、一体何なんだ。
「………普通ってなに…?」
一ノ瀬の震える声が聞こえて、そこでようやく我に返った。
「え……」
「ねえ、先輩の言う普通って何?好きな人とじゃなきゃしないってこと?それって誰の普通なの?先輩のでしょ?どうしてそれが俺にも当てはまるって思うの?」
今までいろんな顔の一ノ瀬を見て来たけど、泣いた顔を見るのは初めてだった。
でもこの既視感はなんだろう。
……あぁ、そうか。
夢で泣いてたから。
「俺、中学んとき……先生とエッチしてたんだ。美術の先生。部活のあと呼び出されて、何回もした。遊びに行ったり色んなこと話したりなんて、そういうの……いっこもなかったけど!でも俺は先生のこと好きだったから幸せだった!“普通”に恋愛してた!先輩が言う普通って何?!好きになって告白して付き合ってデートして?そういうこと?それなら俺は普通じゃないよ!“普通”の恋愛の仕方なんて、これっぽっちも分かんない!!!」
子どもみたいに顔を真っ赤にしてぼろぼろ泣きながら、一ノ瀬は初めて“先生”の話をした。
“先生”の正体が中学教師だったなんて、しかもそいつとヤってたなんて、衝撃で頭がブチ抜かれたかと思った。
「中学って…。そんな…、は、犯罪だろ……」
「そうかもね。でも関係ないよ合意の上だもん」
合意かどうかなんて関係ないだろ。
そう思ったけど、言うのはやめた。今聞きたいのはそこじゃない。
「…じゃあ何でそいつの“代わり”がいるんだよ」
「……!」
泣いている一ノ瀬の顔が一層歪む。
腹の底から黒いものが溢れてしまうのを止められなかった。言ったら傷つけてしまうなんて分かってる。でもそんなこと、今までにたくさん飲み込み過ぎてもう腹いっぱいだったんだ。
「お互い好きなら俺じゃなくてそいつとヤれよ!でも出来ないから“代わり”がいるんだろ!?結局捨てられてんじゃねえかそいつはお前のことホントに好きだったのかよ!」
「〜…ッそんなの分かんないよ!でもだから……っ、今はそういう話じゃないじゃん!」
「じゃどういう話だよ!こっちだってお前に振り回されんのはもうたくさんなんだよ!!」
俺がそう叫ぶと、水を打ったように教室の中がしんと静まり返った。
一ノ瀬は言い返してくることもなく、小さく小さくつぶやいた。
「……そうだね。ごめんね振り回して」
「………」
「帰る」
机に置かれたかばんをひっつかんで、一ノ瀬はバタバタと走り去って行った。
「………くそっ…!」
髪を掻き回して振り下ろした手が虚しく空を切る。
しばらくの間、そこから動くことが出来なかった。
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