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第12話 おそい反抗期
「ねえ修作、七海ちゃんまた呼んであげたらどう?今年のお米すごく出来がいいし。ねえ三和子さん」
夕飯時、修作の祖母が思い出したように七海の名前を上げた。
七海が修作の家に来たのはいつのことだったか。
思い出そうとすればすぐに思い出せるけれど、修作はあの日のことがもう随分と昔のことのような気がしていた。
「ほんとほんと!お母さんも今度こそもっと張り切ってご飯作りたいし!」
祖母の言葉に同調して母の三和子も声を弾ませる。
二人とも七海のことが相当気に入ったようで、きゃっきゃと騒ぐ声が修作にはとても耳障りだった。
「………ごちそうさま」
「え、もう?全然食べてないじゃない」
「昼食べすぎた。勉強するから邪魔せんでよ」
修作がおかわりもせず、まして一杯目の茶碗を空にしないで食事を終えることなど初めてで、食卓に残った家族らは思わず顔を見合わせた。
「七海ちゃんと喧嘩でもしたのかしら……」
「受験のストレスとかじゃないのか」
「これだからはアイツはいつまでたってもヒョロっちいんだわもっと京太郎を見習って……」
「ちょっとおじいちゃん!そんな事本人の前で言ったら絶対ダメだからね?!」
「誰も本人には言うとらんだろうが!」
「も~アンタも三和子さんもそうカッカせんの。修作だって食欲ない日くらいあるでしょ」
母屋の勝手口を出て約四歩、修作の部屋は離れの二階にある。
兄の京太郎が大学受験をするとき、家族の声がうるさいと訴えたため倉庫代わりだったその部屋を勉強部屋にした。
そのままずっとその部屋を使っていた京太郎だったが、修作が高三に進級した春に「部屋交換しようか」と持ちかけ、入れ替わりで修作がその部屋を使う事になった。兄なりの、歳の離れた弟への気遣いだった。
おかげで、先ほどの家族の言い合いは修作の耳には届かずにすんだ。
二階へ続く階段を気だるく上がり、ベッドに倒れ込みたい衝動を抑えて勉強机へ向かう。
七海とのすべての連絡手段を拒否してから、ひと月半が過ぎていた。
その間もちろんあの空き教室には行っていないし、学校ですれ違うこともなかった。
◇
「修作~!ごはんよー!」
一階から母の声が響いて、数式に沈んでいた意識がふと現実へ引き戻される。
今日は木曜日。
七海と会わなくなって何度目の木曜だろうか。
居間へ入り座卓の上の食事を見ると、甘いだしの香りが立つ卵とじのカツが置かれていた。
いつもだったら喜んで食べるはずのそれが今日はまったく美味しそうに見えない。空っぽなはずの修作の胃は、チクチクと痛むだけだった。
「…………」
「?どうしたの。早く座んなさい」
「……ご飯いいや」
「え?」
「夜食べるからとっといて」
食べる気などなかったが、さすがに気が引けてそう嘘をついた。
居間を出ようとする修作を、三和子が立ち上がって腕を引く。
「ちょ、ちょっと待って。どうしたの、体えらい?病院行く?」
「はあ?大げさだって」
「でも……。何か食べたいものある?おうどんとかなら食べられる?」
小さいころから、どんなに高熱を出しても食事だけはしっかり食べて来た修作である。母親が心配するのも無理はない。しかし修作は、“母を心配させている”という居た堪れなさで余計眉をひそめた。
「一段落したらちゃんと食べるから」
「でもあんまり遅い時間に食べると胃に負担になっちゃったりとか……」
「うるさいなぁもうほっとけよ!」
心配されるのが邪魔くさくなり、声を荒げて三和子の腕を振り払った。
反抗期らしい反抗期がなかった修作がそんな態度を母に取るのはとても珍しく、三和子は思わず茫然としてしまった。
「おい。本人がほっとけっつーんだからほっとけ」
父が背を向けたままそうつぶやく。
修作はわざと聞こえるように舌打ちをして、離れの部屋へと戻って行った。
八つ当たりしてしまったことに落ち込みはしたが、それ以上に煩わしさが勝ってしまってどうしようもなかった。
こういう時は別の世界に落ちるに限る。修作は途中にしてあった数学の参考書をしまって英語の参考書をめくり、長文読解のページを開いた。
フラッグチェックの文字盤の壁掛け時計が午前2時を示す頃、少し休憩しようとベッドに寝転がる。
携帯を開くと、三和子から『夜食用におかゆ作っておいたので、あたためて食べてね!』とメールが入っていた。
受信時間は0時ちょっと前。ごめん、と思う余裕もなく、修作は携帯を枕元に放った。
静かな部屋に一人でいると、いやな妄想は面白いほど溢れてくるものである。
七海と会わなくなってから、修作は自分の妄想に取り憑かれていた。
部屋を真っ暗にして眠りにつくまでの間は特にひどい。
“先生”はどんな見た目で、どんなふうに話して、七海はそれにどんなふうに応えて、そしてどんなふうに身体を繋げるのか。
目の奥で見たくもない映像が勝手に再生されてしまう。
そのまま二人の夢を見てしまったときは、さすがに少し泣いてしまった。
そんなことがあって以来、修作は部屋の電気を消して眠れなくなった。
シーリングライトの明かりが煌々と付いている中でもベッドで眠れる日はまだいい方で、多くは机に突っ伏したまま寝てしまう日々。熟睡できず一時間ほどで目を覚まし、顔を洗ってまた問題を解く。そんなことの繰り返しだった。
英文や元素記号、数式や偉人の名前、事件が起きた年号。
それらを目に映している時は、修作は七海のことを考えずにいられた。
それ以外、勝手に流れてくる映像の止め方を見つけられなかった。
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