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さん
蝉の声を聞きながら、山道をトーヤと歩いていた。薄い青色の着流しに黒い鼻緒の下駄。トーヤの横顔を見つめる。夏休み前より少しだけ髪が伸びてる。それに日焼けもしたかな。
「暗い顔してるけど、どうかした?」
幾分高い背をかがめて顔を覗き込んでくる。
「……夏休みが始まって、志荻がいない部屋はとっても広かった」
「え?」
「自分で思っていたよりも、僕は志荻が好きだってことさ」
「おれもトーヤのことすきだけど」
柳眉をハの字にして、視線を逸らされた。
「僕と志荻のすきは違うんだ。志荻の『すき』は友人としてだろう。僕は、君に恋をしているんだ」
「恋、」
「いつだって志荻と一緒にいたい。指を絡めて手を繋ぎたい。何気ない日常で馬鹿みたいに笑いあいたい。悲しいときは一緒に悲しんで、抱きしめて熱をともにしたい」
凪いだ表情で、けれどその瞳にはどろりと甘さを含んだ熱が灯されている。
感染した熱が頬が火照らせる。自分自身のわけのわからない変化に動揺して、トーヤから距離をとろうと、後ろへ下げた足が石に躓き、体勢がぐらりと揺れた。
焦った声と、手を掴まれる感触、背中に走った衝撃。思わずぎゅっと瞑った目。耳のすぐ横で、自分ではない誰かの吐息を感じる。
ゆっくりと瞼を持ち上げた。
地面に倒れた志荻を抱きかかえたトーヤは眉を下げて顔を伺ってくる。後頭部と地面の間に差し込まれた腕のおかげで頭を打たなかった。
「あ――りがと」目を逸らして、小さく呟いた。
「……好きだ」濃密などろりと蜂蜜のように甘ったるい瞳。気づいたときには口を塞がれていた。目を見開き、息が止まる。心臓が耳のすぐ横で鳴り、血液が全身を巡るのを皮膚で感じた。ぐちゅ、と唾液が混ざりうまく呼吸ができない。
口内から溢れた唾液が口の端から溢れ、唇を濡らす。甘い熱を灯す瞳の奥に、重たく暗い情欲を見つけ、全身が雷に打たれたかのような、脊髄から痺れる感覚に陥った。ぶわっ、と花の香りが広がる。
r――やっと、見せてくれた」
とろけるような、花の蜜の笑みを浮かべたトーヤはもう一度だけ、と口付けを落とす。
花の角が姿を現した。薄紅から深紅へと変わる、真っ赤な花びらが視界を横切る。
「一度だけそれを見たことがあるんだ」
つるりとした触感に、ところどころ枝分かれして薄紅色の花――ツツジが花を咲かせている。先に行くほど細く、木の枝にも見えるそれはしっかりと志荻の額から生えていた。こめかみの少し上あたりから一本。花を咲かせるそれは、とても美しい芸術品にも見るれっきとした『角』であった。
「―― とても綺麗だ」
うっとりと、囁かれる。全身の血液が沸騰して、顔が真っ赤になる。
「いつの間にか、好きになっていた」
息の詰まる告白だった。
「困るのはわかってるさ」
「 トーヤ君」
「こんなに人を好きになるなんて思わなかった。しかも同性! でも、それでも好きになっちゃったんだ。一方的な恋って、こんなにも苦しかったんだね。だって、志荻は友人として、親友として接しているのに、それを僕は裏切っている。君が知らない男と話してれば自分勝手な嫉妬に身を焼かれて、僕は醜い男になってしまう」
薄く平たい胸に、額をつける。まるで懺悔だった。
「どうしようもなく、好きなんだ 僕は君に恋をしてしまった」
切ない、静かな叫びに言葉を発することができなかった。花鬼は徒人よりも数倍力が強い。簡単に押しのけられるはずなのに、どうしてか身体が動かなかった。
どう足掻こうと志荻は六条家に囚われている。家を出て、集落を出て一族との縁を断てばまた新たな道も開けてくるだろう。どうにもそれができないのは、双子の弟の存在があったから。
「しぃ君?」
薄紅の花弁に、濃紅の花弁が混ざる。
「――志荻が、ふたり?」
「――ぼくのしぃ君を返せ」
目を瞬かせたトーヤと、伊荻が腕を大きく振りかぶったのは同時だった。伊荻の手元、ぎらりと凶悪な煌きに脳は瞬時に体を動かした。
「いお君!」
振り翳された大振りの鉈に、トーヤを押しのけ前に出る。とっさの判断だ。伊荻は身体能力に特化している。才ある花鬼に比べれば劣ってしまうが、それでもただの人間にしてみれば大差なんてないに等しい。トーヤの頭部を的確に狙い定めた鉈はぶれることなく命中すれば脳髄を撒き散らし彼の人は絶命するだろう。
ザクリ、と。「しいくん?」呆然と伊荻が首を傾げた。真っ赤な血を垂らし、肩で呼吸をする最愛の双子。伊荻の脳が理解を拒否する。
鮮血が滴るのを他人事のように見ていれば、劈く叫びが響いた。
「しぃ君!」透明の瞳から大粒の涙を流し、握り締めていた鉈を放って志荻へと駆ける。言葉にならない音を発する弟を苦笑しながら抱きしめた。血が流れ続けるのも気にせず、抱きしめて、頭を撫でて、生きているよ、と弟が落ち着くのを待った。
「志荻っ、どうして僕をかばって」
「だっていお君の腕力でヤられたら、一発で死んじゃうもの。これくらいの怪我なら、一日もすれば治るから平気」
「平気ったって、」
「しぃくんっ!! ぼく以外と!! お話しないでよっ!!」
「あぁ、ごめんね、いお君」
双子の弟。ぽつり、と呟いたトーヤの表情は複雑だった。
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