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よん

 華やかな衣装に身を包んだ志荻は、弟の伊荻に困り果てていた。  赤い躑躅の白い着物を纏い、細やかな金の刺繍の帯を締め、帯締めには花の角から摘み取った真っ赤なツツジを差している。花の角を現し、黒い総レースの角隠しをかぶった姿はまるで花嫁だ。薄く白粉をはたいて、目元と唇に赤い紅を引き、しゃらりと揺れるささやかな耳飾が音を立てた。  花の顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らし、手を握って離さない。本当なら一緒に行くはずだったはずが件の鉈事件だ。謹慎処分を言い渡された伊荻は、屋敷の奥の奥、日も当たらない座敷牢に閉じ込められた。黒い檻ごしに必死に手を伸ばして縋る姿は哀れで愛おしい。 「やだやだやだぁ!!」  癇癪を起こした子どもにどうしたものかと口を閉ざした。 「しーちゃん。お迎えにきたよ」背後から声をかけられる。年上のいとこが迎えにきてしまった。着飾った姿は豪奢で美しい。どこぞの貴族と言われても刺し違えない。 「あぁ、ごんぼほりさ捕まってたんだ。かわいそうにねぇ。だぁいすきなお兄ちゃんと離れ離れ。でも自業自得でしょ」  蒼玉の瞳に笑みを浮かべて、「えーんがちょっ」と志荻を掴んで離さない伊荻の手を叩き落とした。胸が締め付けられる。弟の泣き声が響いた。グッと唇をかみ締めれぱ、細い指先が唇に触れた。  花道中が始まると村中が暗闇に包まれる。金細工の提燈が足元を照らした。村の人々は、灯りに沿って立ち並び、己の花を次期当主たちへ手渡した。  目は自然とトーヤを探した。祭りに来ているなら長兄と一緒のはずだが、ふたりの姿を見つけられずにいるうちに、神社へと戻ってきてしまった。巫女が一礼をしてしゃん· しゃん、と鈴を鳴らしながら歩き始める。  不思議なことに森の中に生き物の気配はなく、虫の囁き、鳥の囀りすら聞こえない。ただ足音だけが響く。しばらく歩くと一本道をはさむように、ふたつのお社が建っている。一条と五条。ひとり。ふたり。また登って、七条と四条。そして九条。 「六条様」  小さく頭を下げて、お社の中へと足を踏み入れた。しゃらん、と背後で鈴が鳴り、軋んだ音を立てながら扉が閉められ、がちゃん、と鍵をかけられる。  ――真っ暗なお社の中。夜目の利かない志荻は深く溜め息を吐いた。下駄を脱ぎ、壁伝いに中へと進む。  背後から忍び寄る影に気づけなかった。零れそうになった悲鳴は大きな手の平に押さえつけられた。パシッと手首を掴まれて引き寄せられる。 「志荻、僕だよ」潜められた声。耳になじむ心地よい声音に、金の瞳を瞬かせた。引き寄せられた衝撃で角隠しは落ち、淡く光る花の角が露わになる。 「ごめん、驚かせた」  手首を掴まれたまま、トーヤに連れられる。お社の奥、カチ、と音を立てて淡い橙色の光が空間を照らした。柔らかい光に瞬きを繰り返し、光に慣れた目で改めてトーヤを見る。足元にスミレの咲いた濃紺の浴衣に黒い帯締めはとても見覚えがあった。 「兄さんの、」 「お兄さんが朝早くにこの社を教えてくれ――志荻を引き止めたいなら今夜が最後のチャンスだ、って。無事に終わってしまえば、学園には二度と戻ってこれないんだろ」  真剣な眼差しにたじろいだ。トーヤの言うとおり、無事に終われば、『六条志荻』という『個人』ではなくなってしまう。 「この花道中は、神様への嫁入りなんだってね。何事もなく、朝を迎えられれば神嫁として当主になる――極稀に、いなくなる次期当主がいるそうだけど、神隠しなのか、脱走なのか」  心臓が大きく高鳴った。蓋を閉めて、鍵をかけて、心の奥底深くにしまいこんでいたモノをトーヤはいともたやすく掘り返した。 「――僕が志荻に恋してるって言ったよね。神嫁って、神様のお嫁さんってことでしょ。僕が、こんなに恋焦がれているのに、志荻は返事もせずに嫁入りしようとしてたんだ。どれだけ、僕が悔しくて、頭に血が上ったかわかる?」 「そ、れは」 「理解しようとも思わないさ。姿も、影も形もない相手に嫁入りだなんて許せるわけないだろ」  低く怖い声音に、肩が震えた。手首を握る手に力がこもる。 「ットーヤ君!」  強く胸を叩いて名前を呼ぶ。清流の瞳を瞬かせたトーヤにしっかりと目を合わせて言葉を紡いだ。 「おれは、トーヤ君のことが好き。それじゃあダメなの?」 「自分勝手な気持ちだ。一縷の望みでも僕は縋りたいんだ。たとえ蜘蛛の糸のように細かったとしても、それに僕は縋りたい。ねぇ、僕たちは、両想いにはなれないのかな」  頬を、大きな手の平が撫ぜる。  嫌い、ではない。好き、と断言できる。しかしそれが恋情かと問われれば、首を傾げてしまう。 「僕は、君が違う誰か――女でも男でも、違う誰かとともに笑って、泣いて、僕以外の人間が君の隣にいるのを想像するだけで嫉妬に身を焦がしてしまう。ねぇ、僕は、醜いんだ」  泣いてしまうかと、思った。  もし、トーヤが自分以外を選んだらその時自分はどうするだろう。隣には並べない。ともに笑い合うことも、悲しむことも、日常を共にすることもできない。一日あった他愛ないことをお互いに共有して当たり前に日常に組み込まれたトーヤがいなくなって果たして自分は生きていけるのだろうか。感情もなく、ただ日々を過ごすだけだった人形の世界は、トーヤと出会い鮮やかになった。  トーヤの隣に、自分ではない誰かが並び立つ。胸が苦しくなって、腹の奥でぐるぐると気持悪いモノが渦巻いて、胃の中をひっくり返して洗ってしまいたい不快感は大きく広がってい、理解した。 「イヤだ」縋るように、着流しの袖を握り、顔を俯ける。 「ヤだ。トーヤ君が、おれ以外と、笑い合うなんて」苦しくて苦しくて、息が出来ない。まるで水中にいる感覚に、頭がぼんやりした。 「ヤだ、トーヤ君、行かないで」鼻を啜って、みっともない顔を見られたくなくて俯けた頭を、ぎゅっと抱きかかえられる。花をはらはらと花びらを散らし、香りを強くした。 「 ね、これってさ、両想いでいいのかな」  困り果てた声だった。これは、恋心にも満たない 幼い独占欲だ。 「トーヤ君がどこにも行かないなら、ずつと一緒にいられるなら、両想いでいい。両想いがいい。学園に帰って、トーヤ君と一緒にいたい。ずっと、一緒がいい」 「――はは、熱烈だなぁ」  ぐい、と持ち上げられ、胡坐をかいたトーヤの上に乗せられる。跨る体勢に目を白黒させれば、整った顔が目の前にあった。ちゅ、と軽いリップ音を立てて涙を吸われる。 「……エッチなことしてもいい?」  目元を、鼻先を、口元を啄ばまれ、熱の篭った間しかけに無意識に頷いていた。

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