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千暁が幼い頃、母は車に轢かれて死んだ。
もちろん悲しかったが、
大好きな父の憔悴した姿が切なかった。
「……千暁、お前が好きな魚がいっぱい居る所に行こうか」
「魚?水族館?」
「……まあ、そうだな……今週末どうだ?」
「うん!楽しみ!約束だよ!」
「ああ、約束な……」
それは母が亡くなってから、初めての父からの誘いだった。
やつれた父に千暁は精一杯明るく応えた。
夏のある日、まだ太陽が昇らないうちに車は出発した。
「お父さん、まだ暗いね」
「ああ、早く行って一番乗りしよう」
「水族館こっちだっけ?」
「……ん」
「……お父さん?」
「……」
「どうしたの?」
「……な……」
「え?」
「ごめんな千暁、ごめんごめんな、許してくれ、ごめっごめんっ!千暁!ちあき、ちあ……っ!」
車は柵を突き破り、海へと落ちていった。
父は無理心中をしようとしたのだ。
大好きな魚は暗くて見えなかった。
千暁は奇跡的に助かったが父は駄目だった。
千暁は家族を失い、独りになった。
“希望を持って生きなさい”
“命を大切にしなさい”
“生きていれば良い事があるから”
そんなことは理解している。
『大変だったね、辛かったね』と友人は言った
『死にたいなんて言わないで私の為に生きてよ』と恋人は言った
『世の中には生きたくても生きられない人が居る』と恩師は言った
『苦しんでいるのはお前だけじゃない』と親類は言った
同情、励まし、叱咤。
それらの言葉は千暁に元気を与えた。
言葉を貰えば単純に嬉しかった。
だけど
一人になると“孤独”は“死への渇望”を連れて来る。
独りで家に帰り、独りで食事をし、独りで眠る。
自分が孤独である事を、まざまざと実感した。
独りになると思考ばかりが巡る。
父を独り逝かせた申し訳なさ
父に命を奪われそうになった悲しさ
父に置いていかれた寂しさ
なぜ一緒に生きてくれなかったのかという悔しさ
自身を褒めてくれるあの大きな手はもう無いのだという、虚しさ。
一言で言い表せない複雑な感情が、
絵の具のように混ざって真っ黒になり、
最終的にたどり着くのは『死にたい』という思いだった。
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