56 / 80
第56話
*
少しだけ揺れた光に目が眩み、瞼が開けられないままでいれば……横向きになって動かなくなっていた僕の背中に、陽だまりのような温もりが包み込む。
……ハァ……
僕の項を優しく擽る、気怠い吐息。
「感じて、イったんだよな」
「……」
そんなの、解んないよ。
下腹や内腿辺りに、自身が放ってしまった精液が掛かっているけど……
これが、感じてイくという感覚なのか、自信がない。
どうして……こんなにハイジの事を想っているのに。
最後の夜なのに。
望み通りに、いかないんだろう……
「……凄ぇ、嬉しい」
ハイジの手のひらが、僕の手の甲を優しく包む。
そうして僕の手を拾い上げ、指先をつまんで一本一本丁寧に、親指の腹で爪の表面をゆっくりと滑らせる。
「さくら。……ひとつ、約束してくんねーか」
「……」
「どんな噂を聞いても、溜まり場には戻ってくンなよ」
「……」
「約束、だかンな」
……なに、それ……
不安が、胸を過る。
『オレ、今度……ヤベぇ仕事すンだよ』──蘇ったのは、昨日ハイジがインターネットカフェ内で漏らした台詞。
ヤバイ仕事って……なに?
悪い噂を信じてしまう程、危険な仕事なの……?
その内容を聞いて良いのかも解らず、不安に震える心臓を抱えながら、必死でハイジの温もりに逃げ込もうとしていた。
「あー、離れたくねェ……」
「……」
「このまま、時間が止まっちまえばいいのにな」
ハイジが、僕の身体を抱き締めながら項に鼻先を当てる。
トクン……
僕も、同じ気持ちだよ。
このまま朝なんて、来なければいいのに。
「……眠ぃか?」
「ううん……」
「眠くなったら、気にしねェで寝ていいからな」
「………ハイジは?」
「オレ? オレが寝ない質だって、知ってンだろ?」
クスッとハイジが笑う。
「………、うん」
答えながら、心地良い気怠さが全身を襲う。
まだ、眠りたくないのに。ハイジを感じていたいのに。
次第に重たくなっていく瞼。
指先から消えていく感覚。
意識を手放したくなくて、手に力を籠めてハイジの手を握り返す。
今日一日だけで、沢山の事がありすぎて。微睡みの向こう側へと、意識が引っ張られてしまう。
「……」
……やだ……寝たくない……
頑張って瞼を持ち上げるものの……もう既に、その行為自体が夢の中の出来事のような感覚に陥る。
僕達の願いなどに関係なく、刻々と流れていく時間。
それならばいっそ、ハイジが戻って来るその日まで、一気に時間を飛ばせたらいいのに、と……微睡みの中でそんな不毛な事を願っていた。
ともだちにシェアしよう!