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第68話

「じゃあ、行ってくるね」 黒のフード付ジャケットを羽織ったハルオが靴を履く。 玄関先に立ち、無言のまま見送ろうとすれば、振り返って僕を見下ろしたハルオの表情が変わる。 「……何か、いいな。こういうの」 少しだけ綻び、潤んだ双眸。 「見送りまでして貰えるなんて、嬉しいよ」 「……!」 突然伸ばされる手。二の腕を掴まれ、引っ張られたかと思った時には既に、ハルオの腕の中に身体が収められていた。 「仕事、頑張れそう」 耳元で囁かれる声。 背中に回された片方の手が僕の後頭部を包み、思いを込めるように僕をギュッと抱き締める。 「……」 ハルオは一体、僕を何だと思っているんだろう。 こんな茶番をしたいなら、あのセフレの人に頼んだらいいのに…… 身体を離したハルオが、そんな事を考える僕の顔を覗き込む。 目を伏せれば、僕の前髪を掻き上げながら滑り降りた手が頬を軽く摘まんだ後、顎をくいと持ち上げる。 「……行ってきます」 前髪の向こうにある優しげな瞳と目が合うと、ハルオが静かに口角を持ち上げた。 やっと解放されて、安堵の溜め息をつく。 寝室に入り、猫の部屋着を脱ぎ捨てると、鞄に仕舞ってあった私服を引っ張り出す。袖を通し、襟ぐりを掴んで鼻から下をそれで覆う。 「……」 僕の恋人は、ハイジだ。 それはハルオも解ってる筈。 ……なのに、何で……あんな事…… 背中を丸め、肩で息をし、その場に尻を付いて座る。 後から後から込み上げてくる、嫌悪感。全身が小刻みに震える。 「……」 ここを出ていきたい──そう願うものの、他に行く宛なんか無い。 ただ耐えてやり過ごすしかないこの状況に、嫌気が差す。 ベッドに投げ捨てられた、ライトピンクのルームウェア。 昨日だって、裸を見られた。 着ていた筈の服は、いつの間にか無くなっていて。代わりに置かれた、新品の下着とそれ。 『さっきは、ごめんね』──ソファに座ってテレビを観ていたハルオが、リビングに戻った僕に悪びれる様子もなく微笑む。 『それ、やっぱり似合ってるよ』──値踏みするように。頭の天辺から爪先まで、じっくりと見ながら。 「……」 実家に、帰ろう…… そんな考えが、ふと頭を過る。

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