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第72話

「随分と探したんだぜ」 「……」 足を止めずに歩く僕に忍び寄り、傍らにぴったりとくっついて話し掛けてくる。嫌な目付き。顔を覗き込まれるものの、無視を決め込み目を合わせないよう努める。 「ハイジがよぉ……」 ──ドクンッ、 その名前を吐かれ、思わず足が止まる。 と、その隙に片腕が首に掛けられ、グイと引き寄せられながら太一の顔が近付く。 「姫に、会いたがってんだよ」 細くて吊り上がった、感情の読み難い二つの眼。それが真っ直ぐ僕を捉える。 「……嘘だ」 「嘘じゃねぇよ。ハイジがヤベぇ仕事してんの、……知ってるだろ?」 「……」 「大怪我しちまってさぁ。動けずに床に伏せてんだよ。うわ言のように、『さくら』『さくら』って、姫の名前を連呼しててよぉ……」 ……え…… サッと血の気が引く。 鈍器で頭を殴られたような衝撃が走り、痺れた脳内が冷えていく。 手足の末端から感覚を失い……呼吸が、上手くできない。 『さくら。……ひとつ、約束してくんねェか』 『どんな噂を聞いても、溜まり場には戻ってくンなよ』 『約束、だかンな』 ハイジの優しい声が、色褪せる事無く耳の奥から聞こえる。 ドクン……、ドクン……、 ……約束、したんだ。 ハイジが迎えに来るまで、待ってるって…… 「だから、来いよ」 「……ゃだっ!」 抵抗した刹那、持ち上げていた口角を引き下げた太一が、強引に僕を抱き寄せる。 「……何だよ姫。ハイジを見捨てる気かよ」 「──っ、!」 耳下辺りに鼻先を近付け、スンッと匂いを嗅いでくる。 「あぁ、……そうか。もう新しい男ができたんか」 「……ちが、」 「トバされるわ。怪我するわ。裏切られるわ。 惚れた女に、恩を仇で返されるって……ハイジが可哀想だとは思わねぇか? なぁ、お姫サマ」 「……」 そこまで言われてしまったら…… ハイジに対する罪悪感と、会いたいという気持ちが沸き上がり、その衝動に駆られてしまう。 「………わかった」 もしかしたら本当に、ハイジが怪我をしていて、僕に会いたがっているのかもしれない…… 胸のざらつきに気付きながらも、ハルオとの生活を脱したいと思っていた僕は、太一の言葉に従ってしまった。

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