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第36話

「……なぁ、姫」 太一の顔が近付き、耳元に唇を寄せられる。 「毎晩、ハイジの相手してんだろ? 首筋(ここ)に付いた鬱血痕(キスマーク)、日に日に数が増えて、色が濃くなってるぜ」 「……っ!」 意地悪げに囁かれる声。 吐息混じりのそれに思わず首を竦めれば、ついでとばかりに太一の鼻先が近付き、スゥ…ッと匂いを嗅がれる。 「にしても。最近の姫は、堪んねぇなぁ。こーんな甘っとろい匂いを撒き散らしといて、……味見すらできねぇんだからさぁ」 「──!」 僕の横髪を掻き分けた太一の指先が、耳たぶを軽く抓んだ後、その下部にある首筋の窪みに触れる。 舐るように。弾くように。何度もその部分を、執拗に指先を滑らせ…… 「ゃ、……」 堪えきれず、逃れようと身を捩るものの──肩に掛けた腕が絞まり、太一との距離が更に詰められる。 「……」 鼻につく、太一の匂い。身動きが取れない程、強く抱えられて。 こんな所で──ハイジとリュウが、玄関ドアを隔てた向こうにいるこんな場所で、これ以上の酷い事はしない筈。 そうは思っていても、……怖い。 周りを取り囲む男達の目付きが、いつもと違う── 「……やめ、ろ」 全身が、わなわなと震える。怒りと恐怖が入り交じり、全身が痺れて末端の感覚は殆どない。 やっとの思いで出た声まで、頼りない程弱々しくて。情けないくらいに涙で視界が滲む。 ……何時だったか。学級委員長に啖呵を切った、あの時のように上手くはいかなくて。 周りにいる男達が、僕の情けない姿を見てケラケラと笑い出す。 「へぇ。ハイジに操でも立ててんだ。……可愛いねぇ」 「……」 「心配すんなよ。俺らはハイジのお姫様(オンナ)に手ぇ出す程、馬鹿じゃねぇから」 脅えながら見上げる僕の顔を、太一が覗き込む。イキった、その細い目で。 「……」 圧倒的な支配者。……僕は、その従者。 昔から、それは変わらない。 従者はただ、黙ってそれに従うだけ。 浅くなる呼吸。 ジリジリと痺れる脳内。 朦朧とする意識。 ……そんなの、やだ。 僕の首に腕を巻き付けたまま、歩き出す太一。 よろよろと、それに従う僕。 ……やだ。 やめろ。 そう言って抵抗し、この支配から逃れたいのに…… 渦巻く男達の笑い声。厭らしい目付き。グラグラと揺れる地面。浅い呼吸。痺れる脳。感覚のない手足。 反抗心だけは、辛うじて残っているものの、思うだけで……何も、出来ない。 「……」 言わなくちゃ。 足を止めて、早く…… 「──オイッ!」 その時、背面から突き刺さるような鋭い声が聞こえた。

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