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第9話

朝日が昇り、空から藍色の闇が消えかかる頃。 ピンと張っていた冷たい空気が少しだけ緩み、疎らに人が活動し始め、今日という日が始まる。 束の間の休息は終わり、ハルオのアパートへと戻った。 「さくらっ!」 玄関のドアを開けるなり、部屋の奥から切羽詰まった声がした。 血相を変えたハルオが駆け寄ると、僕の両肩を掴んで凝視する。 「どこ、行ってたんだっ!」 「……少し、散歩……してただけ……」 「本当に、それだけか?!」 「……」 「誰かと会ってたんじゃないのか──?!」 ……なに、それ…… 胸の奥が詰まり、上手く呼吸出来ない。 ハルオを見上げながら、小さく頭を横に振る。 「本当に、誰とも会ってないんだね」 「……」 「心配するから。……出掛ける時は、一言声を掛けていってくれよ」 「………うん」 静かにそう答えた僕を、ハルオが力強く抱き締める。 「……」 今まで生きてきた中で、こんなに束縛された事なんてない。 物心ついた頃からずっと、母に疎まれてきたし。僕を利用しようとする人達も、僕の心までは支配しなかった。 だから、余計に怖いのかもしれない。 このまま全てを奪われて、ハルオの思い通りにされてしまいそうで。 「……さくら……」 耳元で囁かれる声。身体を少しだけ離したハルオが、間近で僕の顔を覗き込む。いつの間にか、その眼は緩んでいて。その瞳の奥に、熱っぽいものが宿っている。 「……」 ──!! スッ、と近付く唇。 「……ゃだ、っ」 咄嗟に、顔を背ける。 「この唇は、……ハイジのものだから──」 声が、酷く震える。 嫌悪感と寒気に襲われ──頭の天辺から足先まで、全身が戦慄く。 ハイジと、別れた訳じゃない。 訳あって離れている事は、解っている筈── それなのに、何で。 ……何で、こんな非道い事…… 「………、ごめん」 弱々しく、呟かれる声。 僕を抱き締める腕が緩み、ゆっくりと離れていく。 「……」 怖ず怖ずと視線だけを上げれば、今にも泣き出しそうな顔をしたハルオが、弧を描くように唇の両端を持ち上げ、寂しそうな笑顔をして見せた。

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